まるぞう備忘録

無題のドキュメント

日本人からの伝言。放蕩息子の旅。

2015-06-17 09:49:12 | 日本人からの伝言
フランス語圏の方々へ。日本人まる(=・3・=)ぞうの一人言。



 いろいろな宗教が世界にはありますが、どの宗教においても創造神に相当する神様は名付けられておるようです。やはりこの宇宙の奇跡的な営みを知ると、そこには「神さま」としかいいようのない荘厳さと畏れ多さを感じるのは、人類共通の知恵であるのかもしれません。


 私は日本神道や日本仏教以外の他の国の宗教については詳しくはありませんが、キリスト教やユダヤ教やイスラム教ではヤハウェ(アラビア語でアッラー)と呼ばれているそうですね。ヤハウェとはYHWHの略と言われ、「我、在りて有るものなり」という意味だという説もあるそうです。とても興味深いです。名前のつけられない創造神というのが創造神の本当の名前である。という気持ちがこめられているように私には思えます。



 さて私達一人一人には「個(エゴ意識)」があります。自分は切り離された一人であるという感覚であります。またそれと同時に「全体(共有意識)」を持ちます。私達は心の奥底では繋がっているという意識であります。幼児と母親の関係に私達は「共有意識」の典型を見ることができます。多くの母親にとって乳児は自分の一部であるように感じていることでありましょう。


 私達は普段の生活の中で「エゴ意識」と「共有意識」間を振り子のように揺れているかのようです。
 ある時は仕事上や、恋人などの親しい人に、自分は裏切られて見捨てられて完全にひとりぼっちのように感じる時もあります。
 またある時は、チームの仕事が成功した時やスポーツ観戦をしている時は、自分は他の人や他の人たちと繋がって、一体感に浸る時もあります。
 ただ人によって「エゴ意識」で切り離されているの割合が高い人もいれば、「共有意識」に浸っている割合が高い人もいるかもしれません。



キリスト教には次のような放蕩息子のたとえ話があると聞きます。
==========
ある人に二人の息子がいた。弟の方が親が健在なうちに、財産の分け前を請求した。そして、父は要求通りに与えた。そして、生前分与を受けた息子は遠い国に旅立ち、そこで放蕩に生きて散財した。大飢饉が起きて、その放蕩息子はユダヤ人が汚れているとしている豚の世話の仕事をして生計を立てる。豚のえささえも食べたいと思うくらいに飢えに苦しんだ。
我に帰った時に、帰るべきところは父のところだと思い立ち、帰途に着く。父は帰ってきた息子を走りよってだきよせる。息子の悔い改めに先行して父の赦しがあった。
父親は、息子のために祝宴を開く。しかし、兄はそれを妬んで父親に不満をぶつけ、弟を軽蔑する。兄は父親にたしなめられる。
(Wikipedia「放蕩息子のたとえ話」より)
==========


この喩え話にはいろいろな解釈があるかと思いますが、私にはこれは私達の心の中の上記の振り子を表しているように思われます。私達の「エゴ意識」とは、放蕩息子の次男です。「エゴ意識」は、実家の「共有意識」を飛び出て、世界でいろいろな体験をし、辛酸をなめます。




しかし最後には「共有意識」という実家に戻ることとなります。そのかつてのエゴ次男は、一度も共有意識を出たことのない長男より、父に歓待して迎えられます。つまり、この宇宙で最も貴重なことは、一度「エゴ意識」をとことんつきつめたあとに、やはり「共有意識」に戻っていく「旅の過程」である。という喩え話のように思えます。この宇宙を創造した神様がいるのであれば、神様という宇宙の働き(原理)は、この宇宙により深い彩りという変化を常に与え続けることであろうと思うからです。



日本人の共有意識についてお話したかったのですが、今回ははからずもキリストの喩え話の自己流解説になってしまいました。しかしこのお話は私の好きな新約聖書のエピソードであります。



おひさま、ありがとうございます。

「日本人からの伝言」フランス語版 http://maruzo.over-blog.com


下記は静止衛星軌道上で観測される太陽からの電子密度グラフです。急な変動がある場合は地震や事故に備えて防災意識を心掛けましょう。特に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら
コメント (8)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« WGIP。その3。廻り廻って心... | トップ | 繰り返される課題。ふむ。 »
最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (しょう)
2015-06-17 10:51:14
じ~んわりと、心に染み入る良いお話(解釈)ですね。

自分自身の今までの人生もそのようだったような気がします、放蕩息子。。。でもそれで良かったんだ、と思えました。

また自分の子供たちもそうであって良いのだ、と心のゆとりが持てそうな気がしました。

「失敗して良い」「飛び出して良い」「自分勝手に進んでよい」それが間違いでないのなら、子育てがとても楽に感じられます。

「自殺しない程度に頑張れ~死にたくなったら帰っておいで」これくらいの気持ちで子供たちを育て、放ちたいです。ありがとうございました(#^.^#)

すばらしい! (三月の桃日和)
2015-06-17 16:43:50
まるぞうさん、今、まるぞうさんがスイスのプロテスタント牧師の国家試験受けたらトップでパスかもです~!(私、牧師の最終試験に何度か立ち会ってきました…)
桃さんへ。 (まる(=・3・=)ぞう)
2015-06-17 19:29:55
この放蕩息子の喩え話の解釈は私のオリジナルではありません。ギリシャのダスカロス師のお話であります。ただWikipediaによると一般的な解釈は異なるようです。
本日引用しなかった部分です。
==========
この物語の主題は、差別されている者を受け入れて、神に逆らった罪人を、迎え入れてくださる神の愛である。登場する父は神を、「弟」(放蕩息子)は罪人である人間(異邦人、取税人、遊女たち)、「兄」はパリサイ派、ユダヤ人を指しているといわれる。
==========
上記がキリスト教の世界では一般的なのでしょうかね~。



ちなみに私が参考にさせていただいたダスカロス師のお言葉原文は次のようなものです。
==========
もう一人の息子が抗議した。
 〈ずっと、忠実だった私には何をしてくれましたか〉
 しかし、大天使であるこの息子は、肉体に宿ったことがない。
 〈私の持っているものすべては、お前のものだ〉
 と父親は答えた。さあ、どちらの方がいい立場にいるだろうか。宮殿の外に出たことのない大天使だろうか。大天使は善であり、善しか知らない。それとも、帰って来た放蕩息子だろうか。彼は兄弟の持つものはすべて待ち、その上に自己意識も持っている。神との一体化(放蕩息子が宮殿に戻った状態)においては、人間の状況がすべての大天使のシステムよりも優位であるというのが根本原理である。したがって、最終的には永遠の罰などない。私たちの自己意識を成長させてくれる、物質界の経験を獲得するだけだ。」(K・マルキデス『メッセンジャー』太陽出版、154-5頁)
==========


似たようなエピソードはグルジェフの「ベルゼバブの孫への話」の最後にも説かれています。
Unknown (最初はみみ)
2015-06-17 20:13:21
まるぞうさん

しっくりきました。
ありがとうございます。
これも (ハルカ)
2015-06-17 20:52:53
放蕩息子は読みました。何処かで。話は知ってました。
これは弁証法そのものです。
正反合の運動は、意識が一端自分の外に出て、もう一度自分に還って来る運動です。

哲学は言葉で神様の存在を証明する。と習いました。
まさにその通りらしい。

(皆してはにゅーはにゅーって悔しいわ。まっちーだって頑張ってるのに。宮中お茶会は出席してくれなかったけどね。)
安保法制と安倍政権 (unknown)
2015-06-18 00:15:54
いつもありがとうございます。記事と違う内容で申し訳ありません。
安倍政権を崩壊させようと言う動きが、党内からあるそうです。それは安保法制を強行採決させて国民からの不支持を理由に始める計画だとか。今安倍政権が終わったら日本はどうなってしまうのでしょうか?
青山氏の虎ノ門ニュース6月11日放送分の終わりの方で語られています。とても心配です…
安倍政権 (まる(=・3・=)ぞう)
2015-06-18 01:35:05
もしFacebookがご利用できるのであれば、安倍さんに、応援コメントを送るのも大切なことだと思います。
https://www.facebook.com/abeshinzo
安倍さんは全てのコメントに目を通しているということです。国民からの応援の声が安倍さんの一番のエネルギーであろうと思います。
Unknown (すなお)
2015-06-19 01:33:36
ちょうど今日、友人が子供さんが通っている幼稚園でこのお話のアニメを子供達と見て「ビックリした!放蕩息子が許される?そんなことがあっていいの?こんなの子供に見せて悪影響がないかしら?」と話題になったので、とてもタイムリーで驚きました。日本人の持つ宗教観には合わないよねー、と私が言ったら、もう一人の友人が「このお話は教会でもお話になる良いお話しなのよ。幼稚園の先生たちのアニメを見た後のフォローが悪い。」とプンプン怒っていました。この友人にはS党の地方幹部をやっている身内がいらっしゃって、どっぷりそちらにはまっている人なので、まあいいや、と思いそこでそれ以上のお話しはやめました。
まるぞうさんの解釈を読ませて頂いたら、なるほど、と目からウロコでした。まるぞうさんの解釈は自然崇拝する感性ならではの解釈、と言えるのではないでしょうか。私は聖書に触れる機会もなく、この話も初めて聞いたので「日本には馴染まない話しだなあ。」とばっさり考えてしまいました。かの方が言われるように聖書にもいろんな面があるのですね。自然崇拝する感性で書かれている部分、読み解ける部分、私も読み解いてみたい、と初めて思いました。私はそのアニメを見てなくて友人の話しを聞いただけなのですが、親がそう感じている以上、まあ、幼稚園の子供さんには理解が難しいでしょうね。放蕩した弟を許せない兄の心境は理解出来るでしょうが。
でもそう言えば、家を飛び出して何年も散々好き放題してある日突然「ただいま」と帰ってきたやんちゃな長女を「おかえり」と迎え入れたことがあったことを思い出しました。「ナニ?2人とも?何事もなかったみたいにどうしてそんな風に振る舞えるわけ?」と残り2人の子供は驚いていましたが。親とはそういうものかもしれないなあ、と思いました。なに食わぬ顔で帰ってくるにも思い切りが随分必要だったとうなあ、と。その上で帰ってきたならまあ、いいか、と思ったことを思い出しました。他の2人の子供への悪影響も後で心配になりましたね、当時。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日本人からの伝言」カテゴリの最新記事