多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

昭和は遠くなりにけり

2017-08-08 20:01:07 | その他
わが家には 和室しかない。昭和の 木造家屋で、


板の間はあるが、「フローリング」とは ほど遠い代物である。


客間は もちろん 和室であるから、


お客様は 皆 和室に入っていただく。


今の方は、上座 下座という事も 気になさらず、


遠慮ではなく 適当に 座る場所を お選びになる。



こちらは はらはらするが、


本当に 気になさってないと わかったので、


「お好きな場所にどうぞ」で 通すようにした。


今どきの おうちだと、和室そのものが ない事も多いので、


正座ができない方も多い。


なので 昔 我が家の 老人たちが 膝を痛めた時に使っていた


籐の椅子が 大活躍である。


畳のヘリ、なんて事も 気にしない方がほとんどだし、


私と 年が変わらないか 年上のヘルパーさんも


畳の目を無視して 掃除機をかけたりしている。


わが家では 畳のヘリから ムカデが侵入してくることが多いので、


皆 避けて歩いているが、


お客は 平気で ヘリの上に座ったりなさるので、


こっちが ひやひやである。


わが家には 玄関と 勝手口があり、


お客は 玄関、御用聞き等は


勝手口と 決まっていたのだが、


今は 「勝手口」という言葉も死語になり、


セールスが 堂々と 玄関のチャイムを鳴らす。


男性が 玄関や 客間で お客の相手をしていても、


主婦や 子どもは 勝手口で いくらでも 好き勝手にできたわけで、


これも ある意味合理的なシステムだったのかもしれない。


なにしろ 時代は 移り変わり、平成も終わりに 近づきつつある今、


昭和の常識も 消えていくのだなあ、と思う。



和式トイレを 使えないお子さんや 若い人も多いようで、


大きな駅のトイレに 行列ができていても、


和式だけは 空いている事が多い。


私は 他の方に お尋ねしてから、


和式トイレに 入るのだけど、


私が出た後も 使う方は まずおられない。


時代が 変わったなあ、と思う。











「和の心」和室での気持ち良いたちふるまい
クリエーター情報なし
犬養 晴子
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先生は完全ではない

2017-08-08 19:14:20 | 学習
よく「学校の先生の 当たりはずれ」という言葉を


聞くのだけど、その度に何か 嫌な気分になる。


人として 扱うのではなく、品定めしているような気がするからだ。


私も 学生時代には 様々な先生に会い、色んな扱いを受けてきた。


ほとんどの 先生から見て、私は 「いい生徒」ではなく


「問題児」だったから、先生も 扱いに困っただろうし、


親も 先生から 呼び出しを受けて「お宅のお子さんは・・・」と


やられて 頭を抱えていただろうと思う。


そんな中でも、私は 学校で 様々な学びをしたし、


自分が 他の子どもとは違う、という事や


「人と違う」という事は 差別や いじめを 生みやすい、という事も


学んだ。


私にとって 学校は楽しい所ではなく、先生や クラスメイトとの


関わりは 時に苦行に近かったけれど、


「学校を卒業したら ここから抜け出せる」というのは


希望だったし、実際に 社会に出て


自分が できるスキルで 仕事をしてみたら、


オールマイティでなくとも その職場の 今与えられた仕事で


合格点をだせば 学歴がなくとも、体が小さくても、そんなことは


関係なしに 認めてもらえた。


学校では 習っていないが、私にとっては 常識であった事が多数あり、


高学歴の 同僚が あたふたする中、それを引き受けてこなす事で、


私の 評価が 上がった事も驚きだった。


世の中には 色んな人がいて、得意不得意があり、


私にとっては 常識であっても、それを知らない人もいる、という事を知った。


子どもたちが 出会った先生も それぞれ個性豊かで、


持つ能力もそれぞれ違った。


子どもたちも 私も、そうした出会いから 学ぶことは多かったし、


学校で 何の苦労もなく ただ 楽しい学生時代を過ごす事もいいけれど、


たとえ そうでなくとも、その環境から 学ぶことはできると思った。


自閉っ子の担任になって、


「自閉症の子なんて みた事ないです!」と


言ってこられた先生もいらした。先生の時間が許せば、


送迎の時に 自閉っ子の行動の理由や 通じやすい言葉や


サインを お伝えしたし、連絡帳に 「こういう場合は こうしてみてください」と


書いたり、「先生を困らせたりしたときは いつでも 連絡をください」と


お伝えした。


小学校入学時には、まだ ひ弱だった自閉っ子も、


年々たくましくなり、先生方の手を煩わせることも減っていった。


社会に出たら、もっと たくさんの人の中で 過ごすのだから、


「一年で 担任の先生が変わった」だの「今年の先生は 理解がない」だの


言っていられない。


私は 毎年 自閉っ子の 特徴と、「これをしていたら 絶対に止めて欲しい事」を


書いて 学校の許可を得て 担任ではない先生方や 学校の全職員さんに


配布していただいた。


最初は 先生の許可のない水遊びをした時や、


学校に飾ってあるトロフィーその他の入った ガラスケースに近づいた時。


学校ではいつでも水遊びができる、と いうマイルールが出来たら困る。


弱視の自閉っ子は キラキラしたものに近づきたがるが、


ガラスケースが ある事に 気付かず 激突してしまう可能性もあった。


最初は そうした事を 知ってもらい、


その後は 「おかげさまで 昨年より こんな風になりました」という


報告や 皆さんへの お礼という形になった。


自分とは 違う人と 時間を過ごす事、


自分に 譲ってはくれない人もいる事などを


学校で 学べたことは、その後の 生活や 仕事で


大きく役に立ったと思う。








灯し続けることば
クリエーター情報なし
小学館
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