このような言葉を聞いて連想するのは、ちょっと古いが星飛雄馬の目の中に炎が燃えている状態であり、マックスまで奮い立った精神状態であった。
しかし、最近は随分と違ったとらえ方をするようになった。
スポーツの試合でもない限り、実生活においてははっきりとした「対決」の場面はない。
いや、もちろんあるが、ドラマのようなものではなくて、もっとぼやけたものだ。
後で振り返ってみて、「あれは勝負どころだったんだ」とわかることも多い。
で、そのような日常生活において、不撓不屈の意思とは、アドレナリン放出全開の状態ではなくて、「次の日の朝も、立ち向かう意思を持ち続けること」「かなり疲れた夕方以降にも、あと一仕事する労をいとわないこと」などではないだろうか。
当たり前の日常は、特に大声を上げることもなく過ぎていく。でも、その中に、地味に勝負どころが埋まっている。そのことにちゃんと気づき、ちょっとしんどくても誠実に向かい合う。
これが、凡夫にとっての「燃える闘魂」ではないだろうか。
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