田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

明日の空の向こうに(Jutro bedzie lepiej)

2013年02月16日 08時14分01秒 | 日記

 

 「木洩れ日の家で」「僕がいない場所」などで知られるポーランドの女性監督ドロタ・ケンジェジャフスカが、豊かな暮らしを求めて旅に出た孤児の姿を描くヒューマンドラマ。ポーランドと国境を接する旧ソ連(ロシア)の貧しい村。親も住む家もなく、鉄道の駅舎で寝泊りし、物乞いや盗みをしながら日々を過ごす3人の少年たちは、外国に行けばもっといい暮らしができると夢見て国境を越える旅にでる。さまざまな試練や困難に直面しながらも、笑顔でその日その日を乗り切った少年たちは、ようやくポーランドの田舎町にたどり着くのだが……。(映画.comより)

 

<ネタバレあり>

 

 ちょっと癒されたくて、かわいい子供の映画を選択しました。こんなにかわいい子供たちが主人公なら、残酷なお話のはずがない、そんな自分勝手な期待を持って。

主人公の彼らは、ポーランドとの国境にほど近い、とあるロシアの貧しい村に住んでいます。何故なのかはいっさい描かれませんが、彼らには親も保護者もなく、6歳と10歳のペチャとヴァーシャの兄弟・11歳の少年リャパは、駅や道端をねぐらに、物乞いやちょっとした盗みで生きています。

なんとも愛くるしいペチャは、たった6歳なのに、パン屋のおばさんにおすそわけしてもらうために「きれいだね」と言ったり、結婚式の行列が来ると、花嫁さんに話しかけたりします。しかし、ペチャはそれが生きるすべであり、自然にそうした態度をとっているのであって、鼻に付くようなところはまったくなく、その顔のかわいさも手伝って、本当に行く先々でかわいがってもらえます。

前歯も今、生え変わっているのかほとんど歯抜けだし、その愛くるしさったらありません。私がそこにいても、つい情にほだされてしまうでしょう。

年長リャパの知り合いの老人宅に一泊お世話になった時は、「せめてチビだけでも置いて行け。必ず面倒をみるから」と言ってくれるのですが、子供たちは離れません。なんの根拠もなく、”隣の国へ行けば今より幸せな暮らしが出来る”と信じてポーランドへ向かっているのです。

小さいのに必死にいろいろ考えて、子供なりに「ペチャは置いて行け」などと(リャパが)言ってみたり、「僕の弟だぞ!」とヴァーシャが断固拒否したり。生き延びることに一生懸命です。子を持つ母としては、つらかったですね。せめても、彼らは仲間がいたことが救いなのでしょう。

とうとうたどりついた国境。高圧電流が通っているかもしれない有刺鉄線の下を空き缶で必死で掘る子供たち。小さな体を何とか通した後は、軽やかな音楽に大きく広がる空。ペチャは「空はどこでも同じなんだね」、ヴァーシャは「これからは俺達の空だ」と言い、子供たちの顔は希望に満ちています。

しかし、観客である私達、大人は知っています。何の当てもないのに国境を越えて、それから?

早速、言葉の通じない地元の子供たちにバカにされ、3人は警察を捜し保護を願い出ます。でも、幼い子供たち3人だけで、何ができると?太った警察官は彼らに同情するけれど、でも法は法。本人の意思で「亡命」とはっきり言わない限り、本国へ送還されるだけなのです。

悲しいですね・・・。私がその警察官だったら入れ知恵してしまうかもしれません。誰かに吹き込まれた、と絶対言ってはいけないことや、亡命の意味を説明してね。でも、何かの拍子にバレたらそれまでですけどね。

そもそも、異国の孤児院に入ることが本当に幸せなのか。いったい彼らはどういう形の幸せを望んでやって来たのか。考えれば考えるほど、複雑です。

ともかく、ラストシーンは強制送還の車がロシアへと帰ってゆくシーン。真剣に落ち込んでいた子供たちも、しまいには「王様になって帰るんじゃなかったのか」「そうだ、王様だ」と笑い出します。この先は想像するしかありませんが、これだけ機転がきく子供たちのこと、うまく生きてゆくのでしょう。送還された以上、道端に放り出されることもないでしょうしね。いや、ロシアならわからないか(笑)。

なんだか、希望があるんだかないんだかわからないようなラストでしたが、やっぱり子供たちが笑っている以上、希望を持つしかないですね。彼らは一人じゃないし、あるいは母親が捜しているかもですし。

「木洩れ日の家で」とは趣が違いましたが、いい作品でした。なんといっても、こんなに愛くるしいペチャを探して来たのが成功だったと思います。

 

コメント
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