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青ヶ島トリビア!?

2012-03-16 00:36:57 | 青ヶ島

 昨日(3月13日)、高度な図書検索方法の研修に参加しました。
 お客さんから要求があっても、「それはわかりません」と答えるのはナンセンス。
 通常の業務端末ではヒットしない、図書や雑誌の目次に載っている、きめ細かなキーワードまで検索できる機能です。
 たとえば、AKB48の楽譜が載っている雑誌という要求でも的確に雑誌の名前、発刊した月などの情報をヒットできるものです。

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 「青ヶ島」で検索して、ヒットしたのは5件。うち、「地理 2010年3月号」は知っているようで知らなかった、青ヶ島のトリビア的な内容ばかり載っていました。

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 雑誌の表紙では「青ヶ島」の文字すら見当たらなかったのに、目次では載っていました。


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 天明の噴火(1783~1785年)の火砕流により、当時の島民が神子の浦から八丈島に避難しようとするが、全員収容することが難しい3隻。乗り遅れた島民の最後は悲惨なものでした。
 当時、八丈島は食糧事情が悪化し、青ヶ島島民を引き受ける余裕もなかったそうです。
 50年間も無人島になりましたが、佐々木次郎太夫が還住を果たしました。ここまでは知っている知識なんですが、この先は青ヶ島トリビア的になります。
 

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 まず、青ヶ島焼酎の「あおちゅう」。我が家でも、「あおちゅう」のストックがなくなれば、注文してしまいますが、青ヶ島では貴重な現金収入になるため、島民が飲むことは禁じられているそうです。では、島民は何を飲むかというと、八丈島の焼酎を輸入して飲むとのこと。
 そういえば・・・いつもお世話になっている民宿のビアガーデンで焼酎を注文すると、八丈島産。ここは青ヶ島なのに、なんで「あおちゅう」を出さないんだ!?と思い出しました。

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 昭和40年代の食卓。巨大の生簀だというのに、食卓に上がるのはカンモ(サツマイモ)ばかり。
 その理由は・・・・

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 当時はちゃんとした港がなく、船着き場のようなものでした。
 そのため、漁業権がなく、おとなりの八丈島から漁船がやってきても指をくわえて見るしかなかったそうです。

 人口170名に民宿が5軒もあるのは、島における公共事業のために島外からやってくる人間の一時的な宿。宿を利用する目的はほとんど「公務」なんですが、私みたいな「観光」は稀らしい。何もないところに訪ねて来ては、レジャーらしいものはないのは確かなんですが・・・。

 日本の首都、東京都内でありながら、人口170名の青ヶ島村は全国で超ミニ自治体。かつては、島民を島外に移住させようという事業があったようですが、青ヶ島の島民は全員家族のよな温かい環境から出たくないという強い要望があったとのこと。
 そのおかげで、日ごろの雑念や煩悩を忘れるために青ヶ島を旅し、すっきりリフレッシュすることもできます。
 
 

コメント
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