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“ 嵐が吹き消した 恵みのろうそくを 再び取り上げ、それに新しい明かりを灯さなければならぬ。” 教皇ヨハネ二十三世

file.no-82 『人びとのかたち』

2008-04-13 13:10:52 | 書籍
“ 銀幕は万華鏡、人生の奥深さを多様に映し出す。
 だから私は語ろう、私の愛する映画たちのことを……。”


最近、友人に昔の海外ドラマのビデオのDVD化を頼んでいます。
やはり、ビデオテープというものは、経年劣化が激しいようで早めのデータ化が望ましいようですね。 『TVキャスター マーフィー・ブラウン』や『名探偵ダウリング神父』、『サブリナ』など、以前にブログでもレヴューをアップしたドラマです。
しかし、今回は、それらのドラマについてではなく、塩野七生の映画についてのエッセイ、『人びとのかたち』についてです。

人びとのかたち
  著:塩野七生  新潮社  1997年

塩野女史は、なかなかの映画好き。この本の献辞には、以下のようにあります。
“ 映画鑑賞を読書と同列において 私を育ててくれた 今は亡き父と母に捧げる ”

映画鑑賞を読書と同列において…、私も映画・ドラマ(主に海外のものですけれど)鑑賞が好きなものですから、たいへん女史の言葉に共感するのです。
映画、ドラマというものは、究極的には虚構世界といえます。
しかし、その中には、よかれあしかれ監督や脚本、演者たちのメッセージが込められており、存外世の真実・現実や教訓を教えてくれるものです。
古い話ですが、『Ally McBeal』などは女性のキャリア・プランが今以上に顧みられてない時代でしたから、ストレートを打ち込むあのドラマに共感もし、喝采をあげ、声援を送ったのでしょう。いまだに、女性だからって店長になれないと平気でのたまわれる時代ですけれど。

さて、女史は言います。 S.スタローンの迷作『ランボー』シリーズ、あの第一作はなかなか説得力のある作品だった、と。
女史はこう言う。
「誰もわかってくれない」と思うことは先鋭化、孤立感が高まっていくことであり、非生産的なことである。その代表が、スタローン氏が脚本まで書くという入れ込みぶりをみせた『ランボー』であると。

あの話はすごいですよねぇ。ヴェトナム帰りの元グリーンベレーが、町で保安官たちにありえない程に冷遇され、怒りに駆られてバトルを開始するという…もう暴走映画。自分のことを分かってもらえない、孤立感に苛まれた男が、合衆国市民に対し銃を向ける。
ありえない映画でした。結末で、逮捕されるというのが救いですが。
「反戦映画」という評価を受け、続編も制作されましたが、第二作からは一転して「好戦映画」に。
ベトナムに潜入したり、ソ連軍と激しい戦闘を繰り広げる…救いようがない。
駄作や三流の俳優たちに贈られるゴールデン・ラズベリー賞をめでたく受賞しました。

「闘う男の孤独」を「わかってもらえない男の孤独」ととらえれば、あの映画もよく出来た作品だ、と女史は言う。
…納得です。孤独な男の、はた迷惑な暴走の映画…日本でも好評だったといいますが。はて、さて。

イタリア映画のマエストロ、フェデリコ・フェリーニ。ジャック・ニコルソンの『シャイニング』。ニック・ノルティの『24時間』。パトリシア・ニールの『摩天楼』。それに、アメリカ人の正義をよく表現した、ブルース・ウィリスの『ダイ・ハード』など…。
女史のおもしろい視点からの、様々な映画への切り込み。
映画こそ好きだが、あまりに人間世界の現実を突き付けすぎ、人間嫌いにさせてくれる映画は食傷だ、と。
ダスティン・ホフマン、ジャック・ニコルソン、ロバート・デ・ニーロ。
彼ら三人を、女史はアメリカ映画界を代表する名優とする。また、ダメにした名優とも。
彼らの成功に幻惑させられ、その亜流として演技をする有象無象を増やしてしまった、人間だと。
おだやかなアイロニー、声高に主張することの恥じらいを未だに持ち続けている、人間の一人として、彼ら三人を女史は讃えもするし批判もするのです。
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