どう説明したらいいかわかりませんが、ふっと正覚山を下りてきた大いなる修行者のような感覚を覚えました。何かに到達した感覚がするのです。すがすがしいのです。気分が爽やかなのです。真夜中の2時です。眠りが覚めて意識が真空になっています。
もちろんこれはいっときの幻覚にすぎませんが、その時さぶろうはほんとうに初心開悟をしたように思ったのです。仏性を持つ者、人間に本来具わっている神通力を蘇生させたように思ったのです。そうしたいという欲求がそうさせているに違いありません。だから明らかに蜃気楼です。これは。
さぶろうは「汝が求めに随(したが)って諸事すなわち速やかに成就せん」の声を聞きました。成就させないでいるものに取り囲まれている者が、一時にその障害物を除去したらきっとこういう感覚になるのだと想像できます。立ち塞がっているという思いこそが魔です。
さぶろうは魔を払って晴れやかになりました。覆っていた黒雲が去って真っ青な秋空が広がってきたのを見ています。「我、汝をここにおいて最高最上に輝かせん」という仏陀の慈悲をまっすぐに受け止めることができたような不思議な気持ちになりました。
「輝かされている者なれば我輝かん」という心境に達して、輝きました。ほんのいっときのことです。不思議な、明るいあたたかい体験をしました。そのうちこれは忘れ去られて、またいつもの煩悩の海の底に沈んでしまうことでしょう。