数万年というガラパゴス環境で、日本人の中には同質性という特長が温存されていました。
おそらく太古の人間は現代人より自我が薄かったかもしれません。
自我がより集団に溶け込んでいたかもしれません。
日本というガラパゴスでは、太古の人間の性質が温存されていたと考えられます。
他の地域の人たちに比べて「集団と自我の垣根が低い」という傾向もそうでしょう。
自然を敬い感謝するという自然崇拝の原始的な宗教観もそうでしょう。
また祖霊を敬うというこれまた原始的な宗教観もそうでしょう。
※この宗教観についてはまた別の記事でもう少し詳しく述べたいと思います。
さて戦後日本の文化は大きく破壊されたので、だいぶこの傾向は薄まりましたが、戦前までの日本人の宗教は先にのべた「神道という自然崇拝」と「先祖供養」という祖霊崇拝でした。
この祖霊崇拝による日本人の死生観とは、生きている間は自分たちはご先祖様に守られており、自分が死んだら今度は家系の子孫たちを守る。というものでした。
祖霊崇拝の日本人にとって、死とは先祖の一団に溶け込むということでした。
したがって生きているうえでの道徳観としては「ご先祖様に顔向けができるかできないか」「家(家系)を守っているかどうか」という価値基準でありました。
最近日本で100歳以上長生きした老人を対象にした調査がありましたが、彼らの特長の一つは生きているこの生活の中でも、死んだ故人達といっしょにいるという感覚でした。
彼らにとって死とは恐れることでも悲しいことでもないのでした。
現代の日本人にとっては100歳ぐらい越えないとなかなかそういう境地の人はもう少ないのかもしれません。
しかし毎日祖霊崇拝の仏壇にお線香をあげ、家を大事にするように育った戦前までの日本人にとっては、死とは現代の我々が思うほどには「怖い」ものではなかったかもしれません。
サムライの切腹という儀式もそうです。
家を守るために自らが犠牲になる社会の儀式でした。
当時の彼らは、自我と集団(家、家系)の垣根がずっと低かったわけですし、自分も死後はご先祖の集団に溶け込み子孫たちを守る側になると信じていたわけです。
現代の我々が考える「死刑」とは違う意味を持っていたに違いありません。
打首などの死刑はご先祖さまに顔向けはできないでしょう。
しかし切腹は自らの意志で命と引き換えに家を守るわけですから、ご先祖さまに顔向けができると考えていたと思います。
さてついこの間の70年ほど前の太平洋戦争です。
カミカゼに代表されるような特攻で多くの日本人の若い兵士が、命と引き換えに敵陣に飛び込んでいきました。
なぜ多くの若者がそんなことができたのでしょう。
自分から進んで特攻に志願した人たちがほとんどです。
国や家族を守るために自分の命を捧げることは、尊いことだというのが彼らの死生観であったからでありましょう。
つづく
おひさま、ありがとうございます。
下記は静止衛星軌道上で観測される太陽からの電子密度グラフです。急な変動がある場合は地震や事故に備えて防災意識を心掛けましょう。特に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら
おそらく太古の人間は現代人より自我が薄かったかもしれません。
自我がより集団に溶け込んでいたかもしれません。
日本というガラパゴスでは、太古の人間の性質が温存されていたと考えられます。
他の地域の人たちに比べて「集団と自我の垣根が低い」という傾向もそうでしょう。
自然を敬い感謝するという自然崇拝の原始的な宗教観もそうでしょう。
また祖霊を敬うというこれまた原始的な宗教観もそうでしょう。
※この宗教観についてはまた別の記事でもう少し詳しく述べたいと思います。
さて戦後日本の文化は大きく破壊されたので、だいぶこの傾向は薄まりましたが、戦前までの日本人の宗教は先にのべた「神道という自然崇拝」と「先祖供養」という祖霊崇拝でした。
この祖霊崇拝による日本人の死生観とは、生きている間は自分たちはご先祖様に守られており、自分が死んだら今度は家系の子孫たちを守る。というものでした。
祖霊崇拝の日本人にとって、死とは先祖の一団に溶け込むということでした。
したがって生きているうえでの道徳観としては「ご先祖様に顔向けができるかできないか」「家(家系)を守っているかどうか」という価値基準でありました。
最近日本で100歳以上長生きした老人を対象にした調査がありましたが、彼らの特長の一つは生きているこの生活の中でも、死んだ故人達といっしょにいるという感覚でした。
彼らにとって死とは恐れることでも悲しいことでもないのでした。
現代の日本人にとっては100歳ぐらい越えないとなかなかそういう境地の人はもう少ないのかもしれません。
しかし毎日祖霊崇拝の仏壇にお線香をあげ、家を大事にするように育った戦前までの日本人にとっては、死とは現代の我々が思うほどには「怖い」ものではなかったかもしれません。
サムライの切腹という儀式もそうです。
家を守るために自らが犠牲になる社会の儀式でした。
当時の彼らは、自我と集団(家、家系)の垣根がずっと低かったわけですし、自分も死後はご先祖の集団に溶け込み子孫たちを守る側になると信じていたわけです。
現代の我々が考える「死刑」とは違う意味を持っていたに違いありません。
打首などの死刑はご先祖さまに顔向けはできないでしょう。
しかし切腹は自らの意志で命と引き換えに家を守るわけですから、ご先祖さまに顔向けができると考えていたと思います。
さてついこの間の70年ほど前の太平洋戦争です。
カミカゼに代表されるような特攻で多くの日本人の若い兵士が、命と引き換えに敵陣に飛び込んでいきました。
なぜ多くの若者がそんなことができたのでしょう。
自分から進んで特攻に志願した人たちがほとんどです。
国や家族を守るために自分の命を捧げることは、尊いことだというのが彼らの死生観であったからでありましょう。
つづく
おひさま、ありがとうございます。
下記は静止衛星軌道上で観測される太陽からの電子密度グラフです。急な変動がある場合は地震や事故に備えて防災意識を心掛けましょう。特に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら

自由とは。あの世とこの世とのあれだね。ま~死んでみないとわからないけどです。しかし。知らないことがない確信はない。むしろ。知らないとはある。確信ある。つまりは。いつでもあの世。いつでもこの世の何処でもドア。ドラえもん的な思考考察しました。しかし。どうで良いことを言うな。はい。だから。僕は。〇ぞうさんの。お話しを聴いて勉強しております。
いろいろを教えて頂いてありがとうございます。お疲れ様です。m(__)m。
おもしろいです。なるほどぉーっとうなりばかりです。
日本人はこの死生観と同様に、見えないものを信じる力が凄いですね。
自然も祖霊もなんの疑う余地なく小さい頃から敬う心があったような気がします。
両親に叱られる時によく言われた言葉は「天知る地知る己知る」でした。
誰も見ていないと思っていても、必ずお天道さまと大地が見ている、そして誰より自分が一番が知っている、と戒められました。
つまり、誰が見ていなくても良心に添って生きなさいと言う事なのですが、大人になって、様々な場面で思い出す時、この言葉は色んな響き方をして助けてくれました。
まるで自分独りの世界のように感じる孤独な時期には「おひさまは見ていてくれる」と信じました。
長雨の夜は都会の街路樹を癒して街を浄化しているように感じて、文句も云わずただ風に揺れて立つだけの木々の強さと優しさに感心したりして、
そんな日本人だからこそ、難しいと言われる“わびさび”も感じる事が出来るのかも知れません。
今ある世界のどの国よりも永く、悠久の時をしがんで先祖から紡がれて来た心が途切れる事なく今に寄り添っている事が解ります。
どれも見えない事ばかりですが(笑)
証明出来ない事を話す時に私は「自然科学」と言ってやり過ごします(笑)
物事には陰陽や+-があるように、こう思えばこうなる、こうすればこうなる、と言った方程式が必ずある、でも答えは各々みんな違う、それは祖先が違うからだと。なぜかそう疑わず先祖供養をしなくちゃ!と、気付いたら登山口にたどり着いていました(笑)
自然科学の方程式の模索は、色々試して、チャレンジしなくちゃ始まりませんね。失敗しても生きている限り上書きは出来ると、次はもっと上手く書けるはず、と自身を信じて歩むのみです。きっとご先祖さまも怖かったに違いありませんね。特攻隊も最前線も怖かったでしょうに、と。
けれど、今の私たちのようには恐れなかったのは見えないものを信じる心が遥かに強かったのでしょう。
英霊になると信じたのでしょう。
そして、約束通り英霊として祭られている限り、彼等は英霊となられていると私たちは信じているのです。
そして見えない信頼関係のようなものが、結果的に目に見える形で現われたのが、靖国神社だと思います。このように私たちの日々の登山道で積み重ねたものが、何れ、目に見える形になるのだとすれば、よいものを産み出さねばなりませんね。
それが、より良い国を作る第一歩のような気がしているのです。
モラルって聞くと、ちがーうって感じたりします。日本語の道徳は、正直さと思いやりがあって良心的なもの、って感覚があります。
お天道様が見ているよ、ですかね。違うかなぁ。