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病院の近くにセレモニーホール

2006-11-14 00:12:50 | 雑談
日曜日に和歌山の日赤病院に、お見舞いに行った。そのときその近隣にセレモニーホールがあることに気がついた。そこで加藤徹『貝と羊の中国人』新潮新書の一節を思い出した。

加藤氏によれば、中国の大きな病院の周辺には葬儀屋が建ち並んでいるそうである。そして、日本の病院の周囲に葬儀屋が建ち並んでいたら、患者や家族はどんな気持ちになるのかと問う。それ以前にそんな病院には患者が寄りつかず、つぶれるだろうと加藤氏は述べる。

加藤氏は日中の死生観を対比させる。中国人の入院患者には、葬儀屋が病院の目の前にあることは、便利で自然と考える。中国人は死生観においてドライであり、死を特別視せずに、眠ったり、食べたり、排泄したりすることと同じ自然の一部と見なす。日本人はこれに対して、死に対してウェットであり、特別で神聖なことと見なすと述べている。(48-49頁)

日赤の近くにセレモニーホールができたいきさつは知らないが、和歌山では、死はドライに受け取られ、自然の一部とみなされているということなのであろうか?もちろんこの事例だけで判断することはできないのは当然であるが。
コメント (2)
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