多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

自分の親世代と 自分、子ども世代との関係

2017-01-02 15:04:38 | 家族
結婚して 夫の 親や 祖父母と 同居して、いろんなことが あったけど、


自分の 親世代の人や、 そのまた上の世代の人とは 感覚や 考え方が


合わなくて 当然、だということを 学んだ。


自分より 何十歳も 年上の人たち、育って来た環境も 違う人に、


「今の常識は こうですよ」と言ったって 通じる事の 方が少ない。


いや、たぶん 無理だろう。通じたように見えても しぶしぶのことの方が


多いのでは ないかなと思う。


年齢が近い 夫婦の間であっても、行き違いや その他いろんなことが 起きるのに、


前時代を 生きてきた人と 考えがぴったり合うなんてことは ないだろう。


親はいわば「過去の人」で、自分たち世代が「今の人」で、子ども達が「未来の人」なのだから


そのことを 自覚して 接していかなければならないなと その生活の中で感じた。


過去の常識しかない人に、今の常識で接したって うまくいくはずはない。


わからないひと 相手に 言い争いをするよりは


うまく 合わせるか、親から 離れて(精神的あるいは物理的に)いくしかない。


今 私の子どもたちは 成人し、いまや 私は かつての 夫の親のように


「過去の人」に移行しつつあると 思っている。


子ども達は 口には出さないけど、「親父やおふくろは なっちゃいないなあ」と感じているに違いない。


が、向こうが 精神的に大人なので 私たち親に 合わせた生活をしてくれている。


夫は まだその事に気がついていない様子なので、


子ども達から反撃を くらったら どんな風になるだろうか。


親子であっても 別の人格であり、別の人生を歩む。夫が 予想している


未来の生活が どんななのか 私は知っているけれど、それは 叶わぬ夢である。


自分の子は 一生自分の子。それは事実だけど、別の人生を歩む別の人格を持った人であることを


いつも 頭の隅に置いておかなければと 思う。

















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感受性の違い

2017-01-02 08:26:55 | 私の思考
人には それぞれ 生まれ持った強さというものがある。


私は 自分では よくわからないが、気性は強い方だと思う。


夫は とても 繊細なタイプである。


同じ 刺激を受けても、その人の 性格や 感受性によって


受け止め方や 負う傷は違う。


昔よく たとえ話で使ったのだが、


砂粒が 一粒 髪についても 気がつく人は 少ないだろう。


でも 手についたら 払い落とすか 中には 手を洗う人もいるかもしれない。


口に入ったらどうだろう?うがいをしたくなる人が 多いのではないかと思う。


もし、目に入ったら?


たいていの人が 痛みを感じるし、目を開けることもできないで 騒ぐ人もいるだろうし


水を探して 目を洗いたくなるだろう。



同じ 刺激でも、感受性によって 受ける 痛さや 辛さは 違うのだから、


子どもに 「このくらい がまんしなさい」と 一律に押し付けるのは どうかなあと思う。


発達凸凹の うちのきょうだいでも、それぞれ 弱点や 感受性は違った。


血がつながっていてすら 違いの方が 大きいのだから、


変な マニュアル本に 惑わされずに、その お子さんの 性質や 感じ方に合った接し方を


していってほしいと思う。


夫婦でも 家族でも、それは 同じで、皆 感じ方はそれぞれなのだから、


相手を知らずに 追い詰めるような ことをしないように気を付けなければ、と


私も 人と話すときにはできるだけ 気を付けている。


ただし 相手が 私に無礼な ことをしてきたときには


遠慮なく 反撃することにしている。


言葉はあくまで 柔らかく、しかし 相手が ぐうの音もでないように 対処することにしている。




 







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