山口のむかし話/山口県小学校国語教育研究会国語部会/日本標準/1973年
むかし、琵琶をひくことがじょうずな目の見えない芳一という若い坊さんがいました。得意にしたのは平家物語を語ることでした。
ある夏の夕暮れ、あちこちにまねかれ、琵琶をひいてつかれきって寺にもどり、うたたねをはじめました。しばらくうとうとしていると、庭先のほうに、人の気配がしました。芳一が聞き耳をたてると、「琵琶をひくのが、上手と聞いて、高貴な方がぜひ聞きたいとおおせられるので、わたしについてきてほしい。」と、低い声。せっかくなのでうけることにした芳一は、武士らしき男に連れられて、屋敷の廊下伝いにいくと、そこは大広間のようでした。まわりには、たくさんの人がいるらしく、小声でささやきかわす話声が聞こえてきました。そこで芳一は、上品な女の人の要望で壇ノ浦の合戦を語りました。
芳一の語りは、壇ノ浦の合戦をうかびあがせてみせるようでした。芳一は、一心に琵琶をかきならし、声もかすれんばかりに、熱情をこめて語り続けました。人々の間からは、かなしみをこらえきれずに、涙に声をつまらせて、はげしく泣く人まででてくるほどでした。
語り終わると、年老いた女の人が、芳一の耳のそばに身を寄せてきて、ささやくように話しかけました。「また、あしたの晩も、きておくれ、けれどもこよいのことは、だれにもいう出ないぞ。七日七夜、人にいうてはならぬぞ。」
芳一は、つぎの日も、むかえの武士にさそわれ、前の晩とまったく同じように、心をこめて、琵琶をかきならし、声をはりあげて語りました。しかし、夜がふけるまで語り続けるので、いくら若い男とはいえ、身はくたくたにつかれはててしまいました。
三日目の朝、仲間の坊さんが、芳一のようすが、いつもとちがうことに気づきました。腫れぼったい目、青白い顔、病人のような芳一をみて、坊さんたちは、目をなはさいように注意しました。夕暮れ時になると、しとしと小雨がふるなか、琵琶をもってでかける芳一のあとをおいかけた坊さんは、驚くような光景を目にしました。芳一は平家一門のお墓の前に正座して、雨にずぶぬれになりながら、一心に琵琶をかきならし平家物語を語っているのでした。壇ノ浦のおわりの場面が近づくと、平家一門のお墓の上に、赤い火が浮かび、青い火がふうッとながれ、ゆれうごいていました。
芳一が平家の亡霊に取りつかれていると思った坊さんは、急いで寺にかえり、見たことをおしょうさんに話しました。おしょうさんは、つぎの朝、芳一をまるはだかにし、筆にすみをたっぷりつけて、ありがたい経文を、頭に先から足の下まで、ぎっしりと書きつらねていきました。そして、だれがきても返事をしないようにいいます。
さてその夜も芳一を連れ出そうとする使いの武士がやってきますが、芳一の姿は見えません。だが、暗闇のなかに、耳がうかんでいるのがみえ、二つの耳をちぎり取ってしまいました。やがて法事からかえってきたおしょうさんは、白い着物を、真っ赤な血でべっとりぬらした芳一を見て、耳だけに経文をかくのを忘れていたことに気づき、芳一の耳の傷口の手当てをしてやりました。
それからも芳一は琵琶の名手として人々から愛され、いつのまにか「耳なし芳一」とよばれるようになりました。
小泉八雲の怪談で広く知られるようになったこの話、山口にふさわしい昔話です。夏の夜に語ると雰囲気がでそうです。