毎日普通に暮しても、不愉快なことは起こる。自分に原因があろうとも、他からもたらされることであったとしても。
では不愉快なことが、全くなければそれでいいかというと、そうでもなさそうだ。
感情は、作用、反作用の法則を受けている。誰かに対して腹を立てると、あとで自己嫌悪が跳ね返ってくる。
その起伏が過ぎたものであればいろいろ支障をきたすが、全く波風の立たない毎日でもいけないと思う。日々ぼんやりと、何も考えなくなってしまう。ある程度、腹が立ったり悔しかったり、悲しかったりイライラしたり、ということも、心の張りを保つには必要なのかもしれない。そして、幸せを感じたり、満足したりするのは、そのあとに続いてやってくるのだ。
歳をとって不愉快なことを避けるのは、割と巧みになったが、それだけではいけない、と思っている。
では不愉快なことが、全くなければそれでいいかというと、そうでもなさそうだ。
感情は、作用、反作用の法則を受けている。誰かに対して腹を立てると、あとで自己嫌悪が跳ね返ってくる。
その起伏が過ぎたものであればいろいろ支障をきたすが、全く波風の立たない毎日でもいけないと思う。日々ぼんやりと、何も考えなくなってしまう。ある程度、腹が立ったり悔しかったり、悲しかったりイライラしたり、ということも、心の張りを保つには必要なのかもしれない。そして、幸せを感じたり、満足したりするのは、そのあとに続いてやってくるのだ。
歳をとって不愉快なことを避けるのは、割と巧みになったが、それだけではいけない、と思っている。