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死んだらおしまい、ではなかった

2011-02-23 00:52:59 | 日記・エッセイ・コラム

201102230001  今日、返却のあった本の中で気になるものを見つけました。
 「死んだらおしまい、ではなかった」。
 日本図書十進法では、188.66(本の背番号)なので、180番台の「仏教」、188は「各宗」に分類されます。
 この本を書いた人は千葉県船橋市の大念寺の僧侶、大島祥明氏。
 故人の死後まで見守るのが、僧侶の役目。2000人の亡くなられた方を見送っているうちに故人とお話しができるようになったとのこと。
 病気で亡くなられた方、突然の事故で亡くなられた方、自殺で亡くなられた方、それぞれ感じるメッセージが異なるとのことでした。
 
 魂だけは永遠に生き続けるものであり、亡くなった直後だと自分が死んだとは思っていない。死んだことを認識せず、生きているときと同じ感覚なので、お葬式を執り行われるのは、亡くなった方に対して、「あなたはもう本当に亡くなりました」と自覚してもらうためだそうです。
 自覚してもらったあと、どこに行ったのかは本書では触れず。
 あの世に行って、生き返った例は1度もないので、その手記がないのは当然ですが・・・。
 
 人間はどこに行くのかはっきり明記しているのは聖書だけのようです。書いたのは天地創造主(宇宙や地球、惑星など人間の力では到底できない)の「神」の弟子たち。
 日本語の「神」は神道と聖書と混同しがちですが、韓国語はちゃんと区別されています。「神」は???(ハナニム)と? (シン)の2つあり、前者は西日本で多く使われている最初の「ハナから」を意味します。「ニム」は・・・「様」、直訳すると「最初様」ですが、「一番はじめから存在しておられる方」というニュアンスになります。

目次を読んでいると、5章の中に「盲聾の場合は?」という文字を発見。

 目の見えない方、耳の聞こえない方を見送る念仏を唱えたことがあり、亡くなった方のお姿やお気持ちを聞き取れたそうです。
 先天性の方は、亡くなるまでは光が見えません。
 亡くなると、その障害が取り除かれ、見えるようになります。
 参列者の顔が見えるようになり、喜びに満ちていました、と書かれていました。
 
 今度はろう者です。亡くなった方の身内も聞こえない方がいらしているので、手話通訳者も呼んでもらいました。音のない沈黙のお葬式でしたが、本人は突然聞こえるようになり、念仏の声やまわりの騒音も初めて聞こえているようで戸惑っているようです。
 念仏を唱えるときに故人の名前を読み上げても、反応が全くありませんでした。

 目の見えない方は見えるようになり、喜びに満ちたと書かれているのに、ろう者は読み上げられても反応がなかったとは、かなり矛盾。障害が取り除かれたのなら、音声でも理解できるようになるはずだと思うのですが・・??
 お寺の僧侶さんなので、自分の妄想話を本にするわけではないので、信ぴょう性はどうなんだろうと思える本でした。

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