国際協調関係は美しい理念のもとに生まれる、のではなく、利害の一致によって偶然生じる均衡状態、であるのかもしれない。
だからといって、理念はただの厚化粧であっていらないもの、というわけではないが、やはり、国家間でどのような利害が対立し、何を調整すれば良いのかを冷静に把握する必要がある。感情に流された情報ばかりが行き来すれば、二つの大戦を経ても、なんら精神的に進歩していない、ということが露呈する。
そのための礎を公教育が担う必要もあると思う。小学生に英語を教えることより、もっと大切なことだ。隣国の芸能人の名前は言えても、諍いのもとについては何一つ知らない、関心がない、では協調を達成することはおぼつかない。
右や左のレールの上に乗っかって思考するのは楽だが、それでは大事な停留所をスルーしてしまう。もっと勉強しなきゃ。
だからといって、理念はただの厚化粧であっていらないもの、というわけではないが、やはり、国家間でどのような利害が対立し、何を調整すれば良いのかを冷静に把握する必要がある。感情に流された情報ばかりが行き来すれば、二つの大戦を経ても、なんら精神的に進歩していない、ということが露呈する。
そのための礎を公教育が担う必要もあると思う。小学生に英語を教えることより、もっと大切なことだ。隣国の芸能人の名前は言えても、諍いのもとについては何一つ知らない、関心がない、では協調を達成することはおぼつかない。
右や左のレールの上に乗っかって思考するのは楽だが、それでは大事な停留所をスルーしてしまう。もっと勉強しなきゃ。