無題のドキュメント
まるぞう備忘録
視点の変化を考察してみる。
ロシアのボリス少年。
読者の方からのコメントに寄せられたある記事です。
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○ロシアで注目を集める予言者ボリス・キプリャノヴィッチ少年
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ほとんど泣くこともなかったボリスカ君は、生後4ヶ月にして簡単な単語を発し、8ヶ月目には完全な文章を話した。2歳になると、火星について話を始め、他の太陽系の惑星や遠い文明に関しても語りだした。
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ボリスカ君はストリートを歩く若者にドラッグを止めるように忠告することもあれば、妻に内緒で浮気する男たちに説教することもあったのだ。そして、やってくる災害や病気について人々に警告した。その反面、彼は他人を中傷することを嫌い、愛に満ちた優しさを持っている。生れてから、病気知らずのボリスカ君ではあるが、深刻な災害や不幸な事件が起こると、気分を害して学校に行くことを拒んだ。
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http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1882602.html
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火星の記憶。これが真実なのかどうか。それはわかりませんが、それは別として非常に興味深い部分があります。
「彼は他人を中傷することを嫌い、」
この少年の自我が薄くなって、良心の呵責の門をくぐり始めると、誰もがこの傾向になる。と考えられるからです。
自我は復讐したがる。
人はなぜ他人を批判したがるのか。誹謗中傷したくなるのか。
それは傷ついた自我の修復作用であります。
私たちは社会の中で、自我が傷つけられることは頻繁にあります。自尊心が傷つけられる。批判される。無視される。
傷ついた自我は、なんとかこの傷を無かったものにしたい。ではどうするか。それは「復讐」することであります。相手に反撃することで、自分が受けた傷を癒そうと試みます。
しかし社会の中では、相手に言い返せないことが多々あります。相手の方が偉くて、強くて直接言い返せない、など。
でありますから、その人がいない場所で、その人を攻撃するわけです。人に同調を認めるわけです。
自分以外にその人の批難に同調してくれる人がいる。そのことで自我は満足します。ああ、この瞬間私の復讐は満足だわ〜。
しかしその復讐は代償行為であります。直接本人がぎゃふんと言ったわけではありません。したがって、またしばらくすると、自我は「復讐したい〜。こんにゃろ。この恨みはらさでおくべきか。」と疼きだすわけです。
人の陰口の非難は、その瞬間は気持ちが良いですが、いくらしゃべっても満足できない理由であります。
下から目線への変化で起きること。
自我が薄くなると、当然「自我が傷つく」こと自体が減少していきます。
「良心の呵責の門」の経過で、「自分は駄目だな。恥ずかしいな。穴があったら入りたい。」と思っているぐらいですから。「おまえ全然駄目じゃん」と言われても、「そうですよね〜」というように受け入れることとなります。
下から目線で自分への批判を受け入れるようになります。だから「こんちくしょ〜。いつかギャフンと言わせてやる」という復讐心はぐっとぐっと減っていきます。
※もちろん暴力行為や犯罪行為のセクハラ、パワハラに対してはきちんと身を守ることは必須であります。上記は一般的な日常生活における、自分への批判非難についてのケースです。
「良心の呵責の門」が厳しくて、一時的に自己嫌悪の鬱状態になる人がいるかもしれません。
私の仮説では、そこが山場であります。身体の毒素が全部出る過程の苦しみであります。
現実と幻想の視点が入れ替わる「産みの苦しみ」であります。
かくの如き仮説から、導き出されることは、「良心の呵責の門」をくぐりつつある人の傾向であります。
・人の非難や誹謗中傷を言うことはない。
・穏やかで謙虚である。
自我が傷つけられたら誰もが悔しいものであります。しかし傷つけられているプライドなんて実は小さなものであります。
しかし自分の心の奥底の真我は、決して人の言葉や行為で傷つくことはありません。
真我が傷つくのは、自分が良心に反した時のみであります。
自分が良心に恥じないのであれば、決して真我は傷つかない。
人からの言葉や行為で傷つくのは、表面の自我だけであります。
だから人から批判されたり、無視されたりして、「自分がきずついた〜」と思った場合。それは自分の心を観察するチャンスであります。
よくよく観察してみると、「傷ついた〜」と叫んでいるのは「表面の自我(プライド)」に過ぎませんでした。
そしてその「表面の自我(プライド)」は、「幻想」でありました。
つづく
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なんか カッコいいですね。
https://www.youtube.com/watch?v=5ok3NTI00Lg&t=26s
6まで続いています。
自分で失態に、ハッと気づくから恥ずかしいのなんのって感じでした(´-﹏-`;)
ついつい熱くなると、行き過ぎた言動に変わっていく事もあるから気をつけてます。
良心も自我も傷つけてしまっていた~💦
ので!!!善行と自我を薄めることを頑張りたいです~!地球の命にも関わってるのですね?!
麦踏みシリ~ズのお話の中にも、イスラエル王国滅亡後、日本に移動した古代ユダヤの民が道徳心を極めたとありました。何もわかっていないですし自分には難しそうですが、そういう心を感謝や超下から目線を見習いたい意識してみようと思います。本家と共に読ませて頂き、気持ちが蘇りました。ありがとう御座います。
私の仮説では、そこが山場であります。身体の毒素が全部出る過程の苦しみであります。
現実と幻想の視点が入れ替わる「産みの苦しみ」であります。
まるぞうさんは、本当に恵まれていつもいつも強い立場で生きてこられた方なんだなあ、、、としみじみ思いました。
昨日の記事の↓こちらを読んだ時にも、しみじみ思いました。
>それは「自我が薄くなる過程」を人類が味わうためではないか。私にはそのように思えてなりません。なぜならここが一番「美味しい」ところだからでありますから。
あんまり恵まれすぎたが故に、鼻っ柱が強くなってしまった人にとっては、”鼻っ柱が折れる過程”=”自我が薄くなる過程”で、【美味しい】と思えるほどに強い立場に生きているのですよね。
人それぞれ、色々ですよね。色々な人がいるものですもんね。
それがまるぞうさんの風景なのだなー、と思いました。
謙虚に、とまるぞうさんが書かれるのを読むたび、崩れそうになる自分を持ちこたえさせるわずかな冷静さを持ち直すことができます。
色々な立場の同僚を励まし、また自分の真我に対し誠実な言動をしたいです。
相変わらずどうにも苦しく、リーマンさんにも相談してしまいました。
まるぞうさん、私はプライドが高く自我が傷ついているのですね?
これでもかというくらい嫌な自分との対面の日々です。
もう充分内面を見つめ、仕事で自分に足りない面を補おうと出来る努力はしてきました。
が、限界を感じています。
不安と恐れが付きまとい負のオーラを発しているようで、職場の先輩方にずっと馴染めずにいて、その中で障害者の方に好かれた事が更に辛く、私はこの人にしか相手にされない、同類なんだと…その事が受け入れられなくて。
退職も視野に入れて新しい仕事を始めたら、初日からすんなり入れて、まだ数日の勤務なのに数ヶ月か数年この職場にいたような馴染み感、また気が合う人達ばかりで本当に楽しいのです。
この差は、違いは何だろう?
引っかかってるのは、仕事は仲良しクラブじゃないんだよ〜というリーマンさんの言葉。
ここで辛い思いから逃げて仲良しクラブに安心してしまっては、私は多くの宿題を残したまま、別の課題を持つことになるのでは?ということなのです。
自分は間違ってる視点が僕を生かされて要ると思いました。道との遭遇と未知です。
お疲れ様でございます。ありがとうございます。m(__)m。