どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

うばすて・・三重、静岡ほか、ドコ・・ネパール

2024年09月13日 | 昔話(日本・外国)

 親を捨てるというのは、今昔物語にもみられる昔話ですが、中国やインドからのものが日本の話として語り継がれているといいます。ヨーロッパ、アフリカなどにも分布しているといいますが、であったことがありません。

 冒頭部は、老親が小枝を折っていき、親心に打たれた子が、老親を連れ帰るというのが多い。そこから難題がだされ、老親の知恵で解決し、それから親捨てはなくなるというものと、子どもから捨てるためにもっていった駕籠や車を、次には親を捨てるときに必要と言われ、考え直す二つのパターンがあります。


ドコ(ネパール)(アジアの昔話/松岡享子・訳/福音館書店/1978年)

 ドコとは竹かごのこと。この籠に年とったおじいちゃんを背負い、どこかに捨ててこようと市場にいって買ってきたものでした。

 ところが幼い息子がいいます。
 「とうちゃん、おじいちゃんをすてても、ドコはすてないでね。」
 父親が「そりゃまたどうしてだね」

 幼い息子のこたえ。
 「とうちゃんが年とったとき、すてにいくのにいるもん」
 これを聞いた父親は、おじいちゃんをつれて家にもどります。

 ブラックユーモアで、子どもにはなんのことかわかりにくいかもしれません。

 この「ドコ」がこぐま社から出版されている「こぐまのどんどんぶんこ りこうな子ども」(2016年発行)にものっています。途中がだいぶカットされて半分ほどの長さ。

 福音館版では、ドコが何か話をする前に説明が必要ですが、こぐま社版では意味が文中にのっていました。これも松岡さんの編訳となっています。

 老親と子の関係が生々しすぎてとりつきにくかったのですが、こぐま社版ではすっきりしています。

 

親捨山・・三重(日本昔話百選改訂新版/稲田和子・編/三省堂/2003年

 ネパールの話と同じパターンです。

 子どもと一緒におじいさんを山に捨てに行くと、こどもは””背負いこ”をもってかえるといいます。父親が年とったとき役に立つからといわれ、父親はおじいさんを連れ帰ります。

うばすて山・・三重(かもとりごんべえ ゆかいな昔話50選/稲田和子・編/岩波少年文庫/2000年初版)

 「ドコ」と同じ話型ですが、籠ではなく、車です。

 年寄りが60になったら山へつれていってすてるというのがお上のきまり。
 父親が、おばあさんをつれていった車をすててかえろうとすると、むすこが、おとうさんが年とったとき必要だからというと、父親が反省して、おばあさんをつれてかえります。

・おばすて(栃木のむかし話 下野民俗研究会/日本標準/1977年)

  二人の兄弟が、もっこで 親を捨て行き、かえりぎわ 「おまえたちが うっちゃられるときに このもっこが 必要になる」といわれ 親を連れ帰り お殿さまの難題を 親の知恵で切り抜けます。殿さまの難題は、「灰で縄をなる」ことのひとつ。

姥捨て山(定本日本の民話17 信濃の民話/信濃の民話編集委員会/未来社/1999年初版)

 年寄の知恵で、それ以降、親捨てがなくなるという話です。兄弟がでてくるのが、ほかの話と異なります。

うば捨て山(栃木 栗山の昔話/柏村祐司・編著/随想舎/2009年初版)

 「栗山の昔話」には、二つの「うば捨て山」がのっています。
 出版は宇都宮市の随想舎。デジタル化のなかで地方の出版社が頑張っているのはうれしい。高山さんという方の「うば捨て山」は父親を、川俣さんという方は母親です。

 殿様の難題を、いずれも母親、父親の知恵で解決しますが、高山さんは難題が一つで、川俣さんのは二つ。

 同じ地域でも語り手によって微妙な違いがあり、全国の同様な話にも違いがありそうです。

 栗山の昔話には、うばすての背景は何もふれられていません。
     
・おば捨て山(富山のむかし話/富山県児童文学研究会編/日本標準/1978年)

 息子が母親を捨てにいきますが、結局は連れ帰るとこでおわります。最初に、「先月は五郎助どんにじいさまが山へまいらっしゃたと。」「ついこないだも」市助さのばあさまも山にまいらっしゃたと。」と、みょうに具体的です。さらに母親が「おらのう、今月の十五夜におやまにまいろうと思う。たのむぞ。」と、自分から言い出すのも、ほかの話にはありません。

 また、同時に収録されている「灰のなわ」というのがありますが、こちらは、とのさまからとんでもないおふれがだされ、捨てたばかりの母親のところへ聞きにいくという進行です。

・親捨て場(秋田のむかし話/秋田県国語教育研究会編/日本標準/1974年)

 再話でしょうが、親が70歳になると、けわしい山の親捨て場に捨てるというきまり。とっちゃと孫が山にいきますが、孫が木の枝を折って、道するべにします。いったんは親捨て場においてきた ばっちゃですが、ニ、三日後に孫がつれかえります。一度捨てた親を連れ戻したためしは、それまであったことがないからと、村八分になってしまいます。そのため台所の縁の下に穴を掘り、そこにいれてかくします。

 次の年、寒い夏で田畑の仕事がうまくいかず、飢饉の恐れがあったとき、ばっちゃの知恵で危機を脱したので、みんながお礼をいい、それからは親捨て場に、としよりを捨てに行くことを しないときめます。

 「灰縄」もでてきますが、どうして作ったかは、ばっちゃしかわからいと、つきはなします。

 ほかの話では、親を捨てるきまりをつくるのは お上というのが多いのですが、ここでは、村のきまりです。


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