前回に続き、金田ヒサ率いるロックバンド『ランブリングス』について書きたいと思います。
昔を懐かしがっては悦に入る親父みたいですが、原点を振り返って書かないことには始まらないので思いっきり書きます。
実はこのブログのタイトル『ODYSSEY』の原点もそこにあるからです。
金田ヒサ氏と交友のあった学生時代。場所は九州の熊本市です。
彼の『路面電車』という曲にもうたわれている山紫水明の素晴らしい街です。
僕たちは音楽を通じてそこで知り合った。
僕は高校時代、友人の影響で洋楽、邦楽などのロックに興味を持ち、ハードロック系のバンドを聞いていました。特にレッド・ツェッペリンに入れ込んでいた。ギタリストとして、また音楽プロデューサーとしてのジミー・ペイジが大好きだった。
その後、金田ヒサ氏から受けた音楽的影響は大きい。
彼の音楽に大きく影響を与えているバンドがローリングストーンズだった。
優れたロックボーカリストであるミック・ジャガー、そして渋くてきわめて個性的なギタリストであるキース・リチャーズ。しっかりと脇を固めるリズム隊、ベーシストのビル・ワイマンとドラムのチャーリー・ワッツ、(オリジナルメンバー)それぞれの個性が一体となって繰り出される音楽は魅力的なものだった。僕はそれまでローリングストーンズはあまり聞き込んだことがなかったがその後次第にストーンズファンになって行く。
またマディ・ウォーターズ、ジョニーウィンターなども教えてくれた金田ヒサ氏の音楽遍歴はまだまだ、そこからさらに奥深いものがある。
僕の部屋にカセットやレコード盤を持って訪れる。そこで色んな音楽を聞かせてもらった。「佐々木、これ聞いてみろよ。」「何これ・・・。」てな感じでその都度新しい発見があった。
そういえば大ブレークするかなり前の『米米クラブ』のカセットを持ってきて聞かせてくれたことがあった。「聞いてみろよ、こいつら。カッコいいファンクバンドなんだよ。」といつもの調子で聞かせてくれた。音源は何だったのか今となっては分からないけど、かなり泥臭い音だったと記憶している。売れて初めてああゆうビジュアル系のバンドなんだと知った。そのとき『浪漫飛行』のイメージはなかった。
あとはやはり売れる前の『ストリート・スライダーズ』かな。
確かアルバム『がんじがらめ』だったかな。やはり彼が持ってきてくれ聞かせてくれた。
そんな彼があるとき言った。「佐々木、お前メディアとか好きじゃん。博多とかさ、インディーズバンドを取り上げてる専門雑誌があんだよ。熊本にもそんなのがあったらいいよなってみんな言ってんだよ。」「うん。そりゃええじゃろうね。」とか話してるうち、話が弾み『ROCK,N ROLL PAPERS』っていう手書きコピー刷りの新聞を出すことになり、ご理解いただける楽器店などに置いて貰ったりするようになった。
それが何号目から無線綴じの冊子形態に発展し改名することになり、『ODYSSEY』と改まった。その真の名付け親が金田ヒサ氏なのです。
要するに彼は優れたロックミュージシャンであると同時に大変なアイデアマン(コンセプトメーカー)であったのです。本人にその自覚があってのことかどうかは分からなかったけど。そのとき僕に『ODYSSEY』というネーミングへの想いを話してくれた。
それから30年近くの時が過ぎ僕は思う。
『ODYSSEY』を体現してきたのは彼自身なのだと。
また次回、それらの活動をする中でお世話になってきた人達のことや、それらにまつわる色んなエピソードをお話したいと思います。
金田さん自身ブログで、過去を多く語られる事がないように思います。
私は音楽を創る金田さんをリスペクトしているので金田さんが若き日々を
どう過ごされて音楽のベースを作っていったのか興味があります。
今回の話しに米米CLUBなんて出てきただけで驚きでした。
都内ライヴハウスではいつも不機嫌で怖いイメージがあります。
金田さんのルーツを知る佐々木さんの独り言をこれからも楽しみにしています。
そんなところは当時のままなのですね。
ご期待に沿えるかどうかわかりませんが、頑張ります。