木のすきなケイトさん/文:H.ジョゼフ・ホプキンズ 絵:ジル・マケルマリー 訳:池本 佐恵子/BL出版/2015年
副題に「砂漠を緑の町にかえた ある女のひとのおはなし」とあって、「バルボア公園の母」とよばれたケイトさんの伝記です。
1881年、茶色の砂に覆われた砂漠の町、サンディエゴで学校の先生として働くことになったケイトでしたが、町の公園(のちのバルボア公園)を見て、どうにか木を育てたいと考えました。
サンデイゴのほとんどの人が「あんな所に木なんか育つはずがない」と思っていましたが、ケイトは「木は、あの公園にもきっと育つ」「サンディエゴにも、木や森がほしいと」と、先生をやめて園芸家になります。
ケイトは、森で遊ぶのが好きな女の子で、葉っぱを集めたり、花といっしょに編んでネックレスやブレスレットを作ったりしました。ケイトが木や森がほしいと思ったのは、幼いころすごした森の中での体験が出発点でした。
ケイトはサンディエゴにぴったりの木をさがすことからはじめます。世界中の木について、ずっと勉強し、世界中の園芸家に手紙を書いて砂漠でも育つタネさがします。
こうしたことをささえたのは「はじめての女性の科学者」とカリフォルニア大学を卒業したことでした。
やがてケイトの畑で育った小さな木が、公園や広場、通り、学校、家の庭に植えられます。
もうひとつ転機になったのが1915年に予定された「パナマーカリフォルニア博覧会」でした。
博覧会の会場は学校からみえた公園でした。公園に木がもっと増えれば、公園は美しくなり、博覧会に来た人も、木陰ですずしくすごせます。
ケイトは親しい人に「木をたくさん植えますから、友達をつれてきてください」と頼み、集まった人の輪で博覧会が始まったときは、数えきれないほどの木や植物が「バルボア公園」いっぱいに、しげっていました。
サンディエゴに、こんな庭園があるのはケイトのおかげでした。
絵本ではえがかれていませんが、植物の苗畑に使うため、毎年100本の木を公園に植えること、ほかに300本の木を市にゆずる約束して、町の公園を借りたりする努力もしています。
先駆者としてあきらめない努力が茶色の町の風景を変えたのはありますが、まわりの多くの人の理解がないと緑化も広がりません。もう少し他の人々とのかかわりもえがいてほしかったと思いました。
時代は1800年代後半から1900年代はじめが中心で、この当時のアメリカでは、女の子は手を汚すことをしてはいけないと言われ、女の子が科学を学びたがるなんてとんでもないと思われた時代でした。しかしケイトは平気でどろんこになり、周りにどう思われても、熱心に科学の勉強をしつづけています。
ところでサンディエゴは、アメリカのカリフォルニア州にあり、州内ではロサンゼルスに次いで人口が多い。
基地の街として軍関係の企業が発展していたところへ、現在では情報通信関連の企業や、バイオ、製薬、医療機器の企業などが集結しはじめているといいます。
ついでにいうと、カリフォルニア州は、アメリカとメキシコ戦争の結果、1850年にアメリカの州になっており、この当時のサンディエゴ郡の人口はおよそ3,500人で、2,700人ほどの原住アメリカ人という構成であったといいますから開拓者は800人ほどと隔世の感があります。
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