小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



小田原市内には明治維新以降の戦争で亡くなった戦没者を慰霊する慰霊塔や忠魂碑が各地に点在している。小田原市早川の寺院には太平洋戦争で沈没した駆逐艦戦没者の慰霊碑がある。小田原市早川の東善院は早川の街並みを見下ろす魚藍観音のある寺院。その魚藍観音の横の階段は墓所へと続いている。魚藍観音の横の階段を登っていくと墓所の一角に駆逐艦五月雨戦没者慰霊之碑が建立されている。五月雨は昭和12年に竣工された日本海軍の駆逐艦。戦後70年以上が経過しているがまだ参拝に訪れる人がいるようで慰霊碑には供え物が手向けられている。駆逐艦五月雨は昭和16年の太平洋戦争開戦から様々な任務に従事して昭和19年の8月にパラオ近海で座礁中に敵潜水艦からの攻撃を受けて大破沈没した。慰霊碑の下部には戦没者の名前が年月日とともに刻まれている。昭和17年10月14日が10名。昭和18年11月2日が6名。昭和19年8月26日が9名。帰宅後に調べたところ昭和17年10月14日はガダルカナル島の戦いで輸送艦を援護中に空襲を受けたとの記録があった。また昭和18年11月2日はブーゲンビル島沖海戦に参戦中に米艦隊と交戦。その際に混乱して味方同士でも衝突があったようで6名が亡くなっている。一番最後に刻まれている昭和19年8月26日は五月雨がパラオ近海のガルワングル環礁で座礁中に米潜水艦バットフィッシュから攻撃を受けて大破した日。五月雨の乗務員は駆逐艦竹に移乗してガルワングル環礁から脱出し戦後、元乗組員による五月雨会が結成された。駆逐艦五月雨の戦没者慰霊之碑が小田原に建立された経緯は、五月雨会のメンバーの中に小田原出身者がいたこと。元乗組員9名が発起人となり、場所の選定と寄付金集めを行い昭和57年8月22日に遺族ら55名が参列して除幕式と開眼法要が行われた。駆逐艦五月雨戦没者慰霊之碑は相模湾を望む早川の高台から五月雨の建造地である浦賀に向け建てられている。

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