(特に名刺交換をした際に名刺の住所を見て)よく次のように尋ねられる。「元々こちらの方なのですか?」と。
「いいえ。出身は愛知県です。」と答えると、判で押したように「なぜ国分寺で開業されたのですか?」とくる。
この質問は答えが非常に難しい。このブログを頻繁にご覧の方や私をよく知る人は、ここに至るまでの経緯が複雑であることはよくご存知のはず。まあ、つまりひと言で説明がつかないということですね。これは自分の生い立ちから学生時代のこと、そして卒業後の職歴から資格を取るまでの経緯なんかに至るまでのことを話さないと答えが出せないのです。
では、ここでなるべく簡単に説明いたしましょう。
大学を卒業後に入社した会社は東京が本社の会社でした。一人っ子の長男ということもあり、大学を卒業したら地元に戻る予定でしたが、時はバブル崩壊後の就職氷河期。もちろん自分の力不足もあったのですが、全く就職が決まらず、土壇場で何とか引っ掛かったのがこの会社(結局独立前までこの会社に勤めることになるのですが)。
で、どういうわけか最初の配属先が大阪に。総務部に配属になり、そこで任された仕事が「給与計算・社会保険事務・人事労務に関すること」だったのです。
入社後3年ほど経ち、そこそこ仕事にも慣れてきた頃。ふと考えました。「このままこの会社にずっといたとして自分はどうなるだろう?」と。別な言い方をすれば、この先課長になり部長になるという想像がまるでできなかったのです。
折しも会社の体制が変わり、少しずつ将来の不安も頭をかすめるようになってきました。
「とりあえず国家資格を取ろう!」と思いました。自分の今やっている仕事に近いものの方が取りやすいだろう。というわけで、調べてたどり着いたのが「社会保険労務士」。もし合格したら独立開業することしか頭にはありませんでした。
(実は受験を志すまでこういう資格が存在することを知らなかったのです・・。)
軽く志したものの、いざ勉強を始めてみると、これが非常に難しい。合格率8~9%ですし、仕事をしながらだとなかなか勉強時間が取れない。
で、結局資格を取るのに4年も費やしてしまったのです。
その間に自身は本社のある東京に異動となっていました。本当は会社(西新宿)に少しでも近い所ということで杉並区あたりに住もうと思っていましたが、とても家賃が高くあきらめることに。次いで、なるべく通いやすい中央線沿線で郊外の方でと思っていたら、当時の上司がネットで2~3物件を探してくれまして、それが国分寺だったのです。
何というか都会と田舎がごっちゃに混ざったような土地柄が何となく気に入り、また家探しにあまり時間もかけたくないので住むことにしました。
ですから、国分寺に住んでいるのはたまたまなのです。いわば偶然の積み重ねで何となく住み始めて住みついてしまったということなのです。
もっといえば、地元での就職がかなわなかった結果、大阪を経てたどり着いたのがここなのです。
では、「なぜ独立開業にあたって地元に帰らなかったか?」ですが、答えは簡単。仕事をする上でのつてや人脈が名古屋には全くなかったからです。開業したのは東京生活がちょうど3年の時。決して人脈がたくさんあったわけではありませんが、全くのゼロから始めるより1か2ぐらいから始められるかなあと思ったのです。
言ってみれば、これも偶然のつみかさねです。もし、大阪にいた時に合格していれば大阪で開業していたことでしょうし、そもそもその場合、東京(国分寺)という地に足を踏み入れることはなかったでしょうから不思議なものです。
「たら・れば」を言ってはいけませんが、もし社会に出て最初に与えられた仕事が経理的なことだったら会計士か税理士になっていたかもしれませんし、飲食関係の部門だったら今ごろ飲食店を経営しているかもしれませんから、人生とは本当にわからないものです。
だから、今から5年後とかに今まで全然住んだことのない土地で、全く違う仕事をしている可能性だってあるわけですね。
簡単に・・と言っておきながらけっこう長くなってしまいましたが、ご理解頂けましたでしょうか?
「いいえ。出身は愛知県です。」と答えると、判で押したように「なぜ国分寺で開業されたのですか?」とくる。
この質問は答えが非常に難しい。このブログを頻繁にご覧の方や私をよく知る人は、ここに至るまでの経緯が複雑であることはよくご存知のはず。まあ、つまりひと言で説明がつかないということですね。これは自分の生い立ちから学生時代のこと、そして卒業後の職歴から資格を取るまでの経緯なんかに至るまでのことを話さないと答えが出せないのです。
では、ここでなるべく簡単に説明いたしましょう。
大学を卒業後に入社した会社は東京が本社の会社でした。一人っ子の長男ということもあり、大学を卒業したら地元に戻る予定でしたが、時はバブル崩壊後の就職氷河期。もちろん自分の力不足もあったのですが、全く就職が決まらず、土壇場で何とか引っ掛かったのがこの会社(結局独立前までこの会社に勤めることになるのですが)。
で、どういうわけか最初の配属先が大阪に。総務部に配属になり、そこで任された仕事が「給与計算・社会保険事務・人事労務に関すること」だったのです。
入社後3年ほど経ち、そこそこ仕事にも慣れてきた頃。ふと考えました。「このままこの会社にずっといたとして自分はどうなるだろう?」と。別な言い方をすれば、この先課長になり部長になるという想像がまるでできなかったのです。
折しも会社の体制が変わり、少しずつ将来の不安も頭をかすめるようになってきました。
「とりあえず国家資格を取ろう!」と思いました。自分の今やっている仕事に近いものの方が取りやすいだろう。というわけで、調べてたどり着いたのが「社会保険労務士」。もし合格したら独立開業することしか頭にはありませんでした。
(実は受験を志すまでこういう資格が存在することを知らなかったのです・・。)
軽く志したものの、いざ勉強を始めてみると、これが非常に難しい。合格率8~9%ですし、仕事をしながらだとなかなか勉強時間が取れない。
で、結局資格を取るのに4年も費やしてしまったのです。
その間に自身は本社のある東京に異動となっていました。本当は会社(西新宿)に少しでも近い所ということで杉並区あたりに住もうと思っていましたが、とても家賃が高くあきらめることに。次いで、なるべく通いやすい中央線沿線で郊外の方でと思っていたら、当時の上司がネットで2~3物件を探してくれまして、それが国分寺だったのです。
何というか都会と田舎がごっちゃに混ざったような土地柄が何となく気に入り、また家探しにあまり時間もかけたくないので住むことにしました。
ですから、国分寺に住んでいるのはたまたまなのです。いわば偶然の積み重ねで何となく住み始めて住みついてしまったということなのです。
もっといえば、地元での就職がかなわなかった結果、大阪を経てたどり着いたのがここなのです。
では、「なぜ独立開業にあたって地元に帰らなかったか?」ですが、答えは簡単。仕事をする上でのつてや人脈が名古屋には全くなかったからです。開業したのは東京生活がちょうど3年の時。決して人脈がたくさんあったわけではありませんが、全くのゼロから始めるより1か2ぐらいから始められるかなあと思ったのです。
言ってみれば、これも偶然のつみかさねです。もし、大阪にいた時に合格していれば大阪で開業していたことでしょうし、そもそもその場合、東京(国分寺)という地に足を踏み入れることはなかったでしょうから不思議なものです。
「たら・れば」を言ってはいけませんが、もし社会に出て最初に与えられた仕事が経理的なことだったら会計士か税理士になっていたかもしれませんし、飲食関係の部門だったら今ごろ飲食店を経営しているかもしれませんから、人生とは本当にわからないものです。
だから、今から5年後とかに今まで全然住んだことのない土地で、全く違う仕事をしている可能性だってあるわけですね。
簡単に・・と言っておきながらけっこう長くなってしまいましたが、ご理解頂けましたでしょうか?