<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

今生ではこれで十分です その2

2018年12月07日 22時15分36秒 | Weblog

じゃ、法華経の教えるところを話してご覧と言われても、ですから、沈黙するばかりです。分かっていないのです。豚に真珠の諺通りです。わたしに真珠の価値が分かっているのではありません。でも、今生でわたしは聞いたのです。法華経の声を聞いたのです。いやいや、わたしにしては上出来です。上出来の上出来です。棚から牡丹餅、二階から目薬です。

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今生ではこれで十分です その1

2018年12月07日 22時01分32秒 | Weblog

わたしは今生で法華経に出遭っています。とうとうとうとう出遭っています。でも、出遭ったばかりです。肯いているわけではありません。領下しているわけではありません。でも、出遭えたことをとってもよろこんでいます。天台宗や日蓮宗や法華宗や禅宗の信者ではありません。釈尊の教えの音声を聞いてそれで満足を得ました。今生ではこれで十分です。

 

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途方もなく遠大な仏教的生死世界観 その7

2018年12月07日 21時47分23秒 | Weblog

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いやいや、途方もない。生きて、そして死んで、途方もない距離を歩き通して行く。途方もないほどの諸天を経巡って行く。仏界までは遠いのである。

そういう古代人の途方もなく遠大な仏教的世界観が示されている。一つの世界観である。それを俯瞰して超えていく道を模索した。

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生死は迷界の者のすることである。生死してそのどちらにも苦しむ。生きようとして苦しみ、死のうとして苦しむ。楽しもうとして苦しむ。楽しんでも苦しむ。

しかし、苦しみを受ければ苦しみを超えていける。故に受ける受ける。途方もなく受ける。そしてそこを超える。超える超える。途方もなく超える。そしてとうとう迷界解脱して、仏界に入る。

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途方もなく遠大な仏教的生死世界観 その6

2018年12月07日 21時38分19秒 | Weblog

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三界の内の色界は、欲界を離れ得た者の行くところ。欲望を離れてはいるがなお物質的存在=色(しき)からは解放されていない。四禅天に分かれ、更にそれが17天に分轄されている。

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無色界は、一切の色法(肉体・物質)の束縛を離脱して、受、想、行、識の四蘊だけで構成される。精神のみで過ごせるところ。しかし此処も猶、迷界である。仏界ではない。欲界を出て色界に進み、色界を出て、無色界に入っても、まだ生死輪廻を解脱していない。

 

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途方もなく遠大な仏教的生死世界観 その5

2018年12月07日 21時33分11秒 | Weblog

六欲天の上から第3位の兜率天(とそつてん)には内院、外院がある。内院には次に仏と成る菩薩が此処で最後の生を過ごしている。弥勒菩薩も此処におられる。外院に天人が暮らしている。天人は知足天とも呼ばれる。足るを知っている。その上に、化楽天、亦その上に他化自在天がある。

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欲界を下へ堕ちていくと八大地獄がある。炎熱によって苦しみを受ける世界である。等活地獄、黒縄(こくじょう)地獄、衆合地獄、叫喚(きょうかん)地獄、大叫喚地獄、焦熱(しょうねつ)地獄、大焦熱地獄、無間(むげん)地獄と連なっている。その各々に16の小地獄が付属している。

 

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途方もなく遠大な仏教的生死世界観 その4

2018年12月07日 21時29分06秒 | Weblog

帝釈天(印度神話のインドラ神=釈提桓因)はこの刀利天に住んでいる。刀利天の四方の峯に各八天が在り、合計すると三十三天となる。刀利天は須弥山の山頂に在る。

六欲天の第三の耶麻天は、五欲の楽しみを受け放題だ。此処に住む者の寿命は2千歳。しかも一昼夜は人間界の200年に相当する。別名閻魔天(えんまてん)。閻魔王様も此処を住処としておられるのか。

 

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途方もなく遠大な仏教的生死世界観 その3

2018年12月07日 21時25分50秒 | Weblog

欲界は幅広い。上位に六欲天がある。下位に八大地獄がある。人間界はその中位に位置している。上がったり下がったりする。上に牽かれながら、下に引き摺られる。

上位に位置する六欲天とは、下位から順に、四王天、刀利天、耶麻天、兜率天、化楽天、他化自在天である。

 

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途方もなく遠大な仏教的生死世界観 その2

2018年12月07日 20時57分53秒 | Weblog

三界とは、欲界、色界、無色界のことである。一切衆生がここの三界を経巡って、生死輪廻を繰り返す。死んで生まれて、生まれて死んで、経巡って行く。

欲界は、就中(なかんづく)、性欲と食欲の二つの欲に翻弄されている世界。わたしたちの住む人間界も此処に在る。この欲をひたすら充足させることを以て、満足を覚え不満足に泣き、ひたすらな生き甲斐としている。

 

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途方もなく遠大な仏教的生死世界観 その1

2018年12月07日 20時00分01秒 | Weblog

三界(さんがい)は安きことなし、猶(なほ)火宅(かたく)の如し。法華経の譬喩品(ひゆぼん)にこうある。

われわれは、檀一雄のいう「火宅の人」である。安らげることがない。まるで火が燃え盛っている家の中にいて、常に逃げ惑っているに等しい。

 

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毛虫のように己を小さくして

2018年12月07日 13時33分20秒 | Weblog

作業用の薄いジャンパーの上に、作業用の厚いジャンパーを着て、その上、タオルをマフラーにして首に巻いて、一大決心をして畑に出た。寒い寒い寒い。何をしたか。たいしたことはしていない。庖丁片手に、低い丸椅子に座って、延び延びに伸びた小葱を摘んだ。長くは続かなかった。段ボール箱一杯に摘んだ。相当の分量だ。今日の野良仕事はこれでお終い。寒い寒い寒い。早々に家の中に入った。友人から頂いて来た玉葱苗の植え付けは延期。これは数時間は掛かる。風邪を引いてまですることじゃない。

わたしは怠け者であります。寒さをものともせず、なんて意気込みはないのであります。毛虫のように己を小さくして蹲(うずくま)っています。

 

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