無題のドキュメント
まるぞう備忘録
一足先に着いていた天孫たち。
古代イスラエルの末裔であろうニニギノミコトが南九州の日向に辿り着き、次男の山幸彦(ホオリノミコト)は地元海人族の豪族のお姫様(トヨタマヒメ)と結婚しました。古事記を読むと私の脳内ではそのような風景が思い浮かびます。
二人の間にはウガヤフキアエズノミコトが生まれ、更にその子供の末っ子が、神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)となります。
神武天皇兄弟は、かつての古代イスラエルのご先祖たちのように、民族の神様からの啓示を受けたのかもしれません。ただ前回は厳しい父性の神様の啓示でありましたが、今回は母性の神様の啓示であったのでしょう。
神武天皇が奈良盆地に辿り着き、そこでヤマトの国を開く過程は、神武東征と呼ばれます。ただその侵攻(?)の大部分(北九州~瀬戸内)は比較的平和に進んでいったように思われます。その過程は、何年もの時間をかけてゆっくり進んで行きました。今なら新幹線で数時間の距離でありますが。
天照太御神の啓示により、ヤマトへの東征を進めた神武一向でありましたが、実は同胞の古代イスラエルの末裔たちは、もう日本の主要地域に入り込んでいたようです。当時の主要地域である北九州、出雲、瀬戸内、奈良には、天孫(古代イスラエルの末裔)が、すでに土地の有力者になっていたようです。何せニニギノミコトは神武天皇の曽祖父ですから。おそらく朝鮮半島経由で日本に渡ったイスラエルの支族の末裔は要所要所をとっくに抑えていたのでしょう。
ただそれは必ずしも平和的な侵攻ではなかったように思います。古事記の出雲の国譲りにあるように、イスラエル支族の末裔はかなり強硬に出雲を奪ったようです。北九州は弥生勢力圏でありましたが、出雲は縄文の色濃い地域でした。この地域での天孫の先住縄文人への弾圧はかなり厳しいものだったようです。
おひさま、ありがとうございます。
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うーん、そうなんですかねー。
イスラエル経由のチャイチャイ系チョウセンチャン経由(年月で血が混ざり)のような感じもするのですがーー。申し訳ないけど、チャイ系、チョウセン系の残虐さは現代でも引き継がれているし、どんだけ親身になっても、、、、あっ、そうですか、こちとら至らなくてすんません、みたいな。謝る文化でなんとか繕ってきました、みたいなこの国。
長い年月続いた縄文期。自然を敬い調和したのが縄文人だとすれば、縄文人の魂が現代に蘇ることが、まるぞうさんの思いですか?
私のなかに、もう勘弁して~!あんた達!があるんんです(ー_ー)!!
1,出雲大社 古代イスラエル 濡れ衣
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2,出雲大社 流刑地 3本 巨柱
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3,出雲 巨大神殿 ユダヤ神殿 3本柱
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4,出雲大社 天津神 国津神 因縁 チャップン
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