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“ 嵐が吹き消した 恵みのろうそくを 再び取り上げ、それに新しい明かりを灯さなければならぬ。” 教皇ヨハネ二十三世

file.no-64 『悪魔の歴史』

2007-01-05 22:37:06 | 書籍
『悪魔の歴史』 The History of The Devil(1899)
ポール・ケーラス著 青土社 1994年


我々人間にとって、「悪」とは何であるのか。
「必要悪」という言葉がある。本来、我々にとって、その健全な生活を脅かすものであるとされる悪の存在を肯定するものである。そもそも善と悪とが、極端に二分化されることは、はたしてそれ自体健全なことなのであろうか。
人間の行為そのものは、視点ひとつで善とも悪ともされる。つまり、善・悪の二つの要素が含まれているのだ。では、善悪に二分化すること自体が無意味なのではないか。
私は、以前から悪という区別自体が、究極的には無意味だと考えていた。

「悪魔」という言葉は、唯一なる神の行為のすべてを非難し、偽り、中傷する存在を指す。旧約聖書ヨブ記に書かれるように、それはキリスト教にとっては、デヴィル(diabolos)であった。
唯一神を信じる彼らにとっては、旧来の神々はすべて偽りであり、唯一神を冒涜する存在でしかなかった。
私は、イエス自身は友愛を信じており、けして極度に排他的な人物ではなかったと思う。だが、彼の教団とその後継者たちはイエス以上に排他的な性格を強めていったのだと思えてならない。
悪の創始者にして誘惑者とされる「サタン」は、イスラエル固有の概念であったものが、イスラエルの後継であるキリスト教がヨーロッパ全域に拡大するという事態を迎えた瞬間に、ヨーロッパ共通の概念となってしまった。

「悪魔」の現代までの歴史を、イスラエル・キリスト教以前からと、エジプト・メソポタミア・インドといった地域の宗教を交えて綴っている本書は、オカルト的な書名にもかかわらず、地道にそれぞれの宗教の歩みを追っています。
それぞれの時代、宗教で、悪魔をどう捉えていたのか、悪魔はどのように変遷していったのか。

キリスト教徒のみならず、仏教徒、ヒンズー教徒の人にも薦めたい一冊です。
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