東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

倶知安駅の展示物

2021-06-15 00:32:06 | 2021_春_JR北海道


 久しぶりのJR北海道なんだけど、どこに行っても珍しくタバコ臭さがなかったのは、ついに昨年(令和2)年3月ダイヤ改正より喫煙率ワーストワンの北海道に駅構内は全面禁煙になりました。ただし、煙が外部に漏れない喫煙室のみ喫煙可。
 なぜ、北海道はワーストワンなのか言いますと、土地がひろーく人口密度が低く、タバコ嫌いな人と隣り合わせることはあまりないこと。男性より女性のほうが喫煙率が高いのは、北海道の男性はおおらかなので、タバコくらいは文句は言わない、という気質があるそうです。それが本当の話なのか、分析して根拠があればいいですが・・・。
 昭和の国鉄時代はロングシートの通勤型電車(101系や103系)は灰皿を取り付ける場所がないため、当然ながら最初から「禁煙」。4人掛けボックスのついている中距離電車(111系や113系など)や1964(昭和39)年に開業した直後の0系新幹線も、「禁煙」の「き」すらなく、全車両喫煙可。タバコが迷惑だと国鉄に苦情を申し入れ、1981(昭和56)年から16両編成のうち、たったの1両のみ、しかも1番端っこの1号車のみ。タバコが迷惑だって文句言うなら1番端っこへ追い出せ!という感じに。少しずつ、少しずつ禁煙車を増やし、1987(昭和62)JR発足時は3:7で圧倒的に喫煙車の割合は多かった。
 1992(平成4)年に300系のぞみが新デビュー。その時点では五分五分。あれから30年、社会情勢が変わり、もう完璧に逆転となりました。他人に迷惑をかけないように喫煙マナーを守っている愛煙家には大変申し訳ないんですけど、車を運転しながら火がついたままポイ捨てとか、窓を開けて運転していたら、前の車が吐き出した煙がもろにうちの車に入るとか、そういった輩を見つけるとタバコなんて非常に迷惑な代物なんだから、1箱千円以上にするか、この世のなかからタバコなんて無くしちゃえ!!って思うことも。

 改札付近に山線写真展がありました。

 このあたりだと北海道の富士山だと言われている羊蹄山をバックにした校風明媚な風景ばかりなので、汽車も映えています。

 今は無き、DD51ディーゼル機関車牽引のニセコ号。かつての山陰本線もDD51王国だった。通学で毎日のように乗り飽きるほど先頭はDD51機関車なので、ナンバープレートを見ては今日は6並びの666号。昨日は1171号・・・など番号まで覚えてしまう始末。2015(平成27)年、札幌発上野行きのカシオペアの先頭は函館までDD51の2連。種別は「特急」なので、2両つないでパワーアップ。ちなみに急行「はまなす」は1両。道内のDD51はタイ国鉄に譲渡してしまい、国内で在籍している台数はかなり減少している。この先またDD51に乗車できる機会はあるのか。

 新型H100系が使われているので、真新しい看板まで用意されています。

 札幌駅のとなりに「倶知安」の途中下車印。

 ラストの客は私だと見届けあと、そそくさと改札口にチェーン。JR北海道では駅員さんが駐在する時間帯では発車10分前から改札口を開け、乗車券をチェック。改札口を開放してしまうとキップを買わずに無賃乗車とかの被害も出るので、10分前から改札は正しいかも知れません。

 倶知安はみどりの窓口のある駅なので、このマルス端末で少々のお買い物。
 途中下車の駅名小印を押してもらった駅員さんに「この乗車券、新函館北斗から新幹線なので、函館までの乗車券が欲しいです。それと、明日の函館からいさりび鉄道の木古内まで連絡運輸の範囲内に入っていれば発券お願いしたい」とリクエスト。
 「新函館北斗から函館までは出せるんですけど、函館からのいさりび鉄道はここだと範囲外なので、無理です」とのこと。
 マルス端末は全国の社線もデータが収録されているので、物理的に全国どこでも発券はできるはずだけど、私鉄とJRとの連絡運輸の取り決めがあり、範囲内の駅であれば発券可、範囲外は不可となっているようです。たとえば、山口県の錦川鉄道も連絡運輸範囲は山陽本線の西条から。そこから遠く離れたJR東日本の駅で「(陽)西条 → (社)錦町」 
  (陽)西条ー岩国  山陽
   岩国 ー 川西  岩徳
   川西 ー 錦町  錦川鉄道線  とインプットし、発券ボタンを押すが、端末はうん、と言わないし、きっぷも出てこない。
 駅員さんが発券できない理由を調べ、「連絡運輸範囲内の駅でないと発券できないみたいです」
 
 西条駅の「みどりの窓口」で錦町まで、とリクエストすると、すんなりと発券。

 2019(令和元)年12月14日。その頃の武漢では原因不明の肺炎にかかっている患者が千人超え。中国政府は原因不明の肺炎を隠蔽しようとしたため、国外への報道はしなかった。最初にコロナを発見した眼科医がこれは非常に危険なウイルスだと警鐘を鳴らしたが、デマを流すな!と当局に処分させられ、ご自身もコロナにより亡くなられています。日本にニュースが入ってきたのは確か年末の12月31日頃。中国で原因不明の肺炎が流行っているくらいの内容だったような記憶がします。
 2020(令和2)年1月15日。武漢からの帰国者がウイルス保持者だったため、この日は日本で最初に発見された日。感染力がすさまじく、日本も危うくなりそうだと話が出たのは2月の始め頃。あれからもう1年以上経過しているんですけど、今も中国ウイルスの話題が続いています。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 本日も就航します | トップ | 本日も就航します »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

2021_春_JR北海道」カテゴリの最新記事