あけぼの

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米寿で花束をもらった!:いつも前向きだがちょこっと回想

2020-02-16 09:48:17 | 講演・アート・音楽・スピーチ

 絵画の仲間の若葉会で突然に花束を頂いた。予期せず目の前に現われた仲間の気持ちに驚き、感激した。その後も我が家の食卓で何時までも咲き、華やかだ。「みなさん有難う!」。 88歳、人生が一瞬に過ぎた感じだ。暫し子どもの頃を回想した。母親や家族。池があり大木が点在した広い屋敷に、本宅と廊下で繋がる各棟々、総二階の養蚕部屋に牛2頭。囲炉裏のある板張り部屋。そして2棟の土蔵。周囲は板塀と生垣に囲まれていた。子ども心に遊び場一杯の屋敷だった。挑戦的な遊びが好きで、木や屋根に上っては「落ちるぞ!」と叱られたものだった。  20歳で家を離れ田舎の国家公務員…岡山大学附属病院の臨床試験係…となって暫し働いてから一念発起、23歳で大学生となり東京へ。27歳で就職、29歳暮れに結婚。1つの会社で60歳まで勤めあげた。海外勤務が5年、USAやメキシコだった。42歳のとき中国に長期出帳して海外に目覚め、以降、現役中は団体旅行、定年からはバックパッカー。アメリカに転勤になった機にオハイオ州に居を構え、そこから世界を股にかけて自由に放浪した。 現在の趣味は油絵、植木管理やエッセイを書くこと。86歳で松葉杖をついて自動車免許の更新にアメリカに行ったのだから年齢の割に活動的、だが、腰も座っていると思う。個展は府中美術館で絵画75点。その時、ワイフと共同で出版書籍や新聞連載のエッセイも展示、ミニ講演会も行うという総合展だった。「絵を描く人と外国語が使える人は呆けない、と新聞に出ていた」とワイフは言うが、そうだと嬉しいね。さあ、これからも新しいことにチャレンジだ。(自悠人)


「共に生きる社会へ変えるのは私たち!」: 上野千鶴子さん、枝野幸男さん、福島みずほさんが来た!

2020-02-13 12:05:43 | 講演・アート・音楽・スピーチ

 先頃立川RISURUホールへ上野千鶴子さん、枝野幸男さん、福島みずほさんが来た!上野さん派手なスカーフを持って舞台に現れ、「これが東大入学式で問題になったスカーフですよ!」と聴衆を沸かせて舞台の端のマイクへ。一番聴きたい講演だったが、マイクを信じすぎか、お声が小さすぎて聞き取れず残念!横行する「選考、採用における性差別、女と若者は使い捨て労働力、格差社会の現実」等を語られ、「どんな社会が欲しいのか」には、「弱者が弱者のままで尊重される社会を!」「差別是正そのものがゴール」、「介護保険制度の後退を許さない」等々。次の枝野氏は:生まれる子が90万切った少子高齢化社会で、若者は希望を持つことが出来ない。これからの国の形は、支え合う社会に!それには豊かさを分かち合うしかない。国は黒字なのに分配がうまくいってない」等。みずほさんは:安倍さんは、『私の手で憲法を変えたい』と言っているが憲法も判らない安倍さんに憲法を変える権利はない。女は、高齢者は、弱者は、生きていけない。作りたい社会は公正な社会だ。公共サーヴィスが必要だ! 「共に生きる社会へ、変えるのは私たちだ!」と結んだ。メモしながら聞いたが手が講演に追いつかず、不十分な報告でござりまする。(彩の渦輪)

    写真 1、2.上野さんのPPT. 4、枝野さん.5、福島さん.


老いても生きる気力満々の92歳、イイナさん:意思と行動さえあれば!

2020-02-10 14:34:17 | 講演・アート・音楽・スピーチ

 長年住んだ自分の家を売りに出し…まだ売れてはいないが…先頃手ごろな1人住いの家を求めて改装し、そこに住んでいたイイナ(Ena)さん。売れるのは後でもよい、と。年齢92歳、今も5軒もつ不動産の管理ビジネスを継続して、と言うか、掌で不動産を転がして楽しんでいる優雅な未亡人シニアだ。日本にそんなシニアが居るだろうか。前歴だが、家族でイギリスからアメリカに移住した移民の初代で夫は医者だった。だが34歳で離婚、苦労して子供たちを立派に育てた上げた女性。イイナと知り合ったのはシンシナティ空港、彼女は下宿させていた日本人学生を迎えに出ていたのだが、彼女の車に私も同乗させてもらったのが縁。その後我が家のParty に彼女を招いたり、と、15年以上の付き合いだ。ワイフが近くの大学でスペイン語のクラスに入ったらイイナがいて、一緒に学んだ仲である。 今回イイナの住所は持ち忘れたが彼女の好きな文明堂のカステラ持参でシンシナティへ。イイナの以前の家の周りを2回うろついても判らず、かつての友人ポールが彼女の住所履歴をPCで検索してくれ、新住所を知った。3回目で探しあてやっと訪問、おしゃべりに花が咲いた。外観も内部も他家とは異なる立派な家だ。引っ越しや改装の経緯を1時間以上語ってくれ旧交を温めた。まだまだおしゃべり大好きで、それにしてもやる気十分、若い92歳だ!!!!! 車も2軒先の娘の家に置いてあり、たまに運転するようだ。イイナを見て、「人間、意思と行動があれば年齢は逃げていく!」と確信できた。(自悠人)


88歳、エコノミーでUSAに行く元気者だがイイナおばさんには負ける!

2020-02-07 10:06:49 | 講演・アート・音楽・スピーチ

  86歳で松葉杖をついてアメリカの自動車免許証の更新をやって来たのに、まだまだUSとは縁が切れない。グリンカード保持者だからではなくアメリカに魅力を感じるからである。特にかつての友達やその周辺で派生する現象が、好奇心男に刺激を与えてくれ、生きる活力が沸いてくるのだ。多くのアメリカ人は何時までも自分を磨き、活発に生きている。まさか92歳のイイナおばさんが、既に自分の家がありながら、娘の近くに住む家をまた買い、改装して住んでいるとは考えられなかった。突飛な行動に思えた。車(Honda Civic)は娘に使わせていた。かつてお隣さんだったポール(75歳)はスーザンと死別後、再婚して広大な豪邸に移り住んだ。ガレージにはボートやトラクターがあり、地下室にはゲーム機が増えていた。何を考えているのかよくわからなかったが、生活に変化を求めているのだろう。彼の家に4晩泊めてもらった。今回の帰郷では航空便で思わぬ災難に遭った。Cincinnati発の飛行機が霧でダラス・フォートワース空港に下りることが出来ず、旋回を繰り返すうちにガソリン不足となり、オクラホマ空港で給油して飛び立つことになった。4時間の待ち合わせ時間があったのだがそれは瞬時に経ち、国際便への乗り替えは私たち夫婦だけなので一時は諦めた。ダラス空港についたのは国際便出発時間6分前の12:00。アメリカで一番広いダラス空港だ。間に合うはずがない。が、この件については昨日彩の渦輪が書いたので割愛しよう。Cincinnatiで国内線に預けた荷物は、国内線の事故のため受け取り不可能だと思っていたが、成田で受け取ることが出来たのは予想外だった。航空機の遅れによるトラブルは過去しょっちゅうあり珍しくはない。滑走中、火災発生があってゲートまで引き返し航空機を乗り換えたこともある。搭乗員が1人不足で出発出来ず、離陸を待たされたことも。乗客の荷物が重量オーバーのため燃料不足となり、アンカレジで給油し直してやっと日本に帰国できたり、中継地で5時間待っても航空機は出発せず、その地点で宿泊手配されて翌日出発等、飛行機の遅延事情は様々で、遅延は常識と覚悟して機上の人となるしかないだろう。(自悠人)

 写真 1、2 泊めてもらったPaulの家にて。 3.DFW空港、窓外の風景


国内線は霧でDFW着陸不可能、が、超高速のある手段で国際線に間に合った!

2020-02-05 10:07:44 | 講演・アート・音楽・スピーチ

   わがふるさとCincinnatiへ行って来た。連日友人と旧交を温め、大学院時代の恩師や新聞記者だった友人Dawnと、かつて映画レインマンの舞台になったケンタッキーのPompiliosで食事をしたり、と、もちろん楽しい里帰りだった。が、帰国の日にさらに面白い出来事があったので紹介したい。筆者の帰国ルートはシンシナティ-DFW(ダラスフォートワース)-成田だった。Cincinnati発6:00am、DFW着8:00am、成田行きは12:06発、DFWでは国際線に乗り換えのため4時間の余裕があるAmerican Airlineの切符だった。DFWは広い空港だが空港内移動に4時間みれば充分だ。だがなんと、Cincinnati発DFW行の国内線がDFWで霧のため着陸できず、しばらくDFW辺りの上空をグルグルとサークル飛行し、着陸の目途が立たず、燃料が切れOklahoma City空港に来て給油、ということになった。乗客は、我々夫婦以外は皆DFWが最終目的地か国内移動だけのアメリカ人。フライトアテンダントは我々に、「あなた方は12時発成田行きですね!間に合うようにDFW に戻りますよ!」と言ったが、オクラホマ・シティー空港に着いたとき9:50、その後飛行機が飛び立つ気配がない。「10:30にDFWに着く予定」とアテンダントは言ったが飛び立たず、気が気でない。「もう今日は飛ばないんじゃ?」と思った頃やっとOklahoma City空港を離陸、なんと12:00にDFW空港に着いた!成田行きは12:06だ。DFW空港は広い!飛行機から地上への通路を上がると2人乗りぐらいのミニ電車…幅の狭い腰掛と足乗せ台だけの乗り物…の傍にお兄さんが待っていて、夫婦でリュックサックごと腰かけると自分も乗り超高速で走りだした。転げ落ちそうになる超ミニ電車だ。お兄さんは澄んだソプラノの大声で「Behind you, a train is coming! Behind you, a train is coming!」と叫び続けながら、筆者には「これ、$100の価値がある電車ですよ!」と話して運転し、なんとD 29の成田行きゲートへ。「間に合った!」。慌ててお礼を言い、「$100でなくてごめんね!」とチップを多めにあげゲートへ。ゲートにいた日本人女性が、「間に合ってよかったですね!」と言った。「ハイ、有難う!」と返事したが、乗り遅れれば翌日の便になる。国際線、成田行きも12:06発の予定が12:15まで待ってくれていたようだが、あのミニ電車は広いDFWの空港内を10分かからずゲートに着いたのだろう。American Airlineの対応はすごかった!(彩の渦輪) 

    写真:1、2はPompiliosとその内部で、Dawnや元UC Professor Dr. Swamiと。3.Dr. Betsy Sato先生&団那さまと。4&5.よく来日してくれるMikeのご両親と。6&7かつての隣人Paulご夫妻と日本料理店、芽生にて。面白いとっくりでしょう!8.American Airline のアテンダントさんたちと。