小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



この春から足柄平野に点在する足柄観音を巡ろうと計画していたが、震災や計画停電のため出鼻を挫かれてしまった。4月に入り計画停電も当面見合わせになったので、再び足柄観音巡礼の計画を進めることにした。この足柄観音を巡る目的は信仰心からではなく、巡礼ルート沿いを散策しながら各寺で色々な話を聞ければいいかなぐらいの気持ちなので、巡礼に関する心得や知識は無いに等しい。しかし、この小田原には古くから信仰を集めてきた坂東三十三観音の札所の一つである飯泉観音がある。まずは足柄観音を巡る前に巡礼や札所にまつわる知識を深めようと飯泉観音を訪れた。小田原市飯泉の飯泉山勝福寺。坂東三十三観音五番札所飯泉観音として古くから親しまれている。創立は天平勝宝五年(753年)。坂東三十三観音は鎌倉時代の初期に開設された巡礼ルート。神奈川県・埼玉県・東京都・群馬県・栃木県・茨城県・千葉県にまたがる33か所の観音霊場を巡り、その行程距離は1300km。室町時代の頃から一般庶民の巡礼が盛んになり、この飯泉山勝福寺にも多くの巡礼者が訪れた。国府津から飯泉までの巡礼街道は坂東三十三観音巡礼の名残である。門前の石柱には坂東五番の文字。坂東三十三観音の巡る順番は札所の順番に関わらず古来より自由だったようで1300kmの行程を徒歩で巡礼すると40日程度かかったようだ。堂々たる仁王門は宝暦8年(1758年)の造営。当初は茅葺屋根だったが、昭和30年代に銅板葺に改変された。天井や柱には千社札が多く貼られている。仁王門をくぐり境内へ。巡礼者は霊場で何をするのかといえば、本堂入口の箱に用意してきた納札、写経を納め、お灯明、線香、賽銭をあげてから本堂でご本尊を念じ合掌し読誦。また巡礼した証に巡礼衣装や納経帳にご朱印、納経を頂く。巡礼者は霊場へ入ったら、まず水屋で口をすすぎ、手を洗わなければならない。勝福寺の水鉢は小田原市指定重要文化財。作者は江戸神田の鋳物師小沼播麿守藤原正永で宝永元年(1709年)の作。水屋で身を清めたら続いて、鐘楼で鐘を打つ。参拝後は「戻り鐘」になるので絶対に打ってはいけないとのこと。勝福寺の銅鐘も小田原市指定重要文化財。江戸時代初期の寛永六年(1629年)の作。飯泉観音の本堂は宝永三年(1706年)の建立。本堂は県の重要文化財に指定されている。本堂入口には納経所の看板。本堂の中に進む。本堂内に賽銭箱と並んで納札入も設置されている。ここに用意してきた納札を納める。納札やお灯明、線香を済ませてからご本尊を念じ、合掌し読誦する。飯泉山勝福寺の本尊は木造十一面観音立像。一通りの参拝を終えてからご朱印を巡礼衣装や納経帳に押してもらい次の観音霊場へ向かう。勝福寺では寺務所に申し付けるように案内が貼ってあった。坂東三十三観音五番札所の飯泉山勝福寺を訪れてみて、正式な巡礼は衣装や納札など用意するものも多く、霊場での参拝も時間がかかるのが分かった。さて足柄観音はどのように巡ろうか。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 開通間近の穴... 小田原市久野... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。