まるぞう備忘録

無題のドキュメント

本当の自分はどこにいる?

2022-09-11 09:12:57 | 今日のひとり言

防災カレンダー

9月8日 阿蘇から大分方向







英国の学者の方の仮説です。

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脳に騙され続ける私たち

私たちはみな、ほら話に担がれている。ほら吹きは、自分自身の脳だ。

脳という即興のエンジンは驚くほどの性能を誇り、そのときその場で色、物体、記憶、信念、好みを生成し、物語や正当化をすらすらと紡ぎ出す。

脳があまりに説得力あるストーリーテラーであるせいで、私たちは思考が「そのときその場の」でっち上げとは思いもしない。前もって形作られた色、物体、記憶、信念、好き嫌いを内なる深海から自分で釣り上げたのだと、そして意識的思考とはその内なる海のきらめく表面にすぎないのだと思い込まされる。

だが、心の深みなるものは作り話にすぎない。自分の脳がその場で創り出している虚構[フィクション]なのだ。前もって形成された信念や欲望や好みや意見はないのであり、記憶さえもが、心の底の暗がりに隠れているのではない。
https://gendai.media/articles/-/99308
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 この方の言う「脳」というのが「セルフ1」のことであるならば、私の仮説も全く同じです。

 人のセルフ1は「説得力あるストーリーテラー」というのはその通り。自分(セルフ1)の都合の良いように、事実を取捨選択して創り上げて行きます。



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「私」の呪縛を打ち破る

これは、よく聞く物語とはいえない。直観的な話でもない。心のしくみについて自分が知っていると思っていた全て、つまり自分は何を「見」たり「感じ」たりしているのか、記憶や意思決定や人柄の本質は何なのかという信仰を、この筋書きは揺るがしてしまう。

つまり、「自分を見つける」ことはできない。見つけるべき自己など存在しないからだ。

したがってこれは、一つのほら話をめぐる物語だ。このほら話、陰謀、幻想のベールは私たちを完全に包みこんでいるゆえに、その向こう側を覗き見ることはできない。いや、めくりたくなるかもしれないベールがそこにあることにすら、私たちは気づけない。
https://gendai.media/articles/-/99308?page=2
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 私の仮説は、私の本質は「セルフ3」と呼ばれます。心の奥底の心です。「良心」とも言います。

 この方は「見つけるべき自己など存在しない」と言い切っていますが、そこが私の仮説と異なります。私は「見つけるべき自己」をセルフ3と表現しておりますから。



 もしセルフ1が非常に強い方で、かつ頭がとても良い方であれば、見つけるべき自己を探求した結果「自己など存在しない」という結論になるでしょう。
 なぜならこの方は「セルフ1」を自己と感じているから。
 そして「セルフ1」は虚構なのだから、突き詰めると存在しない。



・脳=セルフ1
・心=セルフ3

 彼は自分の自己の正体は脳(セルフ1)と考えているので、自己(セルフ1)は虚構で実態がないと仮説しているのでしょう。
 私は自分の自己の正体は心(セルフ3)と考えているので、自己(セルフ3)は実在しているどころか、他の人々と繋がっている同じ実体である。という仮説です。



 日本人は「お天道様が観ている」という感覚の方が大多数です。
 自分の正体は「脳」だと言われてもNOと感じる。でも自分の正体は「心(お天道様)」ですと言われると腑に落ちます。亡くなった親しい故人も、いつでも思い出した時は、心の中で一緒に生きていると言われると、そんな気がする。と腑に落ちる方が多いことでしょう。



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人生とは自分でルールを創造し、遊ぶゲームである

絶えざる再創作という考え方は、とりわけ次のことに思い至ったとき、目まいのような不安を誘う──このほら話がいったん暴かれたら、個人としてであれ社会としてであれ、私たちの振る舞いを判断する客観的かつ外的な尺度があるなどという考え方そのものが、非現実的であるだけでなく、まったくもって擁護できないものとなってしまうではないか、と。

その通りであり、私たちがその上に建物を築くことのできる強固な基礎というのは、結局のところ存在しない。

新たな思考や価値や行動を正当化したり吟味したりできるのは、過去の前例の数々という伝統の枠内でのみなのだ。

もちろん、どんな前例を当てはめるべきか、どの前例が優越すべきかは、ちょうど法律がそうであるように、論争の余地がある。それは、何でもありだという意味にはならないけれども、だがたしかに、私たちの生き方と社会を構築するのは、本来的に終わりのない、創造的な過程であることを意味する。

何をもって自分の意思決定や行動の基準とするかということ自体も、その同じ創造的過程の一部なのだ。

つまり人生とは自分たちで遊び、自分たちでルールを創作し、点数をつけるのも自分たちであるようなゲームなのだ。

これは悪夢のごとき相対主義、つまり、どんな立場も同じくらい正しく同じくらい疑わしいという思考をもたらす処方箋に見えるかもしれない。だが、その反対こそが真実だ。
https://gendai.media/articles/-/99308?page=2
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 人生が自分たちが創り出したゲームであるという意見も私は同意です。

 ただ私は、人はセルフ1という虚構設定で、どれだけセルフ3から離れられるか。そしてその離れたところから、本来の自分自身(セルフ3)に戻るか。という道のりを試したい。というゲームに思えます。

 私達が日々悩むことの本質は、実は虚構の悩みが多いです。
 もし今日私がこの世を離れるならば、置いておくことばかりの悩みです。
 これが虚構(セルフ1)の悩みです。

 でも死んでこの世を去っても私といるのが自分の心の良心(セルフ3)です。
 生きている時は、良心の呵責は、揉み消しながら人生の運転を続けることは出来ましたが、亡くなったあとは、もう虚構のセルフ1はリセットされているので、もし良心の呵責が残存しているのなら、それはキツイことなんじゃないかな。という仮説です。

 でももし良心が満足した人生の体験を描けたならば、その満足感はさぞかし幸福なことだろうと思います。
 「お天道様が観ている」というのは、まさに。と思うことだろう。そんな仮説の私的メモ。

 セルフ1の虚構ルールで生きていた時は、いろいろ苦労も悩みもあったけれど、そのゲームを終えて自分の人生を振り返ると。良心が満足の絵が描けるかどうか。というゲームは貴重な体験でありました。そんな仮説の私的メモ。




おまけ(読者の方によって教えて頂いたこと)
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おはようございます。まるぞうさんこの事件事故を記事にしてくださりありがとうございます。私には同い年の孫がいて重ね合わせると涙があふれるのです。私の孫も水筒を持って登園します。あれから朝、お線香をあげる時に氷を浮かべたお水と食べ物をお供えしています。冷たいジュースを飲む時に一緒に飲もうね、美味しいねと心で寄り添います。でも私にはその女の子を優しい観音様がよくがんばったねとお迎えにきて安心してニコニコしてるように思えるのです。ご両親の気持ちを考えると言葉もありませんが…。私はこれからも女の子に寄り添って生きていきたいです。

→ ありがとうございます。改めて御冥福をお祈りいたします。

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ちょっと大袈裟ですが、幾何学文様のように美しいです!
我らが日本語は、それをより可能にする言葉だと信じています。

→ 英国の学者の方も、日本語のような情緒言語(主語が曖昧)であれば、また一味違った仮説になったかもしれません。

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息子の保育園の園長先生は曹洞宗のお坊さんで、園ではそんな話は全くされないのですが、自ら運転して必ず毎回バスを掃除しています。美化センターも近いせいか、ゴミ出しも園長先生が軽トラックに乗ってやっています。有り難いな、と感じてます。
そしてヤクルトさんが会社の健康診断に行ったら、最後のお医者様の面談で、もう絶対打っちゃダメよ、病院でも打った人から感染していることが分かってるんだから、とかなり真剣に熱く語ったそうで、もう色々な潮目はかなりきているのかも、有り難いな、と感じました。そんな話を聞くとホッとします。お医者様が直に発言してくれると私も危険、とは言わないですが、誰かを傷つけずに言えそうです。

→ ありがとうございます。

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ここでは軽々に語ることはできませんが、思い当たる大きな要因として一つだけ言えるとしたら、「コミュニケーションの不足」でしょうか?
1日の流れの中で複数の職員が関わる場合、何よりも重要なのが情報の共有です。私の場合は、ほんの些細なことでも(このくらいは大丈夫)と思うようなことでも自分では判断せず必ず誰かに報告するように心がけています。
後は、「違和感を感じたらとりあえず確認(行動)をする」でしょうか?

「その一手間が事故を防ぐ」を心掛け、尚一層気を引き締めて仕事に臨みたいと思います。

亡くなったお子さんのご冥福をお祈りいたします。

→ ありがとうございます。本当に。。。

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国葬反対の声が日増しに多くなっているような印象を受けるニュース。賛成の声を上げてデモする人はいないもんね。。。と思ってたのですが、デジタル献花プロジェクトというものを立ち上げた方がおられ、さっそく献花させていただきました。

→ ありがとうございます。

デジタル献花プロジェクト
https://offering-flower.com/

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昨夜、保育士仲間が遊びに来ました。ゆかりと、梅酢もずくが好評でした。今、登園管理システムや0歳児午睡見守りシステムを導入している施設が増えていますが、0才児は目を離したら危険だし、登園は名前を呼び、顔を見ての確認と健康観察が大切と話が出ましたよ。今日は、今から娘と娘の友人が泊まりに来ます。また、ゆかり、梅干し、梅酢もずく、乳酸菌漬けも出す予定ですよ。まるぞうさんのブログを参考にいろいろ作っています。

→ ご馳走様です!

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第1回を視聴したのですが、共生と調和。違いを認めて共に生きる時代が、暮らしがあったのだと感じました。少女が命がけで遺した作品、没後100年そこに込められた想いが報われることを願いつつ、これからの新時代の生き方のヒントになればと思いました。
・100分de名著~知里幸恵“アイヌ神謡集”新(1)「アイヌの世界観」Eテレ (再)9/12(月)午前5:30~5:55 /第2回「語られる物語」としての神謡9/12(月)午後1:05~1:30
・詳細HP:名著123「アイヌ神謡集」知里幸恵
https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/blog/bl/pEwB9LAbAN/bp/pw2yRjpRjm/
>「アイヌ神謡集」を読み解いていくと、アイヌ文化の豊かさ、奥深さが浮かび上がってくる。例えば、神謡はすべて「カムイ」の視点から描かれている。「カムイ」は「神」と訳されるが、通常思い描く「神」とはまるで違う。アイヌにとって「カムイ」とは、動物、植物、鉱物など自然界のほぼすべてのものを指す。また人間が作った道具や衣服、住まいなども「カムイ」だ。そして「カムイ」は超越的な存在ではなく人間と全く対等にやりとりする。あらゆる存在がつながり、支え合い、時に罰し合う有機的な世界観がアイヌの豊かな文化を支えているのだ。第一回は、「沼貝」「キツネ」などの神謡を読み解くことで、あらゆる存在と共生するアイヌの豊かな世界観を明らかにする。

→ いつも情報ありがとうございます。録画セットいたしました。

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