長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

この中に一人、家族に内緒で参加している人がいます。

2013年09月25日 | 日記
また!

※佐賀に引き続き!誰だ?!

今回、彼は妻が実家に帰省していることをいいことに、家族に内緒で参加。
日曜日に雨が降った際、家がある稲沢の降水量を調べ、
「今、家ですごい雨が降っているが、大丈夫だ。」
と、電話をしたとか。
京都の宿から。

私は残念ながらその場を見ておらんのですが、他のメンバーからの報告ですので間違いは無いかと。
なぜ、そこまでして嘘をつかなければならないのか。
不思議でなりません。

さて、今回は京都2泊3日の旅です。
私は仕事やらボランティアガイド講習会やらがあり、最終日のみ日帰りでの参加となりました。

既に他面子は2日間の行程をこなしており、お疲れ気味。
今回は自転車を持っての旅だったため、2日間は自転車だったそうですが、いずれも折りたたみ自転車だったことから自転車の椅子がよくなく、皆、臀部に痛みを抱え、かつ、疲労が蓄積しており、最終日の今日は歩きと自動車がメインでした。

当初は太秦の広隆寺へ。
ここで私と他メンバーが落ち合う。


久々に半跏思惟像の弥勒菩薩とご対面。

紀伊守が言うには、
「この絶妙な笑みがたまらん。『ククク』でもなく『クスクス』でもなく『うふふ』という吹き出しが似合いそうな表情がいい。」
とのこと。

確かにその通り。
この微笑の絶妙さが古来から人の気持ちを捉えて離さず、教科書にも載っている状況となっているのでしょう。

その後、
「朝テンイチを食べるんだ!」
と、息巻いた団にょだったのですが、11時までの開店まで空腹に耐え切れず太秦の喫茶店でモーニングをくってしまいました。

で、今回は城旅ではなく寺旅。
どこへ行こうか、と、喫茶店で作戦会議。
「そうだ、京都国立博物館へ行こう!」
と、なって、車で駐車場に入ると・・・。


だぁぁぁぁぁ~!
事前のリサーチ不足で撃沈。轟沈と言っても良い。
まぁ、元々が行き当たりばったりだし、ご利用は計画的に、という訳でも無いので・・・。

どうしようか、と、考えると目の前には。


さて、どこでしょう?
ひっじょうにわかりにくいと思いますので、別のアングルで。


三十三間堂でした。

私は小学校5年生以来。
1001体もの観音像は、圧倒されすぎて途中、しっかり見ないで流すような状況に。
しかし、よくよく見てみると、顔の形も体型も結構違う。手に持ってるものも違うので、そうした違いを見ておりますが、なにせ、あまりにも多すぎて・・・。

ただ、ただ、圧倒されました。

さて、おみくじがある。
ここで私が言う。

「妻子を里帰りさせている最中に、内緒で京都旅行をしてしまった貴公。今後を占ってみてはいかがか。なんなら、当方で出捐負担するが。」

と、言うことで、引いていただきました!


♪だかだかだかだかだかだかだか(ドラムロール)

小吉!


そして、
「旅行:出る時に気をつけてよし。」


なんと・・・。
と、いうことは既に出てしまった以上はよい、ということか!
無念・・・。

三十三間堂のおみくじは当たると思います。
さすが元三大師の天台宗。
あ、ちなみに、元三大師はおみくじを作った人と言われています。

さて、その後、個人的には非常に寄りたい「夜泣き封じの井戸」へ。
うちの子どもは夜泣きがひどいときがあります。
最近では落ち着きつつありますが。

もともと、水がちょろちょろと流れる場所で、それが夜泣きの声のように聞こえたのが、いつしかここに供えた地蔵の前掛けに祈願すると夜泣きが治ると言うことになったようです。
で、とりあえず祈ってきました。


そして、今回の寺旅でなぜか佐渡守が五山に拘るので、京都五山第三位建仁寺に行くこととする。


ここが大当たり。

なんか最近京都の拝観料の相場が上がっているようで、広隆寺も三十三間堂もそれぞれ700円。
建仁寺はどうか、と、いうと500円でした。
駐車場代も1時間無料券つき。こりゃお得。
そして、「写真撮り放題です。」
とのこと。
なんとも驚きのフランクな対応。
これが禅か?!

そして、正面にお出迎えは、

風神雷神図。by越前屋俵太俵屋宗達

高細密度複写だそうなので無造作に置かれています。
が、かなりの迫力があります。

その後、やたらとくつろげる場所がある。

実際、寝転がっている人も多数。
なぜ、畳と庭を見ると日本人は寝転がるのか。不思議だが、わかる気もする。
我々もかなり長いこと座ってぼんやりし庭を眺めておりました。
「俺、宝くじ当たったら新城にこういう家建てて庭を眺めて暮らす。」
などの、極めてどうでもいい、脳内の言葉を何のフィルターにも掛けずに垂れ流す会話をしながら。

その後、秀吉の茶室があるというのでそちらに向かう途中、城旅メンバーとしては見逃せないものが!

安国寺恵瓊の首塚です。

毛利家の使僧として活躍。織田信長と謁見して「高転びに転び候」と没落を予想。その後、秀吉の将来性を見込んで毛利家を秀吉に協力させます。そして自らも僧侶でありながら秀吉に大名に取り立てられるも、関ヶ原の戦いでは石田方に加担して斬首されてしまいます。

そんな彼の首がなぜ建仁寺に?
どうも、荒廃していた建仁寺を立て直したのが彼だとか。それで曝し首になっていた彼の首を持ち帰って弔った場所が、そこだそうです。

合掌

さて、その後、龍安寺の石庭にも負けないほど立派な庭を見る。

ここでも捕まってしまい、ぼんやり座っておりました。

大学時代を京都で過ごした団にょは、大学時代によく寺へ来て一日寝っ転がっていたそうです。
なぜか京都の寺の庭は人をひきつけます。
そして、最近できた天井画の双龍図。
最近作ったもんだし、と、気無しに見に行ったのですが、

迫力に驚く。
一見の価値アリです。

これはええもんを見させてもらった、と、思いながら寺を出ると看板が。
六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)で特別拝観中とのこと。

なんだと!

六道珍皇寺といえば小野篁(おののたかむら)。
小野篁は閻魔大王の助言者的な役割をしており、夜な夜な六道珍皇寺の井戸を通って冥府に行き、閻魔大王の裁きに対して助言をして、夜明けになると別の井戸から帰ってきた、という話が有名。
その昔、京都へ行った際、一人で自転車に乗ってわざわざこの寺までやってきたことがあります。
そんなお寺で特別拝観中、と、いうことで、私が「どうしても見たい!」と叫んで2泊3日でくたびれている、紀伊守、佐渡守、団にょの3名を無理やり連れて行く。

六道の辻、というさびさびとした石碑が何となく怖い六道珍皇寺。


特別拝観中と言うこともあり、寺が持っている地獄極楽絵図などを基にしたボランティアガイドによる絵解きもある。


そして、何より、普段は塀の外から覗くしかない篁の井戸が間近で見られる!

※写真中央の井戸が地獄へ行く井戸。その奥に最近発見された黄泉帰りの井戸もあります。

覗いてみるとシダで覆われてよく見えない。
が、それが冥界と繋がっているような感じがして、なんとなく恐ろしさもある。

で、黄泉帰りの井戸を見学した後、本堂へ戻ってくる際、なぜか赤松氏について書かれた看板がある。なぜこんなところに赤松?と、不思議に思ってワイワイ言っていると、寺の方が「嘉吉の乱で将軍足利義教を殺害した赤松満祐の遺児を匿ったのがこの寺の住職。赤松氏が復権を果たした際に寺の再興に尽力をしてくれたためです。」と説明してくださいました。

なんとぉ!
戦国時代も面白いが、実は室町時代の狂いっぷりも面白いよね、と、いうのがこのメンバーでのいつもの会話。その中でも我々の心を捉えて離さないものは、万人恐怖の足利義教、やられる前にやってしまえの嘉吉の乱赤松満祐、それと、空飛ぶ管領細川政元、吐き関白二条持基あたり。

その満祐とゆかりが深いとは。
一同感動。

その他、黄泉帰りの井戸は元々場所はわかっていながら寺じゃない土地だったのですが、売りに出たので、すかさず購入して無事に井戸のありかが判明した、ということだそうです。
なるほど。こういう話は特別拝観ならではですね。

その後、京都のお盆の時には十万人が期間中にやってきて鐘をならしにくるという鐘。


ご先祖をお迎えするための鐘だそうで、この音を聞いてお盆に戻ってくるそうです。
そして、送り火で帰っていくとか。そのため、まずは招かねばならないので、このお寺へ皆がやってくる、ということだそうです。
もともと、この寺の前の道が五条大路だったそうで、この寺より西が京内で無くなった庶民を葬る場所だったとか。そうした背景があって、この寺が六道の辻と呼ばれるようになったとか。

前回、ただ見ただけの時とは違い、色々とお話が聞けて良かったです。

と、まぁ、城ではなくて寺を巡る旅も、たまにはしております。