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“ 嵐が吹き消した 恵みのろうそくを 再び取り上げ、それに新しい明かりを灯さなければならぬ。” 教皇ヨハネ二十三世

file.no-24 『 KOUDELKA 』

2005-05-04 01:05:59 | et cetera
私みたいな人間がプレイするゲーム。それはメジャーなものから、そうでないものまで、両極端であるようです。
さて、今回は、そんなマイナーなゲームのレヴューです。
『 KOUDELKA 』
今は亡きサクノスという会社から発売された、甘辛混在のゲームです。
( 画像は、海外版のパッケージです )

先ず、ゲームのシステムが非常にやりづらい。
グラフィックが美麗で、ムービーシーンなどは大変高い水準なのですが、バトルシーンが大変拙い。
ロード時間が長く、キャラがターン制で動くため、バトル一回が終了するのに7、8分かかることもしばしば。
画面が暗く、自分の行くべきポイントやアイテムが大変見つけにくい。

では、私がなぜこのゲームを気に入っているのか?
それは、シナリオの素晴らしさです。
舞台は、19世紀末の英国。ウェールズはネメトン修道院。
登場人物は、霊媒師に冒険家にヴァチカンの司祭。
では、物語のあらすじを。

 霊媒の力を持つクーデルカ・イアサント。彼女はある霊の導きで、ウェールズのネメトン修道院にやってくる。
 修道院は、ある富豪によって買い上げられ、その住居になっているはずだが、門扉はかたく閉ざされ人気も無かった。
 彼女は修道院の外壁に垂れ下がっていたロープをよじ登って、院内に入り込む。
 降り立った納屋の中には一人の男が血まみれで座りこんでいた。
 彼の名前は、エドワード・ブランケット。
 自称冒険家。彼は、この修道院にまつわる噂を聞いて、ここにもぐりこんだと言う。
 突如現れる異形の怪物。
 聖なる場所であるはずの修道院に、なぜこのような怪物が・・・?
 二人は、修道院の管理人の老夫婦に会い、食事をふるまわれるが、その中には毒物が!
 なぜ毒を盛ったのだろうか・・・?

 院内を探索する二人は、温室の中で倒れていた神父を介抱する。
 ジェームズ・オフラハティ。。この修道院を買い取った富豪というのが彼の学友だったのが縁で、ヴァチカンから特命を受けてやって来たのだ。
 三人は一緒に行動することになった。
 院内の地下には、屍が山となって積まれていた。なかには最近投棄されたような腐乱死体まで・・・。
 彼らは、かつてこの修道院が、政争に破れた中央の要人たちを幽閉・処刑する場所であったことを知る。そして、この怨念が漂う場所で、とある儀式が行われていたことも。
 オフラハティは語る。彼の学友・パトリックが、ヴァチカンから禁書『エミグレ文書』を盗み出したことを。そして、エレイン。オフラハティとパトリックが、かつてその心を射止めるため、競い合った女性。パトリックの妻となった彼女はここにいるのか。
 クーデルカは、エレインはすでに亡くなっていると告げる。自分は、彼女の霊に呼ばれてここへやってきたのだ、と。だが、オフラハティは信じない。

 書斎にかけられたエレインの肖像画の前で、クーデルカは降霊を試みる。
 現れるエレインの魂。
 オフラハティは、エレインが死んでいることを信じざるをえなかった。
 「なぜ、こんなことに・・・」
 エレインは語る。自分がかつて強盗に襲われ死んでしまったことを。
 彼女を生き返らせるため、パトリックがエミグレ文書を盗み出し、そこに記された儀式を行ったことを。
 ロンドンから数多くの娼婦を連れてきて、生贄として殺したその儀式のことを・・・。
 だが、儀式は失敗し、エレインの遺体は生き物として蘇生はしたが、その身体に彼女の魂は戻らず、怪物と成り果てたことを・・・。
 エレインは言う、「私の身体を消滅させて」と。
 オフラハティは言う、「そんなことをすれば、君は生き返れなくなる」と・・・。
 「いいのです。死は神のさだめたもうた摂理。どうか、私の身体を塵に戻して・・・」そう言い残して消えていった。
 「なぜだ、エレイン!君の幸せを願って、私は神父になったのに・・・。こんな・・・酷すぎる・・・エレイン・・・!」
 エレインの消えた虚空に向かって、泣き叫ぶオフラハティ。

 自分の犯した罪と戻らぬ妻の喪失の重さに堪えかねたパトリックは、エミグレ文書を胸に抱いて、聖堂の地下で事切れていた。
 聖堂に火を放ち、その屋上に、怪物と化したエレインの肉体を追いつめる三人。
 だが、巨大化した怪物には、銃の弾すら通じなかった。
 逆に追いつめられる三人。
 オフラハティは、十字架を胸に抱き、怪物の前に一人立ちふさがる。
 「今こそ、あの時言えなかったことを言おう。
  ・・・愛していたよ、エレイン・・・」

 瞬間、天から光が降り注ぎ、オフラハティとエレインの身体はその中で融けていく。
 「帰りましょう、ジェームズ。懐かしいあの頃へ・・・」
 光の中、二人は空へと昇っていった。
 それは、神の奇蹟だったのだろうか。
 焼け落ちる聖堂から、なんとか脱出したクーデルカとエドワードは、互いの健康を祈りつつ、翌朝それぞれの道に別れていった。

大体、こんな感じです。かなり端折りましたが。
私が好きなのは、パトリックが死んだ妻を生き返らせるために、多くの生贄を必要とする儀式を行うところです。そして、神父であるオフラハティが、そのおぞましい結果を肯定しているようであるところも。
愛している人間がなくなったとき、誰しも、その復活を願うものです。
不死への追求は、その根幹に、愛があるのではと私は思うのです。
愛した人が生き返るのなら、その手段が存在しているのなら、それがどんなに呪わしいことであっても実行するのが人の性であるのかもしれません。

このゲームは、小説化、漫画化され、ドラマCDも発売されるほどのプロモーションが展開されました。私も、この作品のシナリオそのものは大いに気に入っているのです。
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2 Comments

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懐かしいタイトルです (輪世音)
2005-05-08 17:09:18
はじめまして、輪世音と申します。

懐かしいタイトル名を目にして嬉しくなってしまいましたので、コメントさせて頂きます。



わたしもこのゲームのシステム的には閉口させられたものですが、シナリオとしての素晴らしさには多いに惚れ込み、未だに大切な思い出として胸にしまってあります。

本当に、素晴らしい作品でした。



わたしは終盤のイベントの、クーデルカがエドワードに食って掛かる場面とかも好きですね。

夢見がちなエドワードに、容赦のない現実を行きて来たクーデルカが食って掛かって、最後に「愛されなくたっていい。生きている意味が欲しい。誰かに必要だって言われたいのよ」と悲痛に泣くシーン。

映画の一場面のように、しっかりと覚えています。



このゲームは演じておられる役者さんが皆上手いのも魅力的でした。

ゲームというより映画のような作品だと思います。



長々と失礼しました。

懐かしくなってしまったのと、このシナリオを愛している方がいてくれたのか~、という喜びのあまり、ついつい。
返信する
愛すべきもの (Melville)
2005-05-10 15:21:48
コメントをありがとうございました☆



そうなのです。このゲームは、システムはいまいちよくなかったのですが、シナリオは別。

私のような人間がプレイした、数少ないゲームのひとつでした。



なにやら、海外では、クーデルカのバストショットの壁紙なども、あるとかないとか。

久しぶりに、このゲームに再燃するのもよいかもしれません。



95年以降、「これは!」という映画になかなか出会えません。

映画のような、映画をこえるようなゲームに出会いたいものですね。
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