かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

□ まほろ駅前多田便利軒

2006-11-10 18:44:40 | □ 本/小説:日本
 三浦しをん著 文藝春秋刊

 「あんたはきっと、来年は忙しくなる」
 年の瀬も押し迫ったある晴れた日の夕方、曽根田のばあちゃんはそう言った。
 
 こんな出だしで、この小説は始まる。主人公の多田は、入院しているおばあさんを見舞いに来たのだ。そのおばあさんは、次に主人公に言う。
 「とにかくあんたは忙しくなって、もう私のところへはあまり来てくれなくなるだろうねえ」
 「そんなことはないよ、母さん」
 主人公は、あとの言葉に詰まる。なぜなら、「母さん」と言ったが、彼は息子ではないからだ。
 帰るときに「じゃあね、母さん。よいお年を」
 「うん」と、ばあちゃんは小声で答えた。
 別れ際はいつも、ばあちゃんは無口になってしまうのだ。多田は足早に廊下へ出た。出たところで病室を振り返ると、ばあちゃんは大福と化したまま、ベッドでじっとうつむいていた。
 本当にいい息子なら、年老いた母親を病院に放り込んだまま正月を迎えたりしないし、赤の他人に、代理で母親の見舞いをさせたりしない。そう思うが、しかし自分が赤の他人だからこそ、のんきに綺麗事を言えるのだということも、多田にはわかっていた。
 
 僕は、この出だしの文を読んで、母を思った。一人九州の田舎に残し、つい最近東京に戻ったばかりだからだ。
 母は、今頃どうしているだろう。居間で大福のように丸くなっていないだろうか。そう思うと、胸が痛くなった。

 「まほろ駅前多田便利軒」は、多田という男が主人公の便利屋の物語である。
 つまり、冒頭のおばあさんとのやりとりは、自分の代わり息子になりすまして、おそらく認知症で入院している母を定期的に見舞ってほしいという依頼の仕事を遂行しているのである。
 しかし、この本は別に家族の愛情への尊さや介護への問題提起をしているのではない。便利屋を営む男の仕事を通して、かつての同級生との関係を絡めた様々な人間模様を描いたものである。
 まほろ駅前で、便利屋を営む多田のもとへはいろいろな仕事が舞い込む。ペットの世話・塾の送り迎え代行・納屋の整理・恋人のふり、等々。

 男性が描くハードボイルドなら探偵だろうが、女性が描くには便利屋は、それこそ物語を作るのに便利だ。事件が次々と、向こうからやってくるのだから、設定にあれこれ工夫をこらすことなく、新しい話を展開できる。
 便利屋といえば、70年代に若者に人気だった中村雅俊主演のテレビドラマ「俺たちの旅」がはしりではなろうか。その後、90年代には、バブルがはじけた世相の反映もあって、やはり同じ中村雅俊主演で、便利屋の延長線とも言うべき、「夜逃げ屋本舗」シリーズに引き継がれていく。
 
 今年の上半期の直木賞を受賞した気鋭の作家の作品が、もう滅多に耳にしなくなった、この便利屋を手段に使っていることに少し落胆した。
 しかし、古典的とも言える小説構成と趣旨を感じさせる、直木賞同時受賞の森絵都の『風に舞い上がるビニールシート』に比較すると、彼女の文からは何より書くことを楽しんでいるのが伝わってくる。
 
 この主人公の便利屋のところに、彼の高校時代の同級生であった世を捨てたと思える男が転がり込んでくる。
 この男は高校のとき、小指を切断したのだが、その事故が主人公の多田には、自分の責任だと思って、負い目を感じている。この二人の絡み合いで、便利屋の仕事とも事件ともいえる出来事が展開していく。
 タイトルにもある「まほろ市」を、東京都なのだが神奈川県と間違われるなどの例を出し、電車や道路などの交通機関、街の特徴などを微にいり細にいり説明して、東京都町田市だとわからせるところが、その街を知っている人間にとっては面白い。

 最後は、主人公の多田は、問題を起こした友人を追い出しはしたが、その行方が気になっていた。そして、再び友人を見つけ出し、街に連れ戻す。そのとき、まほろの街の明かりを見て、主人公は思う。
 砂漠を行く隊商が中継地に着いたときも、こんな気持ちなのかもしれないと。
 生い茂る緑の木々、オアシスの上空にだけ舞う鳥の影、水辺に憩う人のざわめき。
 もう終わりにしたいと願ってたどりついたのに、そこにはいつも、新しい旅の始まりが準備されているのだ。
 今度こそ多田は、はっきりと言うことができる。
 幸福は再生する、と。
 形を変え、さまざまな姿で、それを求めるひとたちのところへ何度でも、そっと訪れてくるのだ。

 やっと、作者は最後に言いたいことを、本の紙面にインクをこぼしたように滲ませているが、最後までドタバタ調の劇画的である。
 それに、作者が言う幸福の再生は、この本からはどこにも垣間見えてこない。いや、見えてこないのが現代といえるのではないだろうか。
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