日本語で「仏さま」とは、お釈迦さまのことを指します。仏とは中国から日本に仏教が伝わった時に、お釈迦さまの意味で日本に伝わりました。しかし日本えは「ほとけさま」とは各自の仏壇でお祭りしているご先祖様の意味でもあります。
そして、なんと、自分の家系に関係のない亡くなった人全般にも「ほとけさま」と呼ぶのです。日本の刑事ドラマなどでは、刑事が殺人事件の被害使者のことを「それでほとけさんの身元はわかったのかい」というセリフは日本人にとってとても身近なものであります。
日本では亡くなった方を全般に「ほとけさま」と呼ぶと知れば、仏教を伝えた他の国の仏教徒の方々は驚くことでありましょう。たとえばもし仏教よりキリスト教が先に伝わったとします。しかし日本人は元々のキリスト教の教えにはない「死者を悼み先祖を供養する風習」をキリスト教の教えであるとしていたらどうでしょう。
たとえば仮想の並行世界ではこうです。確かに各自の家庭にはイエス壇があり十字架があります。しかし私達が「イエスさま」と呼んでいるのは、「イエス・キリスト」のことではなく、自分の家系で亡くなったご先祖さまのことを指しているのだとするとどうでしょう。日本人は毎日イエス壇の十字架にお線香を立てたり、お花を供したり、食物の一部を捧げたりします。「イエスさまにお供えしなきゃ」と言って。しかしここで日本人の言う「イエスさま」とはイエス壇の十字架に祀られている自分のご先祖であるのです。
そしてテレビの刑事ドラマでは、殺人犯の被害者をさして「それでイエスさんの身元わかったのかい」というセリフが流れます。
多くの日本人は自分たちの宗教は仏教であると考えています。しかしそれは用語だけを仏教式にした、中身は元々日本古来から伝わる日本人の「死生観」であります。日本人は亡くなった方はすべて尊いものだと手を合わせる死生観があったのです。
日本では無縁仏という言葉があります。「供養してくれる縁者がいない仏さま」という意味です。身寄りがない故人や身元不明の死者のことです。もし自分に子孫がいれば、自分が亡くなったあと彼らが自分を思い出し供養してくれることでしょう。しかし子孫や親類などの身寄りがいない人や、あるいは身元がわからないまま亡くなった人はどうでしょう。誰も彼らに手を合わせてくれないのです。それはやはり亡くなった方には気の毒であろう。と日本の人たちは考えたようです。日本の墓地やお寺には、彼らのことを「縁者がいないほとけさま」として供養をする石碑や石像があります。
キリスト教文明の国の方々にとって、もし身寄りのない身元不明の故人たちを「無縁イエスさま」とまつっている民族がいたら、きっと奇異に思うことでしょう。しかし日本の人にとっては、それはそれでありえたかもしれない。と思うのではないでしょうか。表面の形式や用語はどうであれ、日本人とは自分に直接関係のない死者であっても、尊び哀悼するのはごくごく自然なことであるからです。
おひさま、ありがとうございます。
下記は静止衛星軌道上で観測される太陽からの電子密度グラフです。急な変動がある場合は地震や事故に備えて防災意識を心掛けましょう。特に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら
そして、なんと、自分の家系に関係のない亡くなった人全般にも「ほとけさま」と呼ぶのです。日本の刑事ドラマなどでは、刑事が殺人事件の被害使者のことを「それでほとけさんの身元はわかったのかい」というセリフは日本人にとってとても身近なものであります。
日本では亡くなった方を全般に「ほとけさま」と呼ぶと知れば、仏教を伝えた他の国の仏教徒の方々は驚くことでありましょう。たとえばもし仏教よりキリスト教が先に伝わったとします。しかし日本人は元々のキリスト教の教えにはない「死者を悼み先祖を供養する風習」をキリスト教の教えであるとしていたらどうでしょう。
たとえば仮想の並行世界ではこうです。確かに各自の家庭にはイエス壇があり十字架があります。しかし私達が「イエスさま」と呼んでいるのは、「イエス・キリスト」のことではなく、自分の家系で亡くなったご先祖さまのことを指しているのだとするとどうでしょう。日本人は毎日イエス壇の十字架にお線香を立てたり、お花を供したり、食物の一部を捧げたりします。「イエスさまにお供えしなきゃ」と言って。しかしここで日本人の言う「イエスさま」とはイエス壇の十字架に祀られている自分のご先祖であるのです。
そしてテレビの刑事ドラマでは、殺人犯の被害者をさして「それでイエスさんの身元わかったのかい」というセリフが流れます。
多くの日本人は自分たちの宗教は仏教であると考えています。しかしそれは用語だけを仏教式にした、中身は元々日本古来から伝わる日本人の「死生観」であります。日本人は亡くなった方はすべて尊いものだと手を合わせる死生観があったのです。
日本では無縁仏という言葉があります。「供養してくれる縁者がいない仏さま」という意味です。身寄りがない故人や身元不明の死者のことです。もし自分に子孫がいれば、自分が亡くなったあと彼らが自分を思い出し供養してくれることでしょう。しかし子孫や親類などの身寄りがいない人や、あるいは身元がわからないまま亡くなった人はどうでしょう。誰も彼らに手を合わせてくれないのです。それはやはり亡くなった方には気の毒であろう。と日本の人たちは考えたようです。日本の墓地やお寺には、彼らのことを「縁者がいないほとけさま」として供養をする石碑や石像があります。
キリスト教文明の国の方々にとって、もし身寄りのない身元不明の故人たちを「無縁イエスさま」とまつっている民族がいたら、きっと奇異に思うことでしょう。しかし日本の人にとっては、それはそれでありえたかもしれない。と思うのではないでしょうか。表面の形式や用語はどうであれ、日本人とは自分に直接関係のない死者であっても、尊び哀悼するのはごくごく自然なことであるからです。
おひさま、ありがとうございます。
下記は静止衛星軌道上で観測される太陽からの電子密度グラフです。急な変動がある場合は地震や事故に備えて防災意識を心掛けましょう。特に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら

ちなみにうちの実家のお墓は墓石が20個くらいありまして、毎月榊を交換している親には驚きですが、確かに元気です。
なんでもその昔「お宅の墓石ですよね」と連絡があり、九州から空輸されてきた墓石もあるとか。あと最近お隣の墓石も守る人が亡くなったそうで、うちの親が榊を上げています。大変そうですが、なかなかできることじゃないね!と声をかけてます。「終活」をよく口にする親ですが、まだ長生きしそうですね(^-^;
よく知りません。でも、亡くなったばーちゃんがかわいそうと線香をおあげしてました。だから。母もです。ほとけさまですね。そのこの感覚感情を大切大事にしたいと思いました。お疲れ様です。ありがとうございます。m(__)m。ビックリの視点考察でした。m(__)m。
無縁霊か、それとも有縁の…?? まあ、仕事に集中していれば、どうということはないのですが、少々困惑しています。あまり気にすると、本当に精神科医に行かなければいけなくなるという皮肉というか。もう少し様子を見るとします。個人的な話で失礼しました。
「ほとけ」の語源は一体何だろうと、時々思います。「解け(ほどけ)」だと言う人もいるようですが。
お孫さんが手を合わせにいらっしゃるそうですよ。
元々親鸞とご縁があるというお寺ですけど、聖徳太子を選ばれたことが、何だが不思議だなあと思います。
こちらのブログを拝見しまして、鳥肌が立つ思いでございました。