子供のころ、冬といえば、ストーブは常に最大火力で炎を燃やし続けたような感がある。
なにより祖父母がそれを望んでいた。
北海道の冬。寒さは死に直結する。暖房に関してはケチらないのが鉄則だった。
一方、冷房はせいぜい70年代以降だが、ぜいたく品であり、我が家には扇風機すらなかった。暑くてもうちわであおいでしのぐべきもの、とされた。
いま、エネルギーの節約のため室内温度を低めに保ちましょう、と聞くと、なんてケチくさいことを、と反射的に思ってしまう。むろん節約は大事だし、むやみに部屋を暖かくすることは慎むべきだ。それはわかっていても、幼いころに仕込まれた価値観は強力だ。
とくに、これはなんとなくだが、年寄りに教わった価値観は無条件で正しい、と感じてしまう。
そして、「ストーブは最大に」なんてのはどうでもいいにせよ、お年寄りの中には、非常に貴重な、これからも失うべきではない価値観を持ってらっしゃる方が大勢いる。もちろん、次の世代に伝えないのは大きな損失だ。「伝統が損なわれる」といっていいだろう。教育について、これは真剣に取り組むべき問題だと思う。
なにより祖父母がそれを望んでいた。
北海道の冬。寒さは死に直結する。暖房に関してはケチらないのが鉄則だった。
一方、冷房はせいぜい70年代以降だが、ぜいたく品であり、我が家には扇風機すらなかった。暑くてもうちわであおいでしのぐべきもの、とされた。
いま、エネルギーの節約のため室内温度を低めに保ちましょう、と聞くと、なんてケチくさいことを、と反射的に思ってしまう。むろん節約は大事だし、むやみに部屋を暖かくすることは慎むべきだ。それはわかっていても、幼いころに仕込まれた価値観は強力だ。
とくに、これはなんとなくだが、年寄りに教わった価値観は無条件で正しい、と感じてしまう。
そして、「ストーブは最大に」なんてのはどうでもいいにせよ、お年寄りの中には、非常に貴重な、これからも失うべきではない価値観を持ってらっしゃる方が大勢いる。もちろん、次の世代に伝えないのは大きな損失だ。「伝統が損なわれる」といっていいだろう。教育について、これは真剣に取り組むべき問題だと思う。