多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

異文化との関わり

2017-08-25 09:12:56 | 発達凸凹
家族でも、友人でも、どんな関係でも、


自分との 共通点より 違う点のほうが多い。


言葉の解釈や、生活習慣の違い、その他数え上げたらきりがない。


自分と 共通点が多い人や、自分の「文化」を理解してくれる人を



探していても、確率は少ないだろうし、何度か接していくうちに、



「やっぱり違う」「この人はだめだ」「理解がない」という方向に流れたら


だれとも 付き合っていけなくなるだろう、と思う。


自閉っ子は 幼い時、自分独自の造語で 話していた。


発音しにくくて 意識せずとも別の言葉に なってしまう事もあったし、


よその子が私に「OOくんのお母さん」と 声を掛けてくると、


「自分の親を よその子が お母さんと呼んだ」ことが


理解できなくて、パニックになったこともあった。


「OOちゃんのお母さん」は わかっても、「OOちゃんの妹の何ちゃんのお母さん」が


同一人物だと 理解するのに 何年もかかった。


3人兄弟のおうちには、それぞれ お父さんとお母さんがいるので、


「子どもは3人で、お父さんも3人、お母さんも3人だから 9人家族」だと


理解していて、納得するまでに かなりの時間がかかった。


名前は 一人に一つだけど、「親から見たら 子ども」だし、


「先生から見たら 生徒」になる。


学校では「O組の皆さん」になるし、「男の子はこっちへ」という場面や


「3年生の人はこっちです」等々、自閉っ子が 戸惑う場面がたくさんあった。


その都度 「この人から見た場合は こうなる」「自分から あの人を見たらこうなる」という


自閉っ子には とても難しいルールを、順番に教えていった。


一対一対応でしか 物事が見られなかった時期が長く、


学校や 園でのお友達と スーパーで会ったりしても 「お友達」とは


理解できない。そこで説明するには 時間がかかるので、


帰宅してから「OOちゃんは 学校に住んでいるわけではない事」や、


「おうちに帰ってから 買い物に行く事もある事」などを


教え、それが いつなのかは 予想ができないし、また会うかもしれないし


全く会わないかもしれない、など 自閉っ子には さぞかし 難しい問題だったが、


時間をかけて 教えていった。


私のいとこは 難聴である。補聴器を使っても 聞こえにくいが、


人は「補聴器があるから 大丈夫だろう」と 思って接してくる。


言葉の聞きの足りなさを 補うために、


話す人の 表情や 口の動き、体の動きなども 観察して、


何が言いたいのかを 必死に 読み取る。


自閉っ子の友だちに 難聴の お子さんもいて、


そのお子さんたちにも 関わったが、


やはり 自分の思う事が 周囲に伝わらない事や、


相手の言っていることが うまく聞き取れない事で、いつも ストレスを抱えていたように見えた。


ある時 授業参観で 工作をしていたのだが、


先生方は 工作の指導になると 手先の作業が中心になり、


下を向いたまま言葉を話す。難聴のお子さんは


顔も 口の動きも見えないまま、相手の言葉を理解する、という


困難な状況で イライラしているのが 私にもわかった。


その中の 一人のお子さんが、一生懸命先生に 訴えているのだが、


周囲の子も しゃべっているので、その子の言葉を先生は 聞き取れない。


その子も 先生に必死に声を掛けるが、意思疎通ができず


お互い困っていた。


私は そのお子さんの 作品の仕上がり方と、


ジェスチャーと 口の動きと目線で、


「セロテープが欲しい」と 言いたいのではないかと わかった。


そこで 先生に「すみませんが セロテープ お借りしていいですか」と


伺い、それを 持って その子のそばにいった。


うれしそうに 受け取ろうと するのを制して、


「あなかが 欲しいのは これですか?」と


口を 大きく開けて 発音した。


「それください」と その子の口が動いたのを確認して、


「使ったら OO先生に 返してください」と伝えた。


そのまま手を出してきたので、


「ありがとう」と いえますか?と 聞いたら


お辞儀をして「ありがとう」と言ってくれた。


また 別の時期に 調理実習があったのだが、


難聴のお子さんは 知的には障害がない。


ただ 自分の 表現が 周囲に伝わらないのと、周囲が何を言っているかが


理解が難しい面が たくさんあった。


調理実習で、先生は レシピを 黒板に書くのだが、


それだけでは どうしても オチガ出るし、


難聴の お子さんが 一番学ばなければならないのは、


「自分が何に 困っているか」の 表現方法と、


相手の 意志が解らない時に それを 相手にどう伝えるか、だと思った。


調味料が 足りなくて、難聴のお子さんに 先生は


「こしょうを 持ってきて」と


言われた。


その子は うろうろするばかりで、目の前の こしょうを見つつも、


それを どうしたらいいのか わからずにいた。


お母さんが 見かねて、「これでしょう!」と 持たせて 背中を押していた。


「こしょう」は 文字ではこう書くが、多くの人は「こしょお」と発音している。


消えやすい子音なしで 聞くと、「こしょお」は 「こおお」か時には 「おおお」としか


聞こえない事がある。


一音一音区切って発音してくれなかった場合には、「おー」としか 聞こえなかったりする。


「たらこ」や「たまご」も 区別がつきにくいし、「かさ 持って」も


「朝 起きて」も 紛らわしいから 「あれほど言ったのに かさ忘れて!」という事も


起きる。


そのお子さんとも 進路選択の時に 別れてしまい、会うこともないのだけれど、


今どうしているのかなあ、と 思い出す。


何とか 意志疎通の 方法を 身に着けて どこかで 働いているといいな、と思う。


聞こえない人には 筆談で、と いうのが 一般的な考えだけれど、


文字を覚え、文章を覚えるには、やはり「第一言語」の助けがないと


学習には 進めないので、聞きにくい音の洪水の中で 疲労困憊していると、


なかなか 書き言葉の習得も 難しい面があるなあ、と 思う。


手話も ネイティヴの人の 手話と、健常者が 勉強して覚えたものとは


かなり 違う。言葉や コミュニケーションの取得には、


その子が 今どういう状態なのか、きちんと 見極めて手を打っていかないと


難しい面があると 思った。


自閉っ子は 聴力は普通だが、思った事を言語化して 人にわかるように


伝えるのは かなり 長い間不得手だった。


昔 お菓子に 組み立ておもちゃがついたものを 頂いたことがあり、


私では 組み立ては難しいだろうと ちゃんと見抜いて、父親の所に行き、


箱を差出し「とーち くって」と 言ったそうだ。


これは「お父さん、この 箱の中の おもちゃ 作ってください」という事なのだが、


夫は お菓子の箱と「くって」と言う言葉から、


「お菓子を くれるんだな」と 判断し、お菓子だけ食べて


箱を 自閉っ子に返した。


自閉っ子 大泣きである。


泣き声を聞いて 状況を 二人から聞き、


双方に 説明をして 改めて 夫に おもちゃを 組み立ててもらって


自閉っ子は うれしがっていたが、



こういう出来事で 「俺は もう 相手をするのは嫌だ」と思ってしまう


お父さんや きょうだいや その他の方もいるだろうなあ、と思う。


お互い 異文化なのだから、その中で お互いが 不快な思いにならずに


過ごせるように、工夫していけたら 楽になるおうちも あるだろうなあと思う。


夫は 私が リウマチで 重い物を持てない事や、


視野が狭くて 困る事等を、全く理解せず


買い物のあと レジを通ると もういない。


私は 重い荷物を カートに 載せないと 移動ができないが、


カートの操作をしつつ、他の人に カートを ぶつけ無いように移動するのに


一苦労である。


そうする間にも 夫は どこかに行ってしまい、


駐車場では 似た車がいっぱいで、夫がどこだか わからず、


携帯から 電話したりもするが、夫は


「一緒に出掛けるんだから 携帯は要らないだろう」と


自宅に置いてでできたりする。


私は 出口の あまり邪魔にならない所で


夫が しびれを切らして 戻ってくるのを待つばかりである。


夫は 健康なので、私がなぜ そんなこともできないのか


理解不可能な様子である。


私が 家で 何もできず ぐたーとしているときは


わかりやすいので あれこれ 気にして 好物を買ってきたりしてくれるが、


元気(そうに)歩いて 買い物に行った時は


なぜ 私が 困るのかわからないらしい。


なので スーパーに行く時は「帰りは 必ず 一緒にいてよ」と


お願いするが、夫も 背中には 目がないので、


どんどん先に行ってしまうので、


この方法も 使えないようである。


毎回あれこれ あるけれど、夫とでかけるのはうれしいし、


行き帰りの 車の中での おしゃべりも 楽しい。


昔は 「妻は 夫の影を踏まないように歩け」と 言われていたそうであるが、


夫はどんどん 先に行ってしまうので、


私は 夫の影を踏むのも不可能であるし、姿すら 見えない状態である。


「あなたに ついていきます」と 言いたいが、


夫が かなり 減速して 徐行してくれないと、それも不可能である。


































聞こえない親をもつ聞こえる子どもたち―ろう文化と聴文化の間に生きる人々
クリエーター情報なし
現代書館

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