旅の途中・・・

食と音と人の旅

ひできちという男

2010年06月13日 19時01分50秒 | 
旅人である。旅日記を書いたりもしている。出会いは北大のケイテキ寮の常連が連れてきたのである。夜中に大通りで酒を酌み交わした事もある。朝まで呑んだくれていた事もある。なんか安心感を与えてくれる人柄なのである。バイタリティがあり、ひたすらいい男である。私の悪魔の誘惑にも動じない。家族を大切にする。親友である。一度お店(ラーメン五丈源)にふらっと立ち寄った時、「これたまごなんですけど食べてください」なんていきなりたまごをくれた。わたしは彼が大好きで、会うのをいつも楽しみにしている。ネパール、チュニジア、ドイツ等いろいろ行っていてその視点がまた面白い。ラーメン五丈源は超有名店。お立ち寄りの際は気楽に話しかけてみてください。ひできちはきっとニコニコしながらあなたのこころに入っていきますよ。

ペルセポリス

2010年05月02日 14時47分49秒 | 
中東の3Pって知っていますでしょうか?パルミラ、ペトラ、ペルセポリスという古代の遺跡なんです。そういえばこの頃パキスタンのモヘンジョダロで早稲田大学の学生が誘拐されてました。なんでも日本政府が身代金を払い解決したようですが・・・だいたいインドのデリーにいた時からここはこんなことが起こるから行かない様にという事になっていたんだけどなぁ・・あぁ話が飛んでしまいました。もとへ、この中のペルセポリスがイランのシーラーズ(イラン南西部の都市。)付近にあり、この街からタクシー(当時はとても安かった)に乗って訪れた。当時はおしんがイランで放映された事で、日本人と見れば「おしん、おしん」と指をさされたものです。このペルセポリス、ペルシアの語源かなんかだった様な・・・
また話が変わり、日本を出てから7ヶ月が過ぎていた。今一番重要なのは、白いジャポニカ米。そう、テヘランまで行けばありつける。その情報は既にget している。すしが喰える。この思いがこの先の旅を元気づけている?弱いものです。遺伝子レベル?パン好きな人には関係ないけど・・・・ただラホールで食べた台湾ラーメンがつなぎになりました。さぁ次はイスファハンだ!

ザヒダン1991年

2010年04月22日 16時32分32秒 | 
パキスタンのタフタンを夕方に出てザヒダンに着いたのは深夜。なんとか宿(結構ボロい)も確保して、飯でも喰おうと近所の食堂へ入る。ローストチキンとライスとコーラを注文する。これが久々に美味しい食事になりまして、味付けもカレーの国々から抜け出したんだと実感する。水がいいのかコーラがうまい。がしかし、なんだこの瓶はペプシやらコカコーラやら瓶がバラバラじゃないか!再利用?中身はペプしでもコカコーラでもない。まぁいいか、美味しいし。それにしてもここイランでは数ヶ月前までは闇両替が18倍だった。もっと早くくれば良かった。スーツのひとつでもつくれたのに・・・五つ星のホテルも泊まれたのに・・・ああ、でも良い子の皆さんは公定レートでお願いします。ああ、それからここは悪い秘密警察が出没するという情報があり、イランへの道(デリーで出回っている日本人用手書きのガイドブック、まだイランのガイドブックが市販されていなかった)にも乗っていた。気をつけなければ・・・
さっさと明日シーラーズに行こう。

アイバー旅行記(スタッフ相葉の奄美大島旅行記/ピカ通信の続き)

2010年04月09日 15時42分29秒 | 
3日目。
社長たちは朝7時に出航とのことで、朝早く出て行かれました。
私たちは朝食をとり、昨日ばしゃ山村で見つけたそのホテルが経営しているらしい、民族村という施設で陶芸体験をすることにしました。
その他にも黒糖を使ったお菓子作り体験や、塩作り、島唄体験などもできましたが、あえて陶芸をチョイス。
作り方を教えてもらい、はじめに作りたいものを決めて、焼くと縮むからふたまわり位大きく作ってくださいと言われ、私はマグカップを作ることにしたのですが、出来上がったものを見てみるとマグにしては大きくなってしまい、もうスープカップとして使うことが決定されました。あとは一緒にスプーンも作りました。
こちらに届くのは3月か4月頃を予定しているそうで、忘れた頃にやってきますが、今から楽しみで仕方ありません。
陶芸教室の方に別れを告げ、私たちは日本で2番目に広いというマングローブの見学に行きました。
カヌーというてもありましたが、あえておじいちゃんが説明してくれながらこいでくれる遊覧船を選びました。
寒空の下船は出発。丁度干潮時だったので、普段水でかくれているマンブグローブの根っこが見れたり、満潮時には通れないようなところも進めました。
たまに魚がいるそうですが、今回は見れませんでしたが、白鷺や、ハマチドリという青い鳥を見れました。
そして自然を満喫した後ホテルへ戻り、社長たちの帰りを待っていたのですが、5時になっても6時になっても連絡が来ず、つい眠ってしまいました・・・。
そして7時ごろ、ようやく港についたという連絡があり、戻り次第すぐまたばしゃ山村へ夜ご飯を食べに行きました。
そこではクエという魚の鍋と、凄かったのが初めて食べる伊勢海老の活造りをいただきました!!
さっきまでそのレストランの生簀で生きてた伊勢海老さんが今私の目の前に!!わ~・・・写真でしか見たこと無い~。
身はプリップリ、コリッコリでとても美味しかったし、感激しました!!写真も沢山撮ってしまいました。
その後はカレッタハウスのバーのお兄さんがさばいてくれた、社長たちが釣った魚をお刺身でいただきました~!!ごちそうさまでした。食べすぎた~。

4日目。
ついに札幌に帰る日がやってきました。ホテルのチェックアウトをすませ、外へ。
今までで一番天気がよく、気温も高い。ずっと真冬のかっこうをしていたけれど今日は違う。
長袖1枚でいけるほどのあたたかさ。
・・・でもなぜ今日?
とヘコみながら、私の希望で土盛海岸へ行きました。青い空、白い砂浜、青と緑の海。どうしてあんなに綺麗なのか。
また来たい。そう思わずにはいられません。
飛行機の時間もあるので、レンタカーを返し、定刻通り鹿児島空港へ。
空から見た奄美の海は、雲の上に行って見えなくなるまでずっと綺麗。奄美ってすごい。

もう札幌に戻ってきて数日経ちましたが、今でもあの海の色を忘れられません。
私を連れて行っていただいて本当に感謝しています!!みなさまも機会があれば是非、日本ではないような奄美大島へ行ってみてはいかがでしょうか??                

ラホールからクエッタへ

2010年03月14日 15時04分33秒 | 
パキスタンのラホールを出た。列車で30時間以上の乗車だ。1991年6月。気温50度以上。途中旅人たちにココの区間は水を10リットルは持っていったほうがいいよというアドバイスを貰う。確かに飲みっぱなしだった。最初のうちはコーラ売りが来ていたのでそれを飲んでいた。だいたいが砂漠地帯なのだ。停車のたびにプラットホームで飲み物を探した。それは10リットルの水の量に不安を感じて来たからだ。何か飲みもの売りがいた。買ってみる。飲んでみる。・・・おえ~~~!トイレの芳香剤だ!こんなものいくらなんでも飲めませ~~ん。まだ水もあるし・・・、捨てました。ごめんなさい。
あとどのくらいで着くのだろう。24時間はたった。コーラと水でなんとかつないで、あと2リットルくらい。かなり不安を感じて来た。砂漠の景色はもうどのくらい続いているのだろう。外は小さな竜巻が何個も発生している。そんな光景が面白くてずっと眺めている。ずーと遠くから数百メートル先まで。小さいとはいえ、20メートル以上高さがある。あ~喉が渇く。また水に手をつける。とうとう水が底をついた。どうしよう・・・・かなり不安を感じている。30時間以上は乗車している。暑い。40度以上はある。Tシャツはすでに塩をふいていてかなり白くなっている。列車が停車した。ここもまわりは砂漠だ。
水を求めてふらふらとプラットホームに降りた。あった!水物が・・・しかし
また先ほど登場した芳香剤だ。なんということだ、もうこれしかない。
仕方ない。人間は極限になるとなんでも飲んでしまうという貴重な経験だった。
捨ててしまったとは思えないほど、ゴクゴク飲んだ・・・空きボトルに詰め込めるだけ詰め込んだ。しかしあとどのくらい乗っていなければならないのか?・・突然車内が真っ暗闇になった。ものの2~3秒のことであった。どうやら竜巻に巻き込まれたようだ。息をするのも大変なくらいだ。口にタオルを当ててしのぐ。車内の暗闇がおさまってきた。乗客の顔が真っ黒だ!砂漠の砂は黒いのか?大笑い。それにしてもまさか竜巻に巻き込まれようとは・・・
しかし誰だよドアまで全開にしてたやつは。暑いのは解る、でも窓からでも入ってくる風はヘアードライヤーの強以上ではないか!とかやっているうちに目的地クエッタに到着。熱地獄から開放された清々しさ。思いっきり水をのむぞ~!旅人、水のありがたさを知る。この数日後タフタンまで行くのだが20リットル以上の水を持って列車に乗る事を深く決意した。

アイバー旅行記(スタッフ相葉の奄美大島旅行記/ピカ通信の続き)

2010年03月09日 14時24分25秒 | 
そして2日目。
そもそも今回の旅行、メインは釣りなのです。この日も朝から釣り予定で、
釣り初体験の私は釣って釣ってもうどうしよう、となるまで釣る予定だったのですが、
昨日に続き曇り空、そして強風のため釣りは中止。
朝食をとった後、お土産を買いに大型スーパー・ビッグへ(果たしてビッグはあるのか!?)
広い店内にはお土産のほかに食品、日用雑貨などはもちろん、ゲームセンターやお食事処もあり、
さらに同じ敷地内に(入りませんでしたが)小さい動物園もありました。
その後は社長が釣り用に船を借りていたので、停泊している港へ向かう前に、その途中にある
ばしゃ山村というホテルのレストランでコーヒーを飲みました。
ここでは従業員の方が制服のまま島唄をうたってくださるサービスがあり、初めて奄美大島の島唄というものを聴きました。衣装的なものは無いのかな・・・?
そして、そのレストランの目の前は海。風が強く寒い中一人外に出てみて、海の綺麗さにしばし呆然とするのでした。つい貝殻とか拾ってみたりして。
その後船まで移動。陽気な船長さんが出迎えてくれました。
私は船酔いが怖いので船釣りは遠慮させてもらったのですが、その港でも今釣れる、とのことなので、早速社長たちは釣りの準備。私も、社長に釣竿をセットしてもらい、ついに初めての釣りがスタートしました。もちろん釣竿を持つのも初めて。釣り糸を海に落とすこともわからずに、ほぼ社長にやってもらいながら魚を待つ。
更に待つ。まだ待つ。・・・なにも来ない。時折強風に飛ばされそうになりながら、餌をつけかえながら待つ待つ待つ。ただただ寒い。寒いと思ったら突然雨から雪を通り越してなんとあられが降ってきたのです!!常夏予定だった奄美であられです!!雪の塊は次第に大きくなり顔にぶつかり痛い痛い。ここは一体どこですか?真冬の北海道ですか?いいえ違います。ご存知奄美大島。
仕方なく釣り組は何も釣れないまま車へ戻り、明日に期待することにしたのでした。
そのあと車は島どうふ屋さんという豆腐料理のお店に行きました。
その中で奄美産山芋入りのコシャマン豆腐、豆乳、湯豆腐が食べ放題で、それがおいしくておいしくて、みんなで沢山食べました。注文したお料理もすべておいしくて、今回も満腹です。
その後は奄美大島紬村という、大島紬の工程を見学できる施設や泥染め体験ができる施設がある場所に行きました。しかし閉店時間が迫っており、わざわざ開けてもらったお土産やさんで何も買わず出てきてしまいました。
部屋に戻りニュースを見ると、鹿児島県で何年かぶりに雪が積もって交通渋滞が起きているとのこと。この日がこの冬1番の寒さだったようです。
つづく

ベトナム戦争で戦ったオーストラリア人

2010年01月31日 20時30分29秒 | 
ホーチミンからサイゴン川を下りブンタンに行く。途中川の両側は密林、こんなところでベトコンが戦っていたのだろうか。1975年サイゴン陥落。ひとつの歴史が終わる。35年前チャラチャラバンドマンをやっていた頃、ここではたくさんの命が散っていた。そりゃいろいろ事情(アメリカとの関係等)はあるだろうが、この奥深いベトナム戦争特需で日本はおこぼれを貰っていたんだろう。もちろん直接戦争はしていない日本。SEATO(東南アジア条約機構)の主要構成国である大韓民国やタイ、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドが南ベトナムを支援して派兵している南ベトナム解放民族戦線が中心となって、南ベトナム政府やアメリカ合衆国などと戦っている。共産主義勢力の主体は北ベトナムとソビエト連邦、中華人民共和国であり、南ベトナム解放民族戦線はその下部組織、つまり代理戦争。そして今回の旅で、この戦争のさなかに居た、オーストラリアの戦士に会った。60才過ぎの二人組。実際はベトナム人のガールフレンドと一緒だけど。まぁ楽しく遊んでいらっしゃる。豪快な遊びっぷり。だけど一人は指がぶっ飛んで、お腹に銃弾をくらっていた。まるで勲章のように見せてくれたけど、なんか、切なく観じた。香港人も参加してターミナルの前は私たちで大盛り上がり。おじさんたちの人生に乾杯!ありがとう。旅に感謝!戦争反対!

奄美大島で釣り

2010年01月22日 14時10分58秒 | 
久々の休暇だ。去年9月キサの河野店長とベトナムに偵察に行った以来だ。ベトナムの事は後ほどご報告ということで。
今回奄美大島は寒波が丁度やってきていてアラレが降りました。鹿児島でも積雪になりまして、北海道の雪や寒さから逃れてやって来たのに・・・がしかし、3日目釣り船は出航した。その船はオーシャンパイオニア。船長は泊さん。その後12時間船に乗り続ける事になるのだが、こんなに長い間釣りで船に乗ったのは初めてである。今回の狙いは・・・クエ(モロコ)である。
まずムロアジを釣りに行くという。これはエサになるのである。生きたまま、いわゆる生き餌。隣の島、界喜島近辺での釣りが始まった。ムロアジが無ければこの後釣りが出来ない。澤田主任と意気込んで糸を落とした。
なかなかかからない。水温が低いのかなぁ。いや腕が悪いのだ。
それでも数引き釣れてクエ、カンパチの魚場に向かう。今日の波はまだ耐えられる。
カンパチが釣れた。65cmくらいかなぁ?ナポレオンフイッシュも釣れた。細長いオレンジ色の1メートルを超し頭がトランペット。スキューバーをする方達が喜ぶそうだ。一応刺身で食しました。これといって味に面白さは無いけど、普通に美味しかった。まぁカンパチもです。クエは釣れず。
しかし実は80Kg級の大物も釣ってしまったのである。ヒットしてから50mくらい糸がもっていかれ230mでストップ。糸が残り20mだった。危なかった。30分かけて釣り上げたのですが、こっちは船長の言う巨大カンパチの言葉にやる気満々!慎重に糸を引き寄せもう少しで、その本体が現れる。ドキドキしながら巻き上げていくと、船長の落胆の言葉。・・鮫だ~!あ~~ぁ!

悟り

2008年08月12日 14時56分45秒 | 
SATORI. それは33年ほど前のことです。青春時代、真っ盛り。千鳥荘という家賃¥16000、6畳一間。そこの住人はみんな知り合いで、ススキノで働いていた。牧野ちゃん。斜め向かいに住んでいた。麻呂、やぎみんなハチャメチャ遊んでいた。幼くも楽しく、懐かしい思い出だ。今も彼はSATORIという店をやっている。南4条西5丁目都志松ビル4F
http://www.satori.ws.
あれからずっとたまにだけど牧野ちゃんに会いにいっている。この店は70年代のロックをかけていて牧野ちゃんも70年代を醸し出している。
少し前まではロンドンブーツをはいていた。最近はやめたようだ。時空を超えてあの頃へタイムスリップだ。あの頃。ゆっくりだった時間の流れ。いろんな事がたくさんあった。不安だった。夢もあった。小さな光があったような気がする。
いつまでも元気でSATORIをやっていてほしい。
気が向いた時に合いにいくからね、牧野ちゃん。ありがとう。


お笑い芸人オクラホマ

2008年07月04日 14時34分52秒 | 
忙しくてなかなかブログも更新できずやっとです。先日、河野さん藤尾さんと5、6年ぶりに呑んだ。前の前のウ゛ォイジュ以来だ。今回はホライズンの店長も一緒だ。オクラホマさんhttp://ja.wikipedia.org/wiki/の大ファンなのであった。最近は大活躍のオクラホマさんhttp://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%AA%A5%AF%A5%E9%A5%DB%A5%DE。お忙しいのでなかなか誘いづらい。つき合っていただいて感謝!
この前大泉さんhttp://search.jword.jp/cns.dll?type=lk&fm=101&agent=1&partner=Excite&name=%C2%E7%C0%F4%CD%CE&lang=euc&prop=500&bypass=0&dispconfig=がウ゛ォイジュにご来店くださって、初めてお話しさせていただきました。気さくないい感じの方でした。いや~かっこいいですね、あいかわらず。レトルトカリィの分野ではライバルなんですが、まぁかなわないところもあるんですが・・・その後安田さんhttp://search.jword.jp/cns.dll?type=lk&fm=101&agent=1&partner=Excite&name=%A5%C1%A1%BC%A5%E0%A5%CA%A5%C3%A5%AF%A5%B9&lang=euc&prop=500&bypass=0&dispconfig=に聞いてやってきたというAAAhttp://www.avexnet.or.jp/aaa/index.htmlのメンバーがご来店してくれました。なんか嬉しいですね。ともあれ河野さん藤尾さんウ゛ォイジュは応援してますよ。いつか旅番組創りたいな。