あけぼの

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蘇峰の愛した山中湖畔

2016-07-31 14:35:09 | 旅行記、多文化教育、国際

  夢に現れた蘇峰に再度登場願った。蘇峰の命名: 筆者の名前は彩子、徳富蘇峰の命名だ。文学少女だった母は筆者誕生にあたり、雑誌を通して最盛期の思想家、蘇峰に命名を依頼した。「彩子」の名は振り仮名つきで墨で記され、折り畳まれた厚い奉書で送られて来たそうだ。この名、筆者が高校時代に作家、井上靖さんが小説に使い、流行し始めたが、筆者の知る限り「あやこ」と読む「彩子」は蘇峰命名の筆者が元祖だろう。蘇峰は号で本名は猪一郎、ご存じ蘆花(号)、徳富健次郎の兄だ。同志社学園へ蘇峰がやってきた!19歳の女子大生彩子は?:筆者が大学生の頃徳富蘇峰が講演に来た。若き日徳富兄弟が学んだ新島襄の同志社学園、蘇峰は死の1年前だった。19歳の女子大生、彩子がもし自分の命名者の講演を聞いていたなら特別の記事が書けたのに!残念ながら筆者の彼への認識は「転向者」だけだった。蘇峰は明治、大正、昭和を通じての大新聞記者、思想家、社会事業家だ。同志社で学び上京、「民友社」を創立、「国民之友」や「国民新聞」を創刊し、平民主義を掲げて明治中期、ジャーナリズムの巨人と呼ばれた。が、約7年後人々にショックを与えた。平民主義から一転、国家主義へ。政治への発言力を強め、彼の新聞社は2度も焼打ちに会い、蘆花は兄へ「黒潮」の巻頭で「決別の辞」を突き付けた。富士山の霊気と蘇峰の鉄石心に覚醒!友人の案内で山中湖村の徳富蘇峰館へ。蘇峰は彼の新聞社の焼打ちに会い長男も失った後、山中湖畔の別荘、双宜荘で秀麗な富岳を仰ぎ、その倒景の湖面に映ずる山中湖を眺め、元気な自己を取り戻していったという。「近世日本国民史」100巻をここで完結した。出版界の指導者、蘇峰は300冊以上の著作を残し、文化勲章第1回受賞者だ。筆者は94歳の時の彼の言葉、「衰朽猶存鉄石心」(衰え朽ちてもなお鉄石の心があるゾ!)にいたく感銘を受け、女子大生だった時の己を悔いた。講演後「貴方に命名された彩子です」となぜ面会しなかったのだ!判断力欠如が今更ながら悔しい。今思う。蘇峰は人の思惑を気にせず、人生の場面場面で信念に従って生きたのだと。蘇峰の仰いだ富士の霊気を浴び、湖面に反射する山中湖を眺め、彼の愛した山百合を愛でつつ、シニア彩子は「鉄石心」に覚醒した。(彩の渦輪)写真 1.徳富蘇峰館 2.蘇峰が愛した山中湖の山百合




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1 コメント

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蘇峰の愛した山中湖畔 (Mちゃん)
2016-08-05 06:57:16
これはすごいお話ですね。私は蘇峰の詩が大好きです。彩子さんは既に(鉄石心)の方です。1度しかない人生、正しいと思う事は人に左右されることなく、自分の信念を貫きたい。
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