大橋社労士の気まま日記

仕事上のエピソードや日常の出来事、日頃興味を持ったことなどを随時ご紹介していきます。

京都の観光案内

2012-02-01 08:46:42 | Weblog
かつて京都に在住していた時(大学時代)に、京都の観光案内のバイトを少しかじったことがあります。
少しかじった・・という表現には訳があります。(以下の話の中で語ります。)

せっかく歴史深い「国際観光都市」である京都にいるのですから、旅行会社に勤務していた父親の遺伝子か元々旅行が大好きだった私が、「観光案内」のバイト募集の記事を見逃すわけはありません。
そこは、京都にある大学の学生が集まって組織されている「ガイドクラブ」でした。
主に修学旅行生のガイドを担当していました。
そうそう、当時何気なく自分の小学校時の修学旅行(行先は京都・奈良)の写真などを見返していたら、その「ガイドクラブ」の腕章をした人が写っていました!!ので、何とかも多少の縁・・っていうやつですかね。

さて、早速意気揚々とガイドクラブの門を叩いて、ほどなく「研修」が始まりました。
そりゃあ寺院だけでも無数にあるような歴史ある京都の街ですから、当然に研修でもなければガイドなんてできません。
が、その研修期間が異様に長い!
最初に「座学」が3ヶ月ちょっと。その後、「実地研修」や「バス教習」も含めてざっと4ヶ月以上!
それにしても、想像以上に京都という街は奥が深いのです。
これまでいかに“表面的にしか”観光していなかったかを思い知らされました。
(「金閣寺」だけでノート5ページ分ぐらいの情報量を習うのですから・・・。)

で、研修の回を追うごとに恐るべき実態(?)が明らかになっていきました。
そこはいわゆる伝統的に“体育会系”のノリでして、上下関係がやけに厳しい。
まあ単に厳しいのだけなら全然いいのですが、先輩はやたら威張っているし、常に上から目線で、ガイドの仕方も先輩から言われたとおりに教わった通りのことをしゃべらないと、ものすごい罵声を浴びせられたりするわけです。
とりあえず「自分のやりたい観光案内」ではない! と思いまして。
もちろんこの長い研修期間はデビュー前なので、当然のごとくお金は一切もらえません。むしろ「教材費」や「交通費」で出ていくばかり。
まあ、それでも色々な歴史やいわれなどが深く学べるということで、頑張って耐えながら在籍していましたが、入って4ヶ月目くらいの「バス教習」の際に、自分の「ガイドの仕方」をこれでもかと半ばイジメのようにケチをつけられて激しい罵声が飛び交いまして、さすがにキレました。
そりゃあ下手な「ガイド」だったでしょうからそれはいいのですが、そういう意味ではなく、自分の案内の仕方というより「自分」そのものを深く傷つけられたような気がして(当時)それが耐えられなかったわけです。

というわけで、学ぶだけ学んで辞めた(笑)のです。
ちなみに、最初の説明会に来ていた人数の半分がまず第1回目の教習が終わった後に消え、残った半分くらいもその後2週間以内に消え、およそ3ヶ月後の「実地研修」の際に残っていたのは、最初の人数の約10分の1弱の8人ぐらいだったと記憶しています。
いかにスゴイ世界だったかおわかりでしょう。

そんな色々な思い出(中にははかない恋の思い出も・・(笑))の詰まったその時の「教習ノート」が、先日本棚の整理をした時に出てきまして、ある意味懐かしく思いましたのでここで紹介したというわけです。
(ノートの「字」が今よりも明らかに上手だったのは笑えました!)

思えば、「人前で話す度胸」というのはこの時についたのかもしれません。
ある意味貴重でよい経験だったのかもしれません。
少なくとも、京都という街についてより深く知ることができ、今でもそのエッセンスやトリビア的な「小ネタ」(「みたらし団子のいわれ」や「神社の参道で真中を空ける理由」や「弘法も筆の誤りの起源」など。言い出したらキリがないので、またいつか時を改めて紹介します。)は使えていますので、人生においては「いい期間」だったのかもしれません。

そういったことはともかく、人生初の一人暮らしで青春の真っただ中(?)だった京都の街は何かと懐かしいです。
思えばもうずいぶん時が経ちますが、つい最近のことのように思い出されます。
昨年までは「大阪での仕事」があって、およそ年に1回大阪方面に行っていましたので、そのついでに時間の許す限り京都に「チョイ寄り」をしたりしていました。
伝統ある街も行く度少しずつ変わっているのがおもしろい所でしたが、もうその「仕事」もないので、ある意味ちょっと寂しいです。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする