なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

安易に委ねるのでなく

2018-01-26 16:17:24 | 日記
信じることと、自分で判断することを、両立させねばならない。
何かを信じて、すべての判断をゆだねてしまうのは、その対象が何であれ、危険だ。
自分の二の足に力が入らなくなってしまう。岐路に立った時、どっちだったっけ、となってしまう。
信じることで強くなる。が、ただ信じるだけでは強くはならない。信じて考え、ぶれずに判断できるようになって、強くなる、と思う。

探しもの

2018-01-25 16:55:47 | 日記
探すのは、「どこかわからないが、必ずある」ものにとどめたほうがいい。
「あるかどうかわからないが、どこかにあるかもしれない」ものを探すのは、人生を棒に振る可能性がある。
いや、偉大な発見は、リスクを恐れぬ偉大な先達によってなされてきた、ということはある。
覚悟があるならそれもいい。

でも中途半端な気持ちならやめたほうがいい。そもそも、探しものをしていられるほど、ヒマじゃないはずだ。


不調

2018-01-24 08:01:25 | 日記
多少の不調は気のせいだ、ということにして進む。そうしなければ、あまり前進しない。
多少の不調ならものともせず、という態度の方がいい。

ここでいう不調とは、自分の内側の不調のことだ。
もちろん、健康面の話ではない。咳やくしゃみ、あちこちの痛みなら、然るべき予防と対処をするべきだ。

晴れの日も雨の日も風の日も、さっさと歩き出すのが大事だと思う。

言い回し

2018-01-23 17:58:29 | 日記
言葉だけ体裁を整えると、「論理的」に見せることができる。
あくまでも、「一見それらしく見える」であるが。
しかし、この「一見それらしく見える」言説の、なんと多いことか。
権威ある書き手、ビッグネームの文だって、妄信してはいけない。
信じて、あとでその大いなるごまかしに気づくこともある。
根拠もなく断定してる言い回しには、特に気をつけなければならない、と思う。


人間関係

2018-01-22 17:13:56 | 日記
分析の鉾先は、自然現象などの対象に向かうべきであって、人間関係に向かうべきでない。
分析とは分かつことであり、分てば対立が生じる。冷静に行っても感情と無縁に生きることはできない。
結果、不要な対立をそこに新たに作り出すことになる。
人と人は、仲が良いようであり、悪いようであり、協力しつつケンカする。
それはそのまま、分けて考えずありのままを納得すればよい。
分析は知性のあり方の一つだが、全てではない。