なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

見落としがあっても

2016-07-21 18:12:56 | 日記
見落としがないか。十分に気をつけなければならない。何度もチェックすべきだ。車の運転や危険物の取り扱い、は特にそうだ。

たが、それ以外、対象によってはある程度のところで、見落としがあろうがなかろうが、思い切って進まなければならない。

見落としはあるかもしれない。それでも、とどまっているのではなくて、前に進まなければならない状況、が確かにある。

命に関わる事でなければ、人に迷惑をかける事でなければ、いつまでも点検ばかりしていられない。
ミスがあっても、何もしないよりずっといい、事も、確かにある。


答えはどこに

2016-07-20 20:08:46 | 日記
答えはどこにあるのか。
追い求めると、逃げていく。影のようだ。
追うのに疲れ木陰で息を切らしていると、ふと目の前にあったりする。

答えとは変化している状況と、迷い探し続ける自分との折衷点だ。だがら折々、移ろう。

いつも、ドキドキしながら手探りで行くしかないのだ。

生きがい

2016-07-19 15:43:37 | 日記
生きている限り、寿命が尽きるまでは、試合終了のホイッスルはならない。
試合終了のホイッスルがならないのなら、先取点を取られた、と思っても、それは先取点でも何でもない。いいときもあればそうでない時もある、を延々と繰り返しているだけだ。その中で翻弄されるのが私達だが、いっそ愉しめばいいのであって、焦る必要も気後れする必要もない。愉しむとまではなかなかいかないかもしれない。が、揺れがあって起伏があるからこそ腰を据えたり背筋を伸ばしたり、とシャンとしようという気になるのだ。

ちゃんと質問に答えよう

2016-07-18 16:56:23 | 日記
曖昧さが、AかBかの間にある様々な可能性を考慮して、であるならば、曖昧である事は、性急に白か黒かの結論に走ってしまうより、知恵のある態度というものだ。

たが単に逃げを打っているだけの場合もある。曖昧にして適当にごまかす、という事を、大事な決断を下す時にはやってはいけない。普段のらりくらりでもいいと思う。が、ここぞという時にはどっちかに決めなければならない。

あと、ものを教える立場のものが、明確な答えを見つける事ができない時にも曖昧にしてごまかす、事をやっている。もちろんこれも良くない。知らない事は知らないと言うべきだし、知らない事が恥ずかしいのなら勉強すればいい。

カラダにヨイこと

2016-07-17 19:15:58 | 日記
ねばならぬ、と〜したい、が一致しているのは幸せな事だ。だが違っているのもごく普通。まだ寝ていたいけど、起きなければならない、など。少々の食い違いは気にもしていられない。

が、大きく違うと辛い。ツラすぎて身体に悪い。カラダをこわしてしまう。一致させるために少々の犠牲を払ってでもなんとかした方がいい。多少のことはしんぼうが必要だが、多少とは言えない事は、我慢すべき対象ではない。

我慢すべきか、すべきでないか、の区別は、〜、の部分の中身だ。下世話な欲求なら我慢すべきだし、大義があるなら、踏み出した方がいい。

カラダにヨイことをすべきなのだ。