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天の命令を聞く耳=天耳をどうやったら身につけられるか

2018年01月22日 07時06分35秒 | Weblog

偶々読んでいる論語にこうある。

子曰く、君子有三畏、畏天命、畏大人、畏聖人之言、小人不知天命而不畏也、狎大人、侮聖人之言。

貝塚茂樹氏の解説ではこうなっている。

君子には三種類の敬虔さが要求される。天命に対して敬虔であり、大人に対して敬虔であり、聖人の言葉に対して敬虔であるということである。小人は天命を解しないのでこれに敬虔ではなく、大人になれてずうずうしくなり、聖人の言葉を軽視する。

* 「大人(だいじん?)」は賢人、人間を超えた超越的権威者。(貝塚説)。天命を知る者の謂だろうか。

* 「畏れ」;人間を超えた者に対する恐れ。敬虔の感情に近い。「憚(はばか)る」意識か。(貝塚説)

* 天命; 人間の意思を超えた秩序。中国の古代人は、天の神が人間に与えた命令と理解した。(貝塚説)

☆☆☆

「則天去私」を掲げた日本の文人がいたことを思いだした。天の命令するところに則(したが)っていけば、おのずと私情・私意から離れ去ることが出来るのだろうか。私情・私意に翻弄されてばかりのわたしは、まことに天命に則っていない証拠だだろう。それ以前に、「天の命令を聞く耳=天耳」というのを開発しておかねばなるまい。でなければ、聞くに聞けまい。では、どうすればいいか。まずもってそこから始めねばならない、わたしの場合は。

 

 

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