長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

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『病が語る日本史』と新型コロナウイルス感染症

2020年04月12日 | 日本史
新型コロナウイルスの猛威で、社会が機能不全になるという未知の経験をしています。
人が集えないということが、どれほど影響が大きいのかを思い知った感じです。3月末ぐらいの流行が収束しそうな時に、色々とお店で状況を聞くと、仕事にならないので大変だ、と、いう話をよく聞きました。そこで収束してくれれば、と、思っていましたが、4月に入って、より感染者が増えて、政府や県が緊急事態を宣言する状況に。早くこれが過去のものになってくれると良いのですが…。
将来、当時の市井の人々の認識はこんな感じだった、という意味でも、自分の知りうる範囲を書いてみました。

さて、やはりコロナウイルスと対比で出てくるのが「スペイン風邪」。
Wikipedia(2020.4.12現在)では、「スペインかぜ(スペイン風邪、英語: Spanish Flu (influenza) )は1918-1920年に世界各国で極めて多くの死者を出したインフルエンザによるパンデミックの俗称である。第一次世界大戦時に中立国であったため情報統制がされていなかったスペインでの流行が大きく報じられたことに由来する(スペインが発生源という訳ではない)。」とのこと。
全世界で流行し、次々と罹って社会をパニックに陥れるという意味で似ていると言えます。

こんな病気は、文明の発達した現在、ありえないだろう、と、たかをくくって40年を越えて生きてきましたが、今でも十分起きうることに慄然としている訳です。
昔もインフル大流行はあっただろうし、どんな状況だったのか知りたいな、と、思って本棚を何気に眺めていたら、積読になっていた本を発見。


『病が語る日本史』(酒井シヅ、講談社学術文庫、2008.8、1050円+税)

ぱらぱらとめくってみると、やはりある。「万病のもと風邪」(142ページ~)
862年(貞観四年)に
インフルエンザの流行が記載されており、「咳逆を患い、死者多数」と『三代実録』にあったそうです。この時は、3年程度大流行したとか。貞観十四年には「京に咳逆が発生。死亡者多数」だそうです。その時は、渤海国の客がインフルを持ってきたとの噂があったそうです。平安時代にも、鎌倉時代も大流行で多くの人が亡くなったそうです。この時も、流行した際には、外国人がやってきており、外国からもたらされる、と、認識されているとか。
江戸時代は鎖国で大流行の記録がなくなるそうですが、1730年(享保十五年)に鎖国の窓口長崎から流行が始まったそうです。その前の年からロシア、ドイツ、スイス、イタリアでインフルが世界的流行だったとか。そして、怖ろしいことに、その3年後の享保18年、6月から7月にかけて全国的に大流行し、江戸の町では夏の一か月で死者が8万人を越えたそうです。火葬も追い付かず、海に死骸を流して対応したとか。
その後もインフルは定期的に大流行するそうですが、愛称をつけていたとか。
そして、スペイン風邪では、1918年から1919年に世界的大流行で、日本の大正7年、8年、9年の死亡原因の第一位がスペイン風邪による肺炎だったそうです。

上記からは以下のことがわかります。

・数年かけて流行していること
・6~7月という夏でも流行ること
・数年後に再度流行することがあること


と、いう事実です。
今回のコロナも、同様の可能性がある訳です。新薬開発のスピードは以前に比べれば早いので、それに期待したいところですが、そうでなければ、相当な長期戦の覚悟が必要ということです。

正直、この近代化の時代では、そのうち治まるだろうと思っていましたが、そういうものではない、と、言えるのかもしれません。少なくとも、感染者が倍々ゲームで増えていく今、警戒しすぎることはない、と、言えるのかもしれません。
とにかく、手洗いと口・鼻・目に手をもっていかない、を徹底しつつ、人との接触を避けまくるしかないのかもしれません。

自分で本の紹介ブログ書いて、怖くなってしまいました。
くわばらくわばら。

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