彼のHIVと私の太陽

2011年夫がAIDSを発症しました。2018年無事です。

時間どろぼう

2011-12-11 22:42:58 | 日記
久しぶりの更新になってしまいました
夫は、ありがたいことに無事に毎日を過ごせています
こうしてHIVには関係のない話題をも、ブログに書ける現状に感謝します

師走に入ってもう10日も過ぎてしまいました
あまりにも時間の経つのが早いので、もしかしたら時間貯蓄銀行の灰色の男に時間を盗まれているのかもと思い、ミヒャエル・エンデ作の「モモ~時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」を2回も読んで確認してしまいました
映画「モモ」まで観てしまいました(笑)
この一ヶ月、「時間」についていろいろ考えていました・・・「時間」っていったいなんだろう・・・
「無駄な時間をなくして、効率よく仕事をする」とか、「時は金なり」「時間を節約することは大切」とか・・・

本当にそうなんだろうか・・・

訳者のあとがきにこう書いてありました
「主人公のモモは、年齢も素性もわからない浮浪児。本来、現代のように完全に組織されてしまった社会は、浮浪児というものの存在を許さない。
ですからここではモモは、管理された文明社会のわくの中に組み込まれていない人間、現代人が失ってしまったものをまだ豊かに持っている自然のままの人間の、いわばシンボルのような子ども。
相手の話をじっと聞くことによって、その人に自分自身を取り戻させることのできる不思議な能力、宇宙の音楽をききとり、星々の声に耳をかたむけることのできる能力を持ったモモは、人間に生きることの本当の意味を再びさとらせるために、この世に送られてきたのでしょう。
ところがこのモモをとりまく世界は、「灰色の男たち」という奇妙な病菌におかされはじめている。
人々は「よい暮らし」のためと信じて必死で時間を倹約し、おいたてられるようにせかせかと生きている。
子どもたちまで遊びを奪われ、「将来のためになる」勉強を強制される。
この病気の原因に気づいて警告しようとする人は、狂人として精神病院に隔離される。
夢に生きている人は、この世界では巨大な情報産業におどらされる操り人形のようになる。
こうして人々は時間をうばわれることによって、本当の意味での「生きること」をうばわれ、心の中は貧しくなり、荒廃してゆく。
それとともに、見せ掛けの能率のよさと繁栄とはうらはらに、都会の光景は砂漠と化してゆく。」

私が小学生だったころは、時間はたっぷりありました
テレビゲームも携帯電話もパソコンもない時代・・・
学校の休みの日にはベッドに横になりながら、何時間でも窓の外の青空に浮かんだ雲を眺めているのが好きでした(勉強などしない)
そして、その雲の形がいろいろ変化していくのを初めて発見したときの感動を今でも覚えています
何するわけでもなく、「ボー」っとする時間も多かったです
歳を重ねていくたびに、そういう時間はいつのまにか無くなっていきました

この「モモ」は1973年に世に出たのですが、今の時代のことのように思えるのです
物語では、モモによって人々には再び時間がたっぷりあるようになり、心ゆたかな生活に戻っていくわけですが、本当に考えさせられる児童文学です
本当は、私たちの生活において「無駄な時間」など一秒もなくて、全てが人生に意味ある貴重な「時間」であるんだよなと思いなおしました
どんな状況でも、「心ゆたか」でありたいと強く思います

2回も児童書(小学5,6年生対象)を読み直したり、映画まで観たりする時間があるということは、
結局時間どろぼうに時間を盗まれてはいなかったのですよね~(笑)


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