さあ~てと 帯しめましょか。

人生、山あり谷あり
向かうはわが身の置き場所よ。
帯締め、気を染め、往きましょか・・・  ~part 2~   

万葉集:額田王

2009年07月14日 16時49分49秒 | 本・言葉・古文書/草書 

蒲生野の唱和歌

 

天皇(天智)が蒲生野で狩りをなさった時に作った歌

 

万葉集: 額田王(ぬかたのおおきみ) 

 

原文:茜草指 武良前野逝 標野行

野守者不見哉 君之袖布流

 

 あかねさす   紫野行き   標野行き

野守は見ずや   君が袖振る

(巻一の二0)

 

【 従来の解釈 】

(茜色の光に満ちている)紫野を行き、天智天皇御領地の野を行って

野守はみているではありませんか あなたが袖を振るのを

 

 

 

『もう一つの万葉集』

著者、李 寧熙さんは、この歌は二重歌ではないが

巧妙な言葉使いによって、露骨な性の表現に迷彩を施した

極めて二重性の強い歌だといっています。

 

しかし、額田王が詠んだのは

「君(ぐで)」「之袖布流(がさぼよ)」

=“あなたが”“私のハサミを広げる”

だというのです。

 

とりわけ、「君之袖布流」

額田流迷彩法の奥義とでもいうべきもので、この五文字をみれば

誰だって「君が袖ふる」と読むであろうことを計算している。

 

「茜」という字は和名に「草」がつかないが、あえて入れている。

「草指」(=腎が)も、「指」(=股)も、男性の性器を表す。

 

「あかねさす」は輝くように美しい、

又は陽性的で力強いものから「君」にかかる枕詞

また、紫が赤みを帯びていることから「紫」にかかる枕詞

 

「紫」=「女性」を表す。

古代日本語の「蕃登(ほと)」と同義語。

 

「標野(しめの)」は、

韓国語で「標野(びょまる)」「標(びょ)」=標識(しるし)

神域・領地を示すしるしを立ててある野原をさす。

| |

「立ち入禁止と記されている禁野」

 

「禁野を行く」「操を破った」意。

 

 

【 真の意味 】

 茜草(あかね) 股(さし) 

紫野 逝(ゆ)き   

標野 行き

野守は 見ずや   

君 はさみ ひろげり

| |

あかい股(さし)<腎>が

紫色の野原〈蕃登(ほと)〉を行きます。

標野〈禁野〉を行くのです。

野守は見ていないでしょうね

貴方が私のはさみ〈両股〉をひろげるのを  

 

 

 

皇太子(ひつぎのみこ)が答えた御歌

 

万葉集:大海人皇子(おおあまのみこ)〔天武〕 

 

原文:紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者

人嬬故尓 吾恋目八方

 

【 従来の解釈 】

 紫の にほへる妹(いも)を 憎くあらば

人妻ゆゑに 我(あれ)恋ひめやも

(巻一の二一)    

 | |

紫草のように におうあなたを 憎いと思ったら

人妻と知りながら 恋をしましょうか

 

【 真の意味 】

紫草は 愛(かな)しや 妹よ 失い苦し

言かけくるに 

われ ひそやかに 脇見せむ

| |

紫草(ほと)は 可愛らしい 君を失って苦しいのだよ

ことばをかけてきたので 

私は 人目につかないように 脇見をするけれども

 

 

『もともとこの二歌は秀歌のほまれが高いのですが、

従来の解釈によると、どことなくちぐはぐな唱和歌でした。

しかし、こうして韓国語で読み返してみると、一段と鮮烈な情歌

として蘇ります。(…中略)この二人が夫婦として世に存在する

こと自体、中大兄にとっては許せなかったのかも知れません。

額田王を後宮に召したのは男の嫉妬とも言えるし、こんな二人

をいつまでもコンビでこの世に放置したら危険だ、という恐怖心

によるものかも知れません。おそらく中大兄にとって額田王が

ほしいというより、二人の仲を引き裂くことの方に第一の意味が

あったのでしょう。(中略)

二人は唱和歌を詠み、そしてその時はそれを互いに心の奥底深く

に刻み込んだのです。そしてこの歌が他人に知られても恐れる

ことのない世の中をきっと作ろうと、二人はその時かたく

誓い合った…、私はそう思いたいし、またその誓いは

壬申の乱によって見事に実現したわけです。(引用)』

 

 

  『もう一つの万葉集』李 寧熙(イ ヨンヒ)著:参照

 

 

この本は、かなりの反論を受けたようです。

今では、Wikipedia「万葉集:外国との関係」に、

『従来の日本語的な解釈で『万葉集』を読むことを否定する

論理的・合理的な根拠は全く存在せず、

『万葉集』=古代朝鮮語とする説は、

学術的には完全に破綻しているといえよう。』

とあります。

しかし、額田王の事実記述がほとんどないのです。

80歳まで生きたとされる額田王。

歌人としては、たぶん誰ぞのゴーストライターもしていた

であろうと思われるし、聡明で美しい女性だったのでしょう。

 

そんな歌、つまり、言葉に興味ある彼女が…、

政治的にも常に重要な人たちの傍にいた額田王が、

古代朝鮮語を勉強しないわけがありません。

 

…とするなら、歌に二重の意味を持たせることは、

彼女にとって、お手のものではなかったのでしょうか?

 

「野守者不見哉」の「哉」。。。

従来解釈ではいろいろな人の訳を調べてみましたが、

かなり違和感が残りました。

私は、李 寧熙さんの解釈に物凄くしっくり納得できました。

 

 

 

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