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人名用漢字

2004-07-21 14:10:02 | showtime
「苺が入るのは決まっており、そのための線引きがむずかしくなった」 とは、

人名用漢字追加案の作成にかかわった関係者の言葉(『時時刻刻』 朝日新聞 7月20日)。
当時の法務大臣の森山眞弓の地元は苺の名産の栃木県だったので、まず追加案に「苺」が入ることは早々と決まっていたそうだ。

先日、以前より人名に使用する要望の多かった漢字を『人名用漢字』に追加しようと作成された『追加案』 が発表された。しかしそこには「糞」「屍」「呪」「癌」「罵」など名前にふさわしくない文字が入っていたので、発表された途端、批判が集中した。

「これまでだって、『大便』や『死体』とかの名前をつけることは可能だった」 と、最近の漢字ブームの先駆者である高島俊男は反論した(『お言葉ですが…』 週刊文春 7月15日号)。しかも「小生(追加案に対し)双手を挙げて賛成する」 とまで書いている。別に子供に変な名前をつけようというのではない。『人名用漢字』が、『常用漢字』に挑戦しているからである。

通常、我々が使う漢字は決められている。

普段使う漢字は、  『常用漢字(1945字)』     (内閣公示で決めるのは政府)
名前に使える漢字は、『人名用漢字(常用漢字+287字)』(決めるのは法務省)

今回の人名漢字追加案はこれに600字近くを追加しようというのである。では、なぜこんなに多くの漢字を追加しようとするのか? それによって、この追加案に対する評価が変わる。(批判的な人の多くが、選定は使う人への丸投げで無責任だという。)

高島俊男によれば、すべての字が人名に使うために選ばれたわけではない。追加案の578文字のうち本当に名前に使えそうなのは、実は20字ぐらいしかない。なぜなら、『人名用漢字』が、評判の悪い『常用漢字』に漏れて使えなくなってしまった文字を使えるようにしようと意図しているからだ。

ほんの一例だが、「べっ視」や「ら致」という表記を新聞で見かけることがある。本来は、「蔑視」であり、「拉致」である。しかし、常用漢字を厳粛に守っていたら、ひらがなで書かなくてはいけない。公文書や教科書は言うに及ばず、新聞ですら政府の意向に沿ってひらがなで書いている。しかし、「蔑視」も「拉致」もこうして我々が読めるのは、政府の意に反して書籍や雑誌で使われてきたからだという。で、その延長線上にあるのが、今回の『人名用漢字追加案』であると高島俊男は力説している。ちなみに、『常用漢字』の元になっているのは、GHQの占領政策である。戦後60年近くなっても、日本人はお仕着せのまま過ごしてきているのは、なにも憲法だけではない。(別に全部ひらがなでもいいではないかという意見は、長くなるのでここでは扱わない。)

と、さすが高島俊男と思って納得していたのだが、最初に書いたように漢字の選定には政治的な横槍も入っているという記事を読んだので、思い出して blog にアップしてみた。


中村俊輔

2004-07-21 06:51:24 | showtime
「うーーーん、まあーー、はい」とは、

アジアカップ初戦のオマーンとのゲームを自らのゴールで辛くも勝利に導いた中村俊輔が、試合直後のTVインタビューで 「苦しい時間帯にナイスゴールでしたね」 との問いかけられたときの答え。相変わらずの大人気ない受け答えだが、ゴール前で落ち着いたボール捌きからのゴールはさすがだった。

「一人の個人技で打開しようとしても、二人目、三人目が足が止まってしまった状態がたくさんあったと思うんで、暑いときだからこそ、連動したときにミスしなければ簡単にゴールになった場面も何回かあったんでそういうミスをなくせば、別にボールをまわされて、攻められてもいいとは思いますけど」 というような、これまた他人事のような解説までしているのも、相変わらずだ。

「セカンド・ボールをほとんど拾われていたので、次の試合からは、そこのところを注意して。やっぱり球際をもう少し強く行かないと、やはり競り合いですべて負けてしまっていたので。球際をもう少し強く行って、絶対負けないんだという気持ち気迫を持ってプレーしたほうがいいと思います」 とは、背番号23をつけた川口能活の言葉。また、チームメイトから総スカンをくらいかねないのではないかと心配してしまうほど、余計なことを喋っている。せっかくチャンスをもらったのに、大丈夫か?

(中田英寿不在のおかげで?) 東欧遠征でチームにまとまりができたと言われてきた日本代表だが、上の二人の受け答えを聞く限りでは、まだまだ結束が固いとは言いづらい状況のようだ。まあ、勝てば結束が固まるので、大切なのは結果を残すことだ。そういう意味も、初戦のオマーンに勝ったことは大変意義がある。