記日きつい思れぐま気 from バンクーバー

2012年4月から妻の海外赴任に伴い主夫業と育児に励む30代男性の日常。バンクーバー関係ないことも多々あります。

海外赴任前の雑感(2)文化の違いについて

2012-02-25 01:29:13 | 赴任前雑感
ハンチントンの「文明の衝突」という本の中で、世界は8つの文明に分類されています。その8つとは中華文明・ヒンドゥー文明・日本文明・イスラム文明・西欧文明・スラブ文明・ラテンアメリカ文明・アフリカ文明です。そう、アメリカやヨーロッパなどが「西欧文明」と一括りにされていて、他の文明も全て複数の国家にまたがった文明なのに、日本だけは唯一、一つの国だけで「日本文明」を築いているのです。
もちろんこの分類の仕方はハンチントンさんが勝手に提唱しているだけなのでこれが絶対ではない(実際に反論もある)のですが、それでも結構有名な本の中でこのように言われるほど日本という国の文明・文化は独特である、ということは日本人として理解しておくべきでしょう。
そんな独特な国で育った我々日本人が海外で生活するということは、なかなかにギャップが大きいところで、色々心配なところであります。郷に入っては郷に従えの言葉通り、上手く現地に馴染めればなあと思っています。

とはいえ、僕もアメリカ(USA)での生活を経験しているし、「まあなんとかなるべ、あいつらアレだろ?とりあえず笑顔で握手したりハグしときゃいいんだろ?(←ひどい偏見)」なんてイメージがなきにしもあらずというところだったんですが、妻の会社から「赴任前に読んでおきなさい」と渡された資料を拝読するに、結構アメリカと違うのね。地続きだし同じ人種で同じ言語(カナダは半分フランス語だけど)だし、なんとなく気質も一緒だと思ってました。どうやらリアクションが大きいとか身振り手振り大きいとか、あれってアメリカ人だけっぽいです。おうまいがぁ(しかめっ面して首をすくめながら)。
でもよく考えたらそもそも国が違うんだし、日本でも北海道と九州じゃ人種が違うくらい気質が違うので当たり前っちゃあ当たり前なんですよねえ。
そして資料によるとカナダ人の皆さんは結構「カナダ人であること」に誇りを持っていて、「アメリカ人と一緒にしてくれるな」と思っているそうです。知らなかった。一緒にしたりアメリカと比較したりしないように気をつけなければ。

冒頭の話に戻ると、同じ文明圏の中でさえそうなんだからいわんや異なる文明圏ならばその違いは推して知るべし、ということですね。心して臨まないといけません。

とはいえ、びびっていても仕方ないですし、異なる文化の中で暮らすということは価値感のパラダイムシフトを起こす可能性が存分にあり、それこそ僕が望んだ「色々な経験」の最たるものなので、精一杯吸収したいところです。
同時に、アメリカと地続きでおそらく日本よりはるかに影響を受けやすいであろう環境にありながらカナダ人がカナダ人らしさを失わないように、僕も日本人としての矜持を持ち、日本人らしさを失わないようにしないとなあとも思うわけです。
とりあえず、新渡戸稲造の「武士道」でも読んでおくかなあ。少なくとも日本について説明できるようにはなっておきたいですよね。


文明の衝突と21世紀の日本 (集英社新書)
集英社


英語と日本語で読む「武士道」 (知的生きかた文庫)
三笠書房


日本文化を英語で紹介する事典
ナツメ社


英語で話す「日本の文化」 (講談社バイリンガル・ブックス)
講談社インターナショナル
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海外赴任前の雑感(1)子供の言語教育について

2012-02-21 22:45:38 | 赴任前雑感
先のエントリに書いたとおり、春からカナダに行くわけですが、色々と考えたり気にしたりしないといけないことがありまして、まあその辺は海外赴任する人の共通の悩みかな、ってんで後日どなたかの参考になったらいいなあと少しずつ情報を書き溜めていこうと思います。

で、いきなりでなんですが子供の言語教育についてです。赴任決定当初は「これで娘ちゃん、英語ペラペラになるぜ、きゃっほぅ!」と喜んでいたのですが、どうもそういう問題ではなさそうです。

というのも、うちの子は現在4歳で、日本語もまだたどたどしい感じです。そんな状態で海外に行くときにとても気をつけないといけないことが日本語教育とのこと。学校は現地校に通わせるつもりなのですが、当然まだ英語なんて全然話せません。だからといって英語に慣れさせようと家庭でも英語で会話をしていると、日本語がだんだん疎かになり、どっちもどっちになってしまいます。
このような状態をセミリンガルとかダブルリミテッドとか言うらしいのですが、日本語も英語(外国語)も上手に話せず、伝えたいことが上手く伝えられないためすごくストレスが溜まる状態になってしまうそうです。
このダブルリミテッドの状態の一つとして、日本語の中に英単語が混じってしまったりするという現象があるそうです。僕も幼少期にアメリカに滞在していましたが、幸いほとんどありません。両親の日本語教育がすごくしっかりしてたんだろうなと感謝です。それでも、たまに少し、こんな感じになります。特に英語を喋るときは思考回路を英語モードに切り替えるので、そうすると簡単な日本語も出てこなくなったりします。こんなの日常的だったらそらストレス溜まるわなあ。もし海外に永住するなら英語だけでもいいんでしょうけど、割とすぐに日本に帰ってきてしまいますから、そんな状態になったらかわいそうですよねえ。

ちなみに、じゃあどれくらい滞在すれば喋れるようになるの?というと、3年くらいすると外国語が少しずつ喋れるようになり、5年経つとかなり喋れるようになる、ということです。我が家は果たしてそんな長期間滞在するものなのか。予定では一応2年のようですので望み薄いですねえ。というか、5年もビジネスの現場から離れると僕が社会復帰できなくなりそうだw

そんなわけで、日本にいるときよりずっと一生懸命日本語を教えないといけません。英語禁止。日本語の勉強かあ、どうするかなあと。いまは保育園がなんでも教育してくれるのでスーパー助かってるんですが、これからはそうもいかないですね。
と少し悩むところもあるわけですが、やはり異文化の中で暮らすというのは娘にとってもきっとプラスになると信じて、彼女のストレスが増えないよう楽しい日々を送りながらしっかり勉強していけたらなあと思う次第です。
コメント (2)
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私、退職して主夫になります!

2012-02-17 23:03:11 | 赴任前雑感
いきなりでなんですが、タイトルのとおりでございます。いわゆる無職ないし自宅警備員という職種(?)に甘んじる所存です。別に仕事とか職場に不満があるわけではございません(むしろ現状大変満足しております)。単に、奥様の海外赴任が決まったので、それにくっついていくことにした、というだけのことです。

と、さらりと書きましたが、それなりに逡巡はありました。一応ね、仕事でもそれなりに評価いただいていたわけだし。プー太郎になってしまうのも勇気いりますよね。でもまあ、悩んでいても仕方ねーだろってんでえいやあと決断した次第であります。

決断にあたってのポイントは大きく二つあります。
1)家族との時間を大切にしたい
2)なるべく色々なことを経験したい

1)家族との時間を大切にしたい

奥さんが単身赴任という手もあるにはあります。今でも家事と育児をこなしながら仕事をしているわけですし、やってできないことはないんですけどね。でも、何も家族が離れてまで守らないといけないことかな、今のポジションって、と思うと僕の中ではそこまでではありませんでした。お世話になった上司・同僚の皆様には申し訳ないですけど。会社に僕の代わりはたくさんいますが、家族に僕の代わりはいないですからね。この辺のワークライフバランスについては色々思うところがあるので気が向いたらまた改めて書きたいなと思ってます。

2)なるべく色々なことを経験したい
アホかと言われそうですが、僕のポリシーです。できる経験はなるべく色々したい。やらない後悔よりやって後悔。当たって砕けろ。うん、これはちょっと違うな。家と会社の往復をする安定した生活より、仕事捨てても海外で主夫やる方が刺激的だし楽しいよね!と思ったわけです。


もちろん不安はあります。帰ってきたらどうやってメシ食おう、とか思いっきり不安です。でも今の会社が100%安泰かと言えばそんなことないわけで、こんな先行きめちゃくちゃ不透明な世の中ですから、リスクをとりながらでも楽しく生きたいなと。
幸い僕は英語圏の生活であればそんなに不自由はしないだろうとか、帰ってきてもなんとか職にありつける自信(どこから来るのかは不明)もあるので、その辺も決断の背景にはあるかもしれません。

でもホントね、人生楽しまなくて何を楽しむんですか、って思うのですよ。どんだけ安定してたってつまらなかったら意味ないじゃないですか。みんな、もっとQuality of Lifeを高めて幸福度を上げていこうぜ!

ということで、おがたは2年ほど主夫してまいります\(^o^)/
せっかくなので目一杯楽しむぞー!

あ、赴任先はバンクーバーです。
バンクーバーのお得な情報、心よりお待ちしております。


以上、まずはご報告まで。


(追加情報)
ちきりんさんのブログにこのエントリを載せていただきました。
「退職挨拶メール」を共有しよう!

そして、ちきりんさんの過去のエントリに、まさしくこんな話が出てました。
読んでたのにすっかり失念してたなあ。
すごーく興味深いお話なので是非ご一読を。
「イクメン」どころの騒ぎじゃない時代が来ます
コメント (4)
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感想文『潜入ルポ 中国の女』

2012-02-17 22:08:21 | 本の感想
何でオススメされて手にとることになったのか忘れてしまったのだけれど、すごく興味をひかれたので読んでみました。


「凄まじい。」


まず出てくるのはそんな一言。いやね、中国って国、なかなかちょっとちょっとな国じゃないですか。臓器売買とか人身売買とかあるよーとか、情報統制すごいよーとか、漠然とした知識としてはもちろんあるんですけどね、取材対象者の息遣いや表情が伝わってくるようなものすごく生々しくリアルな描写に触れると、改めてすごい国なんだなあと思うわけです。日本で普通に生活していたらまず見ることはおろか想像すらすることのない世界があるんだなと実感させられ、息苦しささえ感じさせられます。

この本に出てくる人たちは、エイズ村と呼ばれる、村民の多くがHIVキャリアの村の女性や、都会で楽しく暮らそうと騙されて北京に出てきて売春婦をやる女性、嫁にするために人身売買で買われてきた女性、危険思想の持ち主とされて当局に追われる女性などが次から次へと出てきます。農村では「女性に生まれるくらいなら牛や馬に生まれる方がまし」と言われるくらい虐げられる女性達。そんな彼女達を「たくましく生きています」なんて軽々しく書かず、ただひたすら現実を描写する著者の筆力に圧倒されるのです。

読んで何をするわけでもないし、すごく楽しい本でもないのですが、色々と感じるところがある一冊。色々な方に是非読んでみてほしい本です。すごくオススメ。

潜入ルポ 中国の女
クリエーター情報なし
文藝春秋



しかし、中国がこんな国になったのはやはり共産国家になったからなんでしょうかね。毛沢東さんの手によるものなのかしら。以前いただいてまだ最初しか読んでない「マオ」を読まねばなあと思ったのでした。これも読んだらまた感想を書きたいと思います。
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千石先生逝去

2012-02-08 19:37:27 | Weblog
昨夜、千石先生が亡くなったとの報を聞き、かなりショックを受けました。ムツゴロウさんやさかなクンと並び、お茶の間に生き物の素晴しさを伝えてくれる貴重な方でした。僕は最近あまりテレビを見ないので千石先生の動向も知らなかったし、うっかり忘れたりしてたわけですが(←)、でもやっぱり偉大な方には変わらないわけです。
そんな千石先生についていまさらつらつらとネットで情報拾いをしていたら、こんなステキなインタビュー記事が出ていました。

学びの場.com

たとえば、自然観察会で子どもたちは、見つけたのが小さいコクワガタでもものすごく喜びます。今どきのお店には海外から輸入した大きくてかっこいいクワガタも売っていますけれど、子どもたちにとっては、小さくても自然の中で、実際にそこに棲んでいる虫を自分で見つけるほうが意味があるのです。体験を通じての理解は感動を呼び起こします。




チンパンジーでもサルでも、親は子どもにとりたてて何かを教えることはしていません。子どもは親のすることをじっと見ている。それを真似て覚えていくわけです。「お母さんがあの草食べているから、僕も食べてみよう」という感じにね。最初、子どもはその草を全部食べてみる。すると苦い部分があり「ペッ」と吐きだす。で、お母さんをもっとよく見てみると、太い茎は残しているなというふうに、だんだん学んでいくわけです。これが本当に子どもの血肉となる学びの基本姿勢なのかもしれません。


 
押しつけの逆で、親自身が苦手なものだからといって、子どもにも体験させないというのもよくない。以前、上野動物園の爬虫類館に行ったところ、3階の踊り場でアメリカ人の女性が真っ青になってうずくまっていたんです。心配になって声をかけたら、彼女は「大丈夫です。私は小さい頃、テキサスで部屋にガラガラヘビが入ってきて以来、爬虫類はまったくダメなんですが、子どもたちには見せたいと思ってここに来ました」というんです。すごいなあと思いましたよ。親が苦手でも、子どもには教育上見るチャンスを与えてあげたい、ということですから。そういう姿勢は大事だと思います。



うんうん、心から納得ですよ、先生。学ぶ場を与えた上で子供が拒否したのなら諦めますけど、僕はできるだけ娘に生き物とふれあい学ぶ場を与えられるようにしたいと思います。

最後になりますが、千石先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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ネットで個人情報をばらまくことの是非について考えてみた

2012-02-07 23:29:07 | Weblog
Facebookにちょろっと書いたのだけど、個人的にすごく興味深かったのでブログとして改めて書いてみます。

FacebookのIPO申請書類を読めば佐々木俊尚氏が100%間違っていたことが確認できる ユートピア的な幻想の怖さ

上の記事の中で

つまり僕が言いたいことはFacebookは最初っから「うちの世界は実名の世界でっせ。だからあなたの個人情報はガンガン蒐集しまっせ」ということを公言して憚らないサイトだということです。
そして誰が何回、どの「いいね」ボタンを押したかなどはすべて貴重な個人情報として蓄積され、将来のマーケティングに活用されます。
Facebookにおける個人情報の蓄積やその活用のされ方は我々一般人の想像を超える洗練度です。
そこには身を隠すことができる場所は皆無なのです。
言い換えれば、Facebookの前に我々は皆、裸同然なのです。


とあります。
ここにあるとおり個人情報こそがFacebookの欲しいものであり、生命線であり、Googleがあの手この手でなんとか手に入れようとしているメシのタネなんですよね。GoogleやFacebookが必死こいて個人情報を集めるのはどちらもひとえに広告で稼ぐためなわけで、やってることは大差ないわけです。別にGoogleだけが人の情報セコセコ集めてるわけじゃないんですよ、と。
「どっちにしたって人の情報で商売しやがって、けしからん!」とか言う偏狭な方ももしかしたらおられるかもしれませんが、果たしてどうでしょう。

僕は以前営業の仕事をしていましたが、よく言われたのが「お客様の情報を少しでも多くかき集めろ」ということでした。集めた情報は、よりお客様にマッチした提案(時期だったり商品だったり買い方だったり)をして商品を買っていただくために使うわけです。

では自分の情報をもとにマッチした提案をされることは悪いことなのでしょうか。「あの営業どもに俺様の大切な情報なぞ微塵も渡してなるものか」と死守することで何か得するのでしょうか。相手があくどい押し売りでもない限り、答えはNOです。顧客にとって、自分にマッチした提案をしてくれることはプラスにこそなれ、決してマイナスになることではありません。提案営業では「お客様のNOを突破し攻略する」と表現することもありますが、僕はお客様は攻略するものではなく、Win-Winの関係を築くべきものだと思います。嬉しくならない取引に継続性はありえません。そしてお互いが情報を出し惜しみしなければ嬉しい取引になる可能性がグンと高くなるのです。(といっても、予算を少しでも抑えたい顧客と値引きを最小限に抑えたい営業との駆け引きにおいてはWin-Winはありえないので情報戦になりますがw)


で、GoogleやFacebookの話に戻ります。
彼らは僕たちの情報を集め、より僕たちにマッチした広告を表示するようにしています。インタレストマッチ、というやつですね。もちろんそれは広告主のためにしていることで、広告主としては絶対買ってくれそうにないお客様に広告を届けてもらっても何も嬉しくなく、逆に興味を持ってくれそうなお客様にはどんどん届けたいわけで、その精度が高ければ高いほど嬉しくなります。嬉しいから少しくらい高くてもお金を払う、つまり広告の単価が上がってGoogleやFacebookが嬉しくなるわけです。とりあえずここで広告主とGoogleとの間でWin-Winが発生します。

では僕たちはどうでしょう。何も嬉しくないのでしょうか。僕は35歳のおっさんですので「エステどうすか、ごっついキレイになれますよ」とか言われても興味ありません。それよりもカメラとかきれいなお姉さんの写真集とか自分が少しでも興味ありそうな広告の方がよっぽど嬉しいわけです。この広い情報の海の中で迷える子羊な僕にGoogleさんやFacebook君がわざわざ「おがたさん、これどうすか、興味あるんじゃないすか?どう、どう?」って持ってきてくれちゃう、極端な話、デパートの外商さんみたいなことをしてくれるのです。あれ?なんか嬉しくない?僕たち、Win-Win-Winの関係築けてんじゃないの?(仕事を奪われてしまった広告代理店さんはLooseですけど)


ということで、自分の情報をあげることは必ずしも不利益にならず、むしろ得することもあるんじゃないかと。もちろん、思わぬところで損をする可能性だってあります。ただ、これは個人の価値観の問題ですが、あるかわからない不利益に怯えて行動を制限するより、好きにやってしかも利益が得られる方が楽しいと思うんですよね。とはいってもどこまで出すかというのも迷うところで、最近の若い子達の開けっぴろげさにはおじさんびっくりしちゃうくらいです。でもあれくらいやっちゃってもいいのかなあなんて思ったりもするのです。


で、ようやく本題なんですが、興味深いなあと思ったのは「個人の情報がお金になる」ということです。もちろん僕たちが直接お金をもらうわけではないのですが、上記のとおり間接的に利益を享受できます。かつてはお金を払って入手していた情報(ニュースだったり情報誌の内容だったり)は無料になる一方で、見向きもされなかったものがお金になるって面白いなあ、と。

もしかすると、借金の返済履歴がないと大きな借金ができなかったりするのと同じように、ある程度の情報が提供されていないとある種のサービスが受けられない、なんてことになったりするのかもしれません。

そんなわけで、知られても困らない範囲内であればバンバン情報を出していった方がこれからの時代、面白いかもしれませんよ、というお話でした。



おまけ1
記事の主題であるリアルとバーチャルが融合するかどうかって話、僕はまだピンと来てなくてよくわかりません。そもそも佐々木さんがいわんとしてることってそういうことなのかなーって。twitterみたいにリアルとバーチャルの境目にあるようなサービスについてはリアルの方に融合するだろうから、そのことを言ってるのか、2chみたいな匿名性の高いものも融合すると言ってるのか。どっちなんですかね。

おまけ2
記事の中で佐々木俊尚さんがヘイカモーンと叫んでいた一連の騒ぎは結構面白かったです。顛末はこちら

おまけ3
嗜好に特化したSNSを先日知りました。これ、流行ると思うし流行って欲しいけど、どうなるかな。
Sumally
コメント
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