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口論議論がなくなる理由。後編。



「口論や議論になる時は、相手が正しい」
という仮説の裏には
「自分が正しい場合は、口論や議論にならない」
という事象が観察されます。

自分が正しい場合は、自分の主張を表現することで相手から共感が得られるからでありますが、そうならない場合は、それは自分が間違っている。私個人の経験ではその仮説が正しいと自分自身で自戒しています。

そもそも、私達は自分たちが思っているほどには、人と口論や議論をすることは少ないのであります。昨日はその事象を2つ考察してみました。

事象1:そもそも個人の好みや生き方の信条は、人それぞれ違っているものであるから、とやかく相手に干渉することではない。

事象2:相手が自分を否定するカチンと来る意見は、多分重要な警告が含まれているので、その場では反論せず2日は自分の中で熟成させる。



人が議論や口論をする可能性がる場合は、相手が自分を誤解していて、それを正そうとするケースがあるかもしれません。

「それはだから誤解だって」

「いや、違う、お前は昔からそういう奴だ」

こういうやり取りもあるかもしれません。
ただし私の経験では、人が自分を誤解する場合、その誤解を相手に解くのは期待することはまず出来ないということです。

もちろん事実だけは淡々と説明する必要はあります。何が起こっていたのかという事実は。しかしそれでも相手が自分を誤解しているのであれば、それはもう黙って甘んじて受けるのが一番早道であります。

そもそも人が私を誤解するということは、それまでの付き合いでいろいろ感情的に私に思うところがあったのが土壌としてあるのでした。
今回相手が「誤解している」というのは、単純に相手の不信感が一気に爆発した表面的なきっかけの事実一つに過ぎません。

人が誰かを誤解するというのは、本当はとても根が深い感情的な不信感の蓄積であります。

だから、事実を淡々と説明したのち、それでも相手が自分への誤解や不信感を持ち続けるのであれば、それはもう黙って真正面から受け切るのが、昇華に対する一番早い方法であります。私の経験則上。

事象3:相手が誤解している場合、1度だけ淡々と事実は述べことはあっても、言い訳はしない。相手の不信感は言い訳せず黙って受け切る。



言い訳をしないで黙って受け切るというのは、日本神話のスサノオの態度に似ているように思います。日本人が昔から潔しとしている生き方です。
そもそも誤解を受けて言い訳をしなければならないという点で、もうそれは自分が負けなのです。



私は若い頃は本当に傲慢で人からの信用を得られない人間でありました。
「他の人が言うなら信じられるが、まるぞうが言うことなら同じ内容でも信じられない」
サラリーマン時代は、何人もの上司にそう言われておりました。

大会社のサラリーマンを辞め、自分で小さな会社を経営するに至り、人から信用されないことは、本当に致命的であることが身に染みました。そしてどうやれば、人から信用を受けられるか、生まれて初めて努力しました。そして10年たち、ようやく他の人と同じくらいには、信用を頂けるぐらいにはもって行けるようになったでしょうか。

人から信用を受ける方針として、

1,時間は必ず守る
2,きちんとした服装をする

まず私が全くできていないこの2点を直すようにしました。
時間を守らないというのはもう社会人として言語道断でありますが、かつての私は、遅刻しても当然という意識で仕事していました。
また服装についても高い服である必要はありませんが、人から信用を受けるという服装があるのです。
社外の人と会う時は、紺系のスーツと白系のワイシャツ落ち着いたネクタイ。そして靴だけはきちんと磨く。こんなことだ重要だなんて気がつくのに、随分遠回りしました。
多分忠告してくれた人はいたと思いますが、傲慢な私は、自分の言い訳だけ主張して、聞く耳はもたなかったことでしょう。

3,人の悪口は言わない
4,自分の言い訳はしない

これは自分にとっては、厳しい掟でありますが、自分が人から信用を失う一番の原因が、どうもこの2つであるらしいのです。
会社の資金繰りのため、結局回り回って人から信用されるためには、どうしても必要な条件でありました。

5,関係者に一言、仁義をきる

私はホウレンソウ(報告連絡相談)が全く苦手でありました。しかしそれはやはり私がバカチンであった証拠であります。
最終的にその人が信頼されるかどうかの決めては、きちんと周囲の人に事前に筋を通しておくということでした。

これは最悪事態を想定し事前に備える。という考え方と同じです。関係している人には、手を抜かず、事前に一言。この一言だけという行為が、本当に将来のリスクをぐっと激減させてくれます。

こんなアタリマエのことがわかるのに、私は本当にバカチンの回り道をずっとしてきておりました。

事象4:自分が正しい場合は口論や議論にならない。ためには日頃から自分が信頼される人間になろうとする努力が土台。



さて「議論になる時は自分が間違っている」という仮説について、個人的な人生論の考察をしてきましたが、一つだけ重要なことがあります。

それは、会社の事業ビジネスに関わることと、犯罪や暴力に関係するこについては、これらは必ずしも当てはまらないということです。

ビジネスの契約上では、誤解されたまま黙っていることが美徳とはなりません。
また暴力者や犯罪者相手では、きちんと身を守る努力が何より優先されます。
1,暴力や犯罪に巻き込まれない事前の想定。
2,それでも、そばに暴力や犯罪近づいた場合は、逃げる。距離を置く。
3,それでも、やむを得なく暴力や犯罪に巻き込まれたら、警察や法律の専門家にすぐ相談する。

彼らに対しては、議論や口論の美学は通じません。


事象5:ビジネスや商売の契約についてはきちんとビジネスライクに筋を通すこと。暴力や犯罪については、警察や法律専門家に相談すること。



事象1〜4のような備忘メモがとりあえず残せるということは、私のようなバカチンでありましても、人生の回り道はそれなりに意味があったのかもしれません。やはり人生とは捨てたものではありません。うむ。



 ありがとうございます。





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