グラの気ままに徒然日記

日々の菜園アクティビティ、旅先での思い出コレクッションetc.

大正時代にタイムスリップ

2019年12月30日 17時04分01秒 | 旅行

 

リタイア組2人、現役4人と元職場の男共6人での年忘れ旅  ~ パック旅行みたいなものでどこへ行くのも皆リーダー任せ 

行先は明智鉄道で行く日本大正村だった

 

↓は 恵那駅でいただいた素敵なパンフ 全ページスケッチ付きで紹介

 

 

明智鉄道は恵那駅から11の駅で繋がれていて最終明智駅まで約1時間と短いです。傾斜角度も日本一らしいです。↙下は乗車券の裏表です。

 

日本大正村 明智駅 ~ ポストの隣に駅員キャラ、右手には駅長さんが焼く焼き芋機。その隣のハイカラさんは切れてしまってます、残念。

 車庫にはSL C12型が展示されていたと帰宅後知りました

 広い駅前から真直ぐに国道を渡り八王子神社方向へ。橋を渡らず右折。

 すぐにまた橋が・・・

白壁土蔵と鉄柵で大正レトロモダンな路地に でも渡らず川に沿って・・・

 3つ目の橋のたもとをハイカラさんが通る

 大正浪漫亭 あの看板は?

 令和2年大河ドラマは“敵ハ本能寺ニアリ!!!”ダー

 『なりきりハイカラさんコース』だよね。 新緑ならもっといいかも( ^ω^)・・・

 

 石畳が素敵な大正路地 をテクテク・・・! 

 ・・・大正村役場 2回は展示室。現在の村長は竹下景子さんで3代目。因みに初代は高峰秀子さんで2代目は司洋子さん。

 2階に保存されている部屋。村長室ですかねえ

  坂道を登り大正路地の突き当りは絵画館(大正村記念館)・・・元小学校跡

 館内はさほど広くなく 澤田正春の世界 大正村の歴史 が展示されていました。

 画家澤田氏が村おこしに声をあげても耳を傾けることのなかった村人も徐々に澤田氏の訴えを傾聴していき大正村が誕生したという意味のことが分かりました。

 

 

 

次に大正浪漫館 

バラ園に囲まれています。春は違った風情となるでしょうね。

 

 ココは有料だったので入館は遠慮しました。少し引き返し再び坂道を登ります・・・

 代官所陣屋址 ここが明智城の入り口(登山口)となります。

一人が長電話中で、もう一人が今年は神社はダメということで4人で登り始めました。

 

 畑のあぜ道を登り小さな神社へ。その裏から山道になる。

 まさかあまり使われていない裏道などとは知らずに結構険しく踏み跡も怪しい杉林を黙々と・・・

当然のように足が先頭です。ゆっくり歩いているはずですが2人が遅れ始めました。10分ほどすると前方に土塁のシルエットが

 Sさんと先に土塁に登ると曲輪(くるわ)でした。

敵を迎え撃つ場で、見張り台の役割もあったでしょう。

遅れていたHさんとTさんが下を通ります。上から弓矢、石礫の雨を降らすにはもってこいです。当時が偲ばれます。

 では下へ降りて前方の本丸を目指しましょう。

 

 白鷹城(明智城)本丸 標高530m

 

「土盛砦として堡塁数大小23カ所・・・」 

成程、道理で石垣が見当たらないしボコボコと土盛(ピーク)と当然その間には空堀がたくさんあるはずだ。

現在は杉やヒノキが植林されているがはっきりと原型が残っている。どの土盛も50度以上の勾配がある。

 本丸を降り虎口から別の土盛へ。帰路は別の整備の行き届いたルートで。

 メンバーも盛んにこの路は楽だと安心しきり。枝垂桜と祠のような建物が現れた!

 誰も気づかなかったが、ここが天神神社といって光秀公学問所であった。

 下山した地が旧三宅家。このあたりで大正琴が誕生したようです。

 

この後、明智駅の隣で遅い昼飯(うどん)を食べて再び明知鉄道で恵那駅へ戻る。

この後名古屋駅を経由して近鉄で津駅へ。そこからJRで下庄駅。そして徒歩約20分で我が家にゴール。