僕はもう77歳になっています。
77歳になりながら、同時に高校一年生でもあります。
高校一年生の国語の授業に参加しています。
僕は頭はくりくりの丸坊主です。
教室の椅子に座っています。
大塚文彦先生が授業をされています。眼鏡がずり落ちそうです。
鼻髭のちょび髭が動きます。やや頭髪に白髪が交じっておられます。
先生は文学者島崎藤村に感じがよく似ておられます。
国語の教科書に藤村の詩と顔写真が載っていました。
先生が現代文を読まれます。独特な読みっぷりです。僕はそれだけでもううっとりしています。
先生の魔法で、文学作品の中に引き込まれてしまっているのです。
で、ときおり、生徒たちに質問をされます。「君はどう思うかね?」「此処をどう読むべきだろうかね?」「作者の意図はどこにあるんだろう?」などと。眼鏡の奥の目がきらりと光ります。
何人の生徒にもお尋ねになります。そして最後に、僕の名前が呼ばれます。「じゃ、さぶろう君、君はどう思うかね?」と。
そして決まって「それでいい。それでいいとわたしも思います」と言われます。僕はほっとします。僕の読みを評価して下さったようで僕は誇らしげになります。
その先生の評価が、その後の60年の間も切れずに続いています。不思議なことです。僕はまだ高校一年生をしています。制服を着ています。分厚い現代文の教科書の表紙の色は小豆色をしていました。
僕が優秀な生徒だったわけではないと思います。1個の普通のどんぐりだったと思います。でも大塚文彦先生をよく覚えています。で、先生の授業の中へ、この77歳の老人はちょくちょく入って行きたがるのです。
僕は先生にお尋ねします。するとまもなく先生の答えが返ってきます。「いい質問でした」「君はいい質問ができる生徒です」と。
いい質問ができたはずはありません。そう評価されると僕は、ただただもっともっと勉強をすべきだという気にさせられてしまうのです。
だのに、泣きました
父に会いたいと心から想い、涙がとめどもなく流れて来ます
そろそろお彼岸も近くなりました。私の所に会いにきておとうさん!
だのに、泣きました
父に会いたいと心から想い、涙がとめどもなく流れて来ます
そろそろお彼岸も近くなりました。私の所に会いにきておとうさん!