徳兵衛、狂人の頭の中

C-PTSDを病む四十男です。このブログは、時事に関して、言いたい放題に言い放していくブログです。よろしく!

韓国の常識ある『佛教者』

2014-01-21 23:37:35 | 徳兵衛、仏教を学ぶ
盗難仏像、韓国の僧侶が日本への返還求めて提訴(読売新聞) - goo ニュース

韓国では、今もなお佛教人口が多い、データーによると、

宗教人口の42.9%だといことだ。

ダントツの1位。

そんな中で、「良識ある佛教者」の提訴が、ニュースになった。

韓国の国民感情から言えば、「リンチ」やお寺の「放火」に遭ってもおかしくないくらいの行為だ。

だが、佛教が浸透しているお蔭か、そのような物騒なニュースは無い様だ。

これは、ちょっと韓国を見直した。

このまま、無事返還されれば、さらに好感度アップすることだろう。

このままでは、「盗人韓国」の汚名を着たまま、関係は冷え込んだままだろう。

政治・経済・文化の各方面で関係改善を願いたい限りだ。



盗難に遭った「如来立像」






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ただ今は・・・

2013-04-11 22:23:04 | 徳兵衛、仏教を学ぶ
学習を進めようとしておりますが、病が邪魔してなかなか進みません。

そうだねぇ~、日に一時間無いね勉強できる体調になるのは。

ほとほと困っております。

今回の入院では、「歎異抄」「親鸞」を課題に加えておりますが、

ぜんぜんダメ。

このおバカ

薬はとりあえず土曜日まで処方が出てしまっているので、

改善がみられるとすれば、土曜以降という事になります。

学習への道のりは遠い・・・




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「認識主体としてのプトガラの存在に関する批判」備忘録

2013-03-12 22:29:13 | 徳兵衛、仏教を学ぶ
今回の「認識主体としてのプトガラの存在に関する批判」という論文を読んでの気付きです。

まっ、消化できたものから書いてます。



○犢子部はプトガラが「六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の総称)の

いずれのよっても認識される実有(佛教では世の中のもの全ては、因縁によって成り立っていて

それ単体で組織されているものではない、という考えだが、実有はそれ単体で成り立っている。

という考え)である。」と説いている。

たとえば、犢子部は、「プトガラは眼識によって認識される」と、しているが、続けて

「プトガラは『色』を特相としていないので、

諸色であるとも、ないとも説くことができない。」としている。しかし、プトガラが

「諸色に縁って眼識により認識される」としているので、プトガラ自体は実体ではなく、

仮有(因縁によって成り立っていて、それ自体、本質的な実体性を持っていない仮の存在である

こと↔実体)の存在であると言える。


○「プトガラを了得(さとる)する(原)因が諸色である」としているが、①「諸色を了得する

時にプトガラが必要」なのか、または②「プトガラを了得する時に諸色が必要」なのか。

①-では、諸色とプトガラが別もののように説かれているが、二つは「不一・不異」の

関係である。そして、「両者は別ものであると説かれるべきでない」と加説してある。

この二説は矛盾しないのか?

②-では、眼識は『色』しか認識しないことが前提となっている。プトガラと色との関係は、

「不一・不異」であるならば、少なくともプトガラは、「色であるとも、

色でないとも言えない」ことになり、これもまた矛盾をはらんでいることになる。

また、色を了得する眼識によって、プトガラが了得されるならば、プトガラと色とは

同一の体である、といえる。そして、プトガラと色とが同一の体ならば、「これが色である、

これがプトガラである」という区別ま無くなるはずである。



というところまでが、私が消化した部分です。

これまたあまり、万人受けしない内容ですが、なにか





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「プトガラの摂属をめぐるプトガラ説批判」備忘録

2013-03-10 15:18:28 | 徳兵衛、仏教を学ぶ
プトガラというのは、インド佛教の「犢子部(とくしぶ)」という集団が立てた

「輪廻する魂」の様なものです。

その説は非常に特殊でつまびらかに見ると、矛盾をはらんでいるように見えます。

私はこの説に興味を持って、いろいろ調べてきました。

『徳兵衛、仏教を学ぶ』のカテゴリーで過去のものは見ることができます。

立川談志が「学問は貧乏人の暇つぶし」と、

言っていますが、まさしくその通りになっています。トホホ・・・

以下に書きますのは、犢子部の「プトガラ説の矛盾」を

突いた論文で、私が納得したものから「備忘録」として書くものです。

前置きが長い・・・

まっ、事故で「死に損ない」になった私が、「死とは?」、「生とは?」と、

疑問を持った事から始まった学習です。




「プトガラの摂属をめぐるプトガラ説批判」からの気付き・・・

○佛教では一切の法(人間の全ての働きと感覚器官)は、

「十二処(眼・耳・鼻・舌・身・意の六根と色・声・香・味・触・法の六境の十二)」に

所属するから、もしプトガラが、この十二に所属するはずである。

もし、所属しるならば、プトガラは可説になるので、プトガラの定義である、

「プトガラは説くべからず」という定義に反するから、

プトガラの定義は崩れることになるので、プトガラは存在しないことになる。


○プトガラ説は「不可説(説くべからずという説)」であるから、

第五(現在・過去・未来・無為の次の「不可説」)であるともないとも、

説くことができない(と、犢子部はとなえている)から、プトガラ説が成り立たないので、

プトガラは存在しない。


○プトガラは五法蔵(現在・過去・未来・無為・不可の五つの法蔵)であるとすれば、

プトガラは「第五法蔵である」と説くことができる「可説」になるので、

プトガラは五つの法蔵の外であるはずであるから、

逆に五つの外の存在は存在しないことになるから、プトガラは存在しないことになる。

また、犢子部は次のように唱える。

「燃焼中の木片そのものが『薪』であり、『火』である」と。

これをプトガラとその他四つの法蔵に置換すると、このすべて五つは別ものでないことを

説いているので、プトガラは「可説」となるので、プトガラの定義は矛盾するので、

プトガラは存在しない。


と、とりあえず「犢子部」が、掲げる「プトガラ説」の矛盾のさわりと紐解いでみました。

まだあるのですが、とりあえず消化したものから紹介してみました。

まっ、自慰的なブログですが何か




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大学図書館

2013-02-14 21:03:39 | 徳兵衛、仏教を学ぶ
自助グループの集まりの後、自転車を駆って大学図書館へ

閉館一時間前に到着

図書二冊を部分的にコピーしました。

途中で、「こいつら、普通の学生なんだろうな」と羨みつつ複写しておりました。

まっ、一年前までは私も学生してましたが・・・

普通ではありませんでした、ハイ。

図書館を後にして、いつのもスタバに行って「さて学習を、」と思ったのですが、

どうもおかしい・・・

寝不足です。

そういえば、4,5時間しか寝てません

仕方なく、いつもより短い時間で切り上げて、珈琲を頂いております。

コピーした図書は「プトガラ」に関する図書です。

それもずいぶん昔のものです。

読むのに骨が折れそうです。





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