「長霊癋見」
ちょうれいべしみ、と、読むそうで能面だそうです。

※福岡市博物館所蔵品写真
熊坂長範という盗賊と牛若丸の話を描いたもので、牛若丸と一緒にいた金売吉次の荷を狙うのですが、かえって牛若丸の返り討ちにあい、死んでしまう、という話のようです。
上記の写真からも、若干ユーモラスな感じがする面で、実際、能面の解説などを読んでおりますと、滑稽味が強い面、との説明が付いています。
能に全く詳しくない私がなぜ、こんなことを書き出したかといえば、甲子夜話を読んでいて、上杉謙信が関係する話が出てきたから。
江戸も末期の平戸のお殿様が、それこそブログ書くように残した文書で、裏付けの全くない風説のようなものから、自分で見た珍しいものを書き散らしています。
そういう意味では、私のブログと似たようなものが。
本日の話はこれ。
○長霊癋見(ちょうりょうべしみ)
能に長霊癋見(ちょうりょうべしみ)という面がある。悪相なる面である。ある日、金剛大夫のところへ見物に行き、熊坂の能を見たとき、脇の高安彦太郎が桟敷に来て話すには、
「上杉謙信が陣中で常にこの面を持参し、戦場ではこれを被ったという。(思うに面頬の代わりにしたのでは?)その面がこの大夫に伝わっており、今日用いた面は、その模作だとか。もっとも、異聞というレベルですが。」
戦場では威貌を尊ぶので、この面を用いて敵を屈服することもありうる。これは蘭陵王の昔に倣ったようなものだ。
※蘭陵王;中国の王様で強いのだがイケメンで怖さが出ないので、怖そうなお面をいつも被っていた、という伝承のある人。
上杉謙信が被っていたという伝承が残るお面ってどんな奴だ、と、思って検索してみると、上記のお面な訳です。
ただ、ぱっと見、これって威厳を出すお面じゃないわな、というのが第一印象。実際、解説みると「ユーモラス」と書かれている。そして、最後には殺害されてしまう役どころ。
果たして、そんなもの験担ぎする武将がかぶるのか?という疑問がありますが、「いや、そういう説もある、という程度」と、説明を受けています。(異聞)。
甲子夜話作者の松浦静山も
「…。ちょっと、その説は違うのでは?」
と、疑ったからこそ、わざわざ異聞、と、書いたのかもしれません。
でも、蘭陵王の話を出してくるあたり、上杉謙信ならやりかねん、と、思ったのかもしれません。
このあたりは直接松浦静山に聞かないと、どうにも判別できません。
ちなみに、どうやら、熊坂長範の話が越後の住人で大薙刀を扱う藤沢入道の話が下敷きになっている、と、wikiに書いていあるので、そのあたりが、伝承の始まりなのかもしれません。
あと、上杉謙信の兜に「三宝荒神形兜」なる異形のものが伝わっています。

※仙台市博物館所蔵品
最初、この兜の写真を見たとき、上杉謙信の常軌の逸し加減がわかって度肝を抜かれたものです。
こんなん被ってたら、顔の上に顔がある、という感じがですし、酒好きで有名な謙信だけに、酒で赤ら顔している上に、三宝荒神の赤い顔、という、赤ら顔つながりの兜になっているのかもしれません。戦国時代の変わり兜としては、相当有名な部類に入る兜です。
こんなあたりの話が、江戸時代の末期ともなればごちゃ混ぜになってきて、逸話として松浦静山が残すことになったのではないか、と、推測されます。
あくまで推測ですが、有名武将ともなると、いろんな話が敷衍してくるものですね。
しかし、三宝荒神の兜をかぶりつつ、長霊癋見のお面を被っている殿様を見た部下からすると、
「怖がらせたいのか、ウケたいのか?」
と、反応に困ったことでしょう。
ちょうれいべしみ、と、読むそうで能面だそうです。

※福岡市博物館所蔵品写真
熊坂長範という盗賊と牛若丸の話を描いたもので、牛若丸と一緒にいた金売吉次の荷を狙うのですが、かえって牛若丸の返り討ちにあい、死んでしまう、という話のようです。
上記の写真からも、若干ユーモラスな感じがする面で、実際、能面の解説などを読んでおりますと、滑稽味が強い面、との説明が付いています。
能に全く詳しくない私がなぜ、こんなことを書き出したかといえば、甲子夜話を読んでいて、上杉謙信が関係する話が出てきたから。
江戸も末期の平戸のお殿様が、それこそブログ書くように残した文書で、裏付けの全くない風説のようなものから、自分で見た珍しいものを書き散らしています。
そういう意味では、私のブログと似たようなものが。
本日の話はこれ。
○長霊癋見(ちょうりょうべしみ)
能に長霊癋見(ちょうりょうべしみ)という面がある。悪相なる面である。ある日、金剛大夫のところへ見物に行き、熊坂の能を見たとき、脇の高安彦太郎が桟敷に来て話すには、
「上杉謙信が陣中で常にこの面を持参し、戦場ではこれを被ったという。(思うに面頬の代わりにしたのでは?)その面がこの大夫に伝わっており、今日用いた面は、その模作だとか。もっとも、異聞というレベルですが。」
戦場では威貌を尊ぶので、この面を用いて敵を屈服することもありうる。これは蘭陵王の昔に倣ったようなものだ。
※蘭陵王;中国の王様で強いのだがイケメンで怖さが出ないので、怖そうなお面をいつも被っていた、という伝承のある人。
上杉謙信が被っていたという伝承が残るお面ってどんな奴だ、と、思って検索してみると、上記のお面な訳です。
ただ、ぱっと見、これって威厳を出すお面じゃないわな、というのが第一印象。実際、解説みると「ユーモラス」と書かれている。そして、最後には殺害されてしまう役どころ。
果たして、そんなもの験担ぎする武将がかぶるのか?という疑問がありますが、「いや、そういう説もある、という程度」と、説明を受けています。(異聞)。
甲子夜話作者の松浦静山も
「…。ちょっと、その説は違うのでは?」
と、疑ったからこそ、わざわざ異聞、と、書いたのかもしれません。
でも、蘭陵王の話を出してくるあたり、上杉謙信ならやりかねん、と、思ったのかもしれません。
このあたりは直接松浦静山に聞かないと、どうにも判別できません。
ちなみに、どうやら、熊坂長範の話が越後の住人で大薙刀を扱う藤沢入道の話が下敷きになっている、と、wikiに書いていあるので、そのあたりが、伝承の始まりなのかもしれません。
あと、上杉謙信の兜に「三宝荒神形兜」なる異形のものが伝わっています。

※仙台市博物館所蔵品
最初、この兜の写真を見たとき、上杉謙信の常軌の逸し加減がわかって度肝を抜かれたものです。
こんなん被ってたら、顔の上に顔がある、という感じがですし、酒好きで有名な謙信だけに、酒で赤ら顔している上に、三宝荒神の赤い顔、という、赤ら顔つながりの兜になっているのかもしれません。戦国時代の変わり兜としては、相当有名な部類に入る兜です。
こんなあたりの話が、江戸時代の末期ともなればごちゃ混ぜになってきて、逸話として松浦静山が残すことになったのではないか、と、推測されます。
あくまで推測ですが、有名武将ともなると、いろんな話が敷衍してくるものですね。
しかし、三宝荒神の兜をかぶりつつ、長霊癋見のお面を被っている殿様を見た部下からすると、
「怖がらせたいのか、ウケたいのか?」
と、反応に困ったことでしょう。