彼のHIVと私の太陽

2011年夫がAIDSを発症しました。2018年無事です。

通院記録 1

2011-07-26 09:36:15 | 通院記録
1回目通院は、退院してから10日目。

レントゲン→問題なし
血液検査→2回目CD4検査

1回目CD4検査結果(入院中、私が廊下に出た不自然なとき)
 →CD4 44.7個  ウイルス量 280,000コピー/ml

バクタの副作用は、少しの発疹。でも、問題なしとのこと。

注意事項として、 
手洗い・うがいの習慣が大事であることと、生もの(刺身等)はダメ。

お寿司は、並が好きな人なので、特に食べなくても問題なし。
いか・たこ・えびが好きなの。高価なお魚は、あまり好きじゃない。
でも、私は、まぐろ、うに、貝類もう何でも大好きなので、一緒に食べに行けないのは残念です。
友達と行くので、問題なし。

タバコがやめられたのは、良かったと思う。
本人は、まだ吸いたい気持ちになると言ったけど、先生にも止められた。
呼吸器系担当の医師だもの、止めるの当たり前。

猫を飼っているので、トキソプラズマに注意ということ。
夫の家は、彼が子どものころから何匹も飼っていて、今と違って外猫OKの時代だったのに、
血液検査でトキソプラズマは発見しなかったらしい。
今は、家猫なので、問題ないだろう。
でも、ひっかかれるのは、まずいらしい。
猫はかわいい。家の中が、ほんわかするよ。
助けてもらってる。彼も、私も。
犬もいる。犬にも助けてもらってる私たち。

水様便にも注意。欺瞞性腸炎っていうのがあるらしい。
自分でチェックしないとね。

今回お薬追加。
サイトメガロウイルス(CMV)感染症の3週間の治療が始まる。
バクタ・ウルソはそのままで、バリキサ朝夕1回2錠。
HIVのお薬は、この時はまだでした。
早く飲めたらいいなと思いました。


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小学六年生

2011-07-25 20:45:04 | 思い出
夫がエイズを発症した今までを書いてきて、書く前と書いた後の気持ちが、全然違います。
これは、たくさんの人に読んでもらったおかげで、私の気持ちがたくさんの人に共有されて
楽になったんだと思います。書くことって、ブログって、すごいですね。
私のつたない文章を読んで同じ気持ちを共有してくださり、みなさん、ありがとう。
今は心がとても安定していて、夫にも優しくできています。
夫は、いまのところ元気に仕事しています。ありがたいことです。

コメント欄で、「セーフセックス」という言葉が出てから、遠い昔を思い出しました。
「セックス」という言葉を知ったあの時。
私は、昭和30年代後半生まれなので、時代は昭和40年後半から50年くらいのとき、小学6年生でした。
放課後の教室で、一人の男の子が黒板を使って、私たちに講義を始めました。
そう、阿部君。顔も覚えてるよ。
お父さんの週刊誌、家でこっそり読んだって言ってた。
どういう内容だったかは思い出せないけど、そのときの教室の雰囲気は思い出せる。
みんな、必死に真剣に聞いていた。
説明がうまかったんだよね。
いやらしい感じが残っていない。
それは、その後の私のセックスライフに大きく影響したと思う。
親も、先生も教えてくれなかった。
阿部君、ありがとう。

みなさんは、どんなふうに「セックス」を知りましたか?


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夏至の日に

2011-07-17 15:38:42 | 入院生活
夫に聞きたいことを聞いて、言いたいことを言って、
夫の苦悩を聞いて、泣いてすっきりした私たちは、
やっと冷静にこれからのことを話せるようになりました。

遅かれ早かれ、人間は、平等に、病気になって、ひとりで、死んでいく。
彼はいままでの健康診断にたまたま引っかからずにきたけれど、
今病気がわかった。
ただ、それだけだよね。

今までも、いろんなことあったよね。
そのたびに、二人で、合言葉のようにして乗り越えてきた。

「神様は、その人が、乗り越えられる試練しか与えない。」

きっと、これは乗り越えられる試練。
今は、幸せになる考え方をいっぱいしよう。
不幸の数を数えないで、幸せの数を数えていこう。

「私たち、そんなに悪いことしてきたのかなあ」と思ったけど、
「今の試練は、未来への貯金だよ」って言ってくれる人もいたよ。
「未来への貯金」と思えば、前向きに、がんばれるね。

これからいろいろな事がある。
2ヵ月後、半年後、1年後、2年後、5年後、
彼は、私の目の前から居なくなってしまうかもしれません。
でも、今は確実に目の前に居る。

「なんか美味しいもの、ごちそうして。」と私は言いました。
「入院してたから、結婚記念日お祝いしてなかったね。ふんぱつします。」
「とーぜん」

夏至の日が、私たち夫婦の新たなステージの始まりになりました。


読んでくださり、ありがとう御座います。
これからは、通院記録や、日記になります。


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退院後

2011-07-15 15:40:18 | 入院生活
退院後、やっぱり聞いておかなければいけないと思った私は、夫を誘い、
ホテルのラウンジへ行きました。
家で話をしたら、大声を出して、いつもの夫婦喧嘩のようになりそうだったので、
他人がいて、冷静に話ができそうな場所にしました。
私たち夫婦は、ここ何年かは、お互い勝手に好きなことを、別々にやっている感じで、
いろいろ生活していく上で、意見も合わず、喧嘩も多く、お互いをうんざりしていたのです。
ですから、その時にやっと、彼に他の誰かがいても、おかしくないと思いました。

「特定な人がいるの?」
「いない。」
「じゃあ、なに。」
「風俗だよ。」
「・・・。」
「自業自得。罰があたったんだよ。」と、夫が言いました。
「・・・。」
「離婚されてもしょうがないよ。」
苦しそうに話す夫に、何も言えませんでした。
もうすでに、自分で、自分自身を裁いている彼、
もうすでに、病気になって苦しんでいる彼。
私じゃない、
本人が、一番辛いのです。
男のプライドもあったもんじゃないでしょう。
彼は、身も心もすでにボロボロだったのです。

それなのに、私は裁こうとしている。
私が彼を裁くことができるの?

でも、なんで夫なんだろう。
風俗に行ったのは、夫だけじゃないよね。
私たちって、よっぽど悪いことしてきたのかなあ。
まあ、いいことだってしてないね。
その時人目をはばからず、二人で泣きました。


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退院

2011-07-15 14:23:24 | 入院生活
夫は、無事に退院することが出来ました。
病院の先生や、看護師さん、事務の方、薬剤師さん、いろんな人の温かい気持ちにふれて、
私たち夫婦は感謝でいっぱいでした。
生まれて初めての入院生活を送った夫も、
「看護師さんは自分の病気を知っているだろうに、採血するときも、いつでも変わらず優しい。
マザーテレサのようだ。」と感激していました。
私に冷たい態度を取られ、どことなく負い目を感じている彼にとって、
目の前にいる看護師さんは、マザーテレサそのものに見えたと納得しました。

主治医にも、恵まれました。
ネットでいろんな情報を集め、頭でっかちになり、夫が死んでしまう恐怖に苦しんでいる私にも、
「今は、慢性疾患と同じですよ」と、安心するような言葉を掛けてくれます。
もちろん50代でエイズを発症したら、同じではないだろうけれど、
「きっと完治できる薬も開発されますよ。それまで、頑張っていきましょう。」
と、言ってくれて、私たち夫婦に希望を与えてくれます。
ちょっと発疹が出たりすると、すぐ心配で主治医に訴えたりしても、
「そのくらい、大丈夫ですよ。問題ありません。」と軽く言われるだけで、安心できました。
いつも明るく接してもらうことで、どんなに私たちは救われたでしょうか。

彼の入院のおかげで、たくさんの人々に支えられて生活しているのだと、本当に改めて実感しました。
ありがたいことばかりであると・・・。

退院時の薬は、バクター朝1錠・ウルソ朝昼夕各1錠でした。


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